肩の紅葉は背中を押す。

かなたろー

肩の紅葉は背中を押す。

 ぼくと癸生川けぶかわさんは、千歳烏山駅前発の植物公園行きのバスの最後列に乗っていた。

 バスはのったりと坂道を登っていた。平日の、中途半端な時間の乗客はぼくたちふたりだけだった。


 バスは、順調に植物公園に向かう。


 ポーン


「次は、神代植物公園、ただ今、国際バラコンクール開催中、色とりどり、総数一万本を誇るバラが……」


 ピンポーン


「次、停車します」


 ぼくは、バスの乗車ボタンを押した。程なくバスは停車して、ぼくは二人分の運賃を支払って下車をした。


 ぼくたちは、植物公園の入り口を目指した。

 スタスタと歩くぼくの三歩あとを、癸生川けぶかわさんはスタスタとついてきていた。


 そのまま、スタスタと入場券売り場に行って、ぼくは、チケット売り場のおばさんと会話した。


「大人二人で」


「千円です」


「じゃ、これで」


「ちょうどいただきます。デートですか? 学生さん? 楽しんでってね。

 今はバラ園が見頃よ。そのあと、その先にある大温室に入って、芝生の大広場の巨大ススキを見て、最後に紅葉もみじ園を楽しむのがいいんじゃないかしら?

 あ、あとチケットの半券で再入場できるから、お昼は、裏門の向かいにあるお蕎麦屋さんで食べるのがおすすめよ。時間からすると、芝生の大広場の巨大ススキと紅葉を楽しむ前に、食べておくのがいいんじゃないかしら。

 それじゃ、楽しんでってね」


 ぼくは、千円で、植物公園の入場料二枚と、かなりしっかりとしたデートプラン情報を入手して、植物公園の中に入った。

 癸生川けぶかわさんはスタスタとついてきていた。


 とても気まずくて、会話どころじゃなかった。

 会社を出てから、もう三十分以上が経つ。


 ぼくと癸生川けぶかわさんは、一言もしゃべっていなかった。

 会社から歩いて五分のバス停までの道のりも、バスを待っていた十分間も、バスに揺られた十五分間も、そして、植物公園に入るまでの五分間も、ぼくは癸生川けぶかわさんに対して、一言もしゃべる事ができなかった。


 癸生川けぶかわさんが、可愛すぎるのが悪いのだ。


 オーバーオールと、黄色のトレーナーのうえに、白いカーディガンのボーイッシュ可愛いファッションの、癸生川けぶかわさんが、可愛すぎるのが悪いのだ。


 可愛い。


 ぼくと癸生川けぶかわさんは植物公園を散策した。チケット売り場のおばさんのアドバイス通り、バラ園でコンテスト受賞作品の青いバラを見て、その先にある大温室で、水に浮かんだ全長一メートルを超える。見事なオオオニバスを見た。


 癸生川けぶかわさんだったら、乗れてしまうのではないかな? と思った。


 とても小さくてコロリンとした丸顔の、コロボックルみたいな癸生川けぶかわさんなら、乗れてしまうのではないかな? と思った。

 ぼくは、アイヌ民族の衣装に身を包み、ちょこんとオオオニバスに座った癸生川けぶかわさんを想像した。


 可愛い。


 そして、入場券売り場のおばさんの忠告通り、ぼくたちは、裏門のお蕎麦屋さんのオープンテラスで食事をした。

 ぼくは、天ぷらとざる蕎麦。癸生川けぶかわさんは、たぬき蕎麦をたのんだ。


 ぼくと癸生川けぶかわさんは、未だに一言もしゃべっていなかった。


 バラ園を散策した十五分間も、大温室でちょこんとオオオニバスに座った癸生川けぶかわさんを想像した十五分間も、裏門から出で蕎麦を注文して待っている間の十五分間も、そして今、食事を終えた十五分間も、ぼくは、癸生川けぶかわさんに一言もしゃべる事ができなかった。


 癸生川けぶかわさんが、可愛すぎるのが悪いのだ。

 猫舌なのに、あっつあつのお汁の入ったきつね蕎麦を頼んで、ふーふーと、息を吹きかけて、懸命に蕎麦を冷ます癸生川けぶかわさんが、可愛すぎるのが悪いのだ。


 可愛い。


 僕たちふたりは、裏門にいたおじさんに入場チケットの半券を見せて、植物公園に再入場した。


「はい、再入場ね。

 見たところ学生さんだね。初デートかい? ひょっとして、まだ告白してないんじゃないの? だったら、芝生の大広場のススキの前か、紅葉こうよう真っ盛りの紅葉もみじ園がオススメだよ」


