駆け降りる

 何となく話してくれなさそうな気もしたけど、話を聞いて私は後悔してしまうのではないだろうかと何故か思った。


 それでもうちに縁のある人なのだろうな、と家に着く頃には妙に納得してしまっていた。


札場ふだばのが世話係とは以前聞いていいたが……そういえば、もうそんな時期だったか。失敬、おばあ様はいらっしゃるかい?」


 この人は甚爺じんじいのことも知っているのか。


 確かに先日、甚爺は「暫しの間、お暇を頂きます」と言って故郷に帰った。


 甚爺の故郷……おばあちゃんが富士山の麓にあるとか言っていたような。


 私が小さい頃からいる不思議な世話係のお爺さん……。


「ええ、多分いると思いますから、良かったら寛いで待っていてください」


 一つの部屋に案内して私はおばあちゃんを呼んできたところ、随分と懐かしいといった顔で彼と話し始めた。


 私は荷物を部屋に置き、お茶とお茶請けを用意し戻ってくると縁側でのんびりと談笑を続けている。


 まるで何十年来の親友とも言えるその様子に、私は不思議で仕方ないと思っていた。その様子に私は羨ましささえ感じる。


 友達がいないわけじゃないけどお互いのことを何でもよく知っているというのはきっと素敵なことなんだろうなと思った。


 家に着いてから3回目の鐘が振り子時計から響いてくる。すっかりと日は暮れて夜の帳が下りていた。


 彼は私とおばあちゃんに「お暇させてもらうよ。遅くまで申し訳なかった」と告げて帰って行ってしまった。


 おばあちゃんは夕飯のお誘いをしたものの、彼はにっこりと笑って「この後のこともあるから」と私たちに告げた。


 門まで送って行った後、縁側の片づけをしている時に彼が忘れ物をしてしまっていることに気が付いた。


 拾い上げた時、私の体に風が吹き抜けるような錯覚があった、変に思いながらおばあちゃんを呼びつつ見ていると、宵闇のような藍色に星が煌めくような金の装飾が施されていて綺麗だと思った。


 どこかで見覚えがあるような気がする……そう思いながらおばあちゃんに見せると慌てた様子で「これじゃあルタくんが困っちゃうわね……」と言った。


 これが何かを尋ねると「自分で確かめてみなさいな。これを持って行っておいで」とにっこり笑った。


 一体何なのだろう……単に猫をも殺すかのような好奇心っていうだけなんだけど……。


 これから遅い時間の晩御飯作りだと思ったがおばあちゃんに言われるがまま私は山の麓のトンネルに駆け足で向かった。


 頭の中ではこれを何とか届けなきゃならないと少しばかり焦ってもいた。そう考えながらも頭の焦っていない部分は冷静に別のことを考え始めた。


 おばあちゃんは私を送り出す時に「穂、きっと大丈夫よ」と言ってお守りを渡してくれた。


 小さな巾着の中に何が入っているかは私にもわからない。


 お守りは開けるものではないだろうから帰ってきたらおばあちゃんに聞くとして心配性が過ぎるものじゃないか、とこの時までは思っていた。


 この時の私はまだ何も知らなかったが、これから起きる出来事とこれまでのこと全てさえもが「奇跡の連続だった」と思い出すことになるのだろう。


 唯一わかっていたのはこれから何かが起きるという予感、そしてそれに対する高揚感だ。


 何の変哲もないトンネルの中に入るとこの時は不自然に感じられた扉を一つ見つけた。


 高い心拍数で生唾を飲み込み、私はドアノブに手をかけた。


 その時私はいつになくあの“いつもの帰り道“が懐かしく感じられた。

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