第3話 はじまりの続き
うちの家族関係は劣悪ではないけれど良好ともいえない。
両親は僕が四歳の時に離婚した。姉二人と僕の親権は母親が取り、今は四人家族として暮らしている。
母さんは仕事ばかりだけれど、別に悪い母親だとは思わない。学校関係には適度に親身で適度に放任。プライベートに関しては過保護な節がある。バイトは駄目だとか、門限は十八時とか。煩わしいと思うこともあるけれど、反抗するまでのことじゃない。
一番上の姉の
二番目の姉の
そして、こうやって家族にケチをつけている僕はというと、陽菜ほど家族に関心もなく、星乃ほど他人に関心もなく生きていた。普通にそこらへんにいる高校生だ。
こんなことを思ってはいるけど、家族のことが嫌いなわけじゃないし、家族仲だって悪くない、はずだ。口に出して褒め合ったりはしない、でも、お互いがお互いを尊重している。少なくとも、僕はそうしていた。
だからこそ、姉の恋人が他の女と結婚しようとしているのを見なかったことにはできなかった。
いや、星乃の彼氏だったら何も言わなかったかも。アイツに限っては自業自得だし。
◇
僕が姉の彼氏が浮気していると知った日の話には続きがある。目撃をしただけで終わらずに、その後にとある行動を起こしていた。
浮気――というか、目の前にいる女の人が結婚前提の相手なら、浮気相手は陽菜の方かもしれない。まあ、とにかく、不貞を働かれていることだけは確か。
「秋桐、時間平気? もうそろそろじゃない?」
艶やかな長い黒髪に負けじと黒い瞳。女の人は特別に目を引くような容姿ではない。しいて特徴を挙げるなら、おっとりとしていて穏やかそうに見える。ただ、見た目で性格を判断することは無意味だと思っているから、これは所感以上のものにはならない。
どこの誰かも分からないんだから、知っている方がおかしいんだけど。
「本当だ。悪い、続きは後で」
対して、男のことは上辺の情報なら知っていた。一部の人間にとっては有名人だったから。
明るい色の茶髪に耳を飾る数多くのピアス、黒いマスクで顔の半分を隠しているけれど、それでも目鼻立ちのくっきりしたイケメンだと分かる。顔出しで動画配信をしているストリーマーの“
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「いってきます」
アキギリさんと女の人は別れ際、この時間が終わるのがもったいないとばかりに視線を絡み合わせていた。
何というか、創作物を見ているような気分だった。映画のワンシーンみたいな。相思相愛。大袈裟だけれど、こういう感情が人間にはあるんだなと感心してしまうくらいだ。
アキギリさんが足早にこの場を去っていくのを、女の人はじっと見つめていた。この人、本当にあの人のことが好きなんだな、と赤の他人である僕にでも理解できる。
ちくり、と心臓が痛んだ気がした。でも、多分、気のせい。気のせいじゃないとしたら、姉のことを想っての痛み。
今になって思い返せば、多分、相当に動揺していたんだと思う。自分でも気づかないくらいに。
「あの――、すみません」
「はい?」
じゃなきゃ、急に知らない女の人に話しかけるなんてことしない。
僕はいつの間にか立ち上がって、さっきまでアキギリさんが座っていた席の隣に立っていた。
「……さっきの人、浮気してますよ」
「え?」
「あの人、僕の知り合いと付き合ってますから」
言ってしまってから、僕は何を言っているんだろうと考えた。でも、言わなきゃと思ったんだ。彼女に伝えないと、と。
女の人は酷く困惑した表情で僕を見上げていた。情けなく眉尻を下げ、不安そうに瞳を揺らす。僕がこんなふうに声をかけられたとしたら、軽蔑の眼差しで無視するところだけど、女の人は僕を蔑ろにはしなかった。
何となくだけど、言われ慣れているような雰囲気があった。僕は相手の感情の機微を読み取れるような優秀な目は持っていない。それでも、自分が品定めされようとしているのは分かった。
「僕、別にあの人のアンチとかじゃなくて――」
「あ、ううん。君のこと不審者だって疑ってるわけじゃなくて」
甘くはないけれど、優しい声。
女の人はじっと僕の顔を見つめたあとで「多分、勘違いだと思うよ。彼、そういう人じゃないから」ときっぱり言い切った。
「え?」
驚かされたのは僕の方だった。
なぜか、本当になぜか、この人が悲しみで泣きだすなり、裏切られたと怒りだすなりすると思っていたから。僕の意見を否定されるなんて思いもしていなかった。いや、冷静になれば、知らない人間からこんなことを言われて、はいそうですかと受け入れる方が問題があるんだけど。
「女の人と一緒にいることがあっても、何か理由があるんだと思う」
馬鹿な人だなと思った。同時に、笑うと綺麗だな、とも。
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