 ぼくは、チケットの半券を見せて、かわりにかなりしっかりとした告白プランを受け取ると、植物公園の中に入った。

 癸生川けぶかわさんはスタスタとついてきていた。


 ぼくは、覚悟を決めた。おじさんに背中を押してもらった。大広場のススキの前で癸生川けぶかわさんに告白しよう! そう覚悟を決めた。


 ぼくは、木漏れ日の溢れる雑木林のなか、落ち葉をサクサクと踏みしめながら大広場に向かい、癸生川けぶかわさんも、落ち葉をサクサクと踏みしめながら、ぼくの三歩後ろをついてきた。


 雑木林を抜けると、抜けるような青空の下に大広場が広がっていた。一面の芝生の中央に、ススキがこんもりと繁っていた。全長三メートルはあるんじゃないかな? 見事な巨大ススキが穂をもたげていた。


 ぼくは、大広場の一面の芝生をもふもふと踏みしめながら中央にある巨大ススキに向かい、癸生川けぶかわさんも、芝生をもふもふと踏みしめながら、ぼくの三歩後ろをついてきた。


 ぼくは、巨大ススキの真前に立つと、務めて平静を装って、振り向いた。

 三歩後ろを歩いていた、癸生川けぶかわさんの肩がふるえた。艶やかなショートの黒髪がレースのように軽やかに揺れて、色素の薄い茶色い瞳がうるんでいた。


 可愛い。


 ぼくは覚悟を決めた、癸生川けぶかわさんに告白をする覚悟を決めた。

 会社の社長と、同僚のみんなと、植物公園のチケット売り場のおばさんと、植物公園の裏門のおじさんに背中を押されたぼくは、抜けるような青空の、緑の芝生の大広間の巨大ススキの前で、癸生川けぶかわさんに告白をする覚悟を決めた。


「あ、あの……!」


「は、はい……!」


 ぼくのうわずった声に、癸生川けぶかわさんは、可愛い声で返事をした。ちょっとこごもった、甘いウイスパーボイスだった。


 可愛い。


「あ、あの、ぼく、癸生川けぶかわさんの事が……!

 はじめて見たその日から、癸生川けぶかわさんの事が……!

 癸生川けぶかわさんの事がす……」


「ちょっと待ってください! 困ります!!」


 覚悟をきめたぼくの告白は、癸生川けぶかわさんにあっさりとき止められた。


 ……そりゃあそうだ。ぼくは誤解していた。


 うかれていた。完全に調子に乗っていた。


 ぼくはうぬぼれていた、会社のみんなにそそのかされて、植物公園のチケット売り場のおばさんと、植物公園の裏門のおじさんに背中を押されてうぬぼれていた。


 うかれていた。完全に調子に乗っていた。


 ぼくは務めて平静を装って、笑いながら癸生川けぶかわさんに返事をした。


「そ、そうだよね……おかしいよね。会社の命令で告白なんて……癸生けぶ……」


「それ! やめてください!」


 は?


癸生川けぶかわって呼ぶのやめてください! その名前で告白するのは、絶対にやめてください……その、お願いします」


 癸生川けぶかわさんはレースのような前髪をゆらしながら、頭を下げた。


 可愛い。


「そ、その、できれば名前で……告白……してください。

 蓮華れんげって呼んでください。できれば……その……れんちゃんって……呼んでください……お願い……します……」


 癸生川けぶかわさんは頭を下げて、小さく肩をふるわせていた。


 可愛い。

 可愛い。

 とても可愛かった。


 癸生川けぶかわさん……じゃない、蓮華れんげ……じゃない、れ、れれ、れんちゃんは、とてつもなく可愛かった。


 可愛かった。


 ぼくは、抜けるような青空の中を、巨大ススキを背にして、芝生をもふもふと踏みしめながら歩いて行った。


 告白を仕切り直すためだ。


 癸生川けぶかわさん……じゃない、れ、れんちゃんも、芝生をもふもふと踏みしめながら、ぼくの三歩後ろをついてきた。 


 紅葉もみじ園はすごかった。一面が真っ赤だった。


 上を見上げると、枝振りは豊かに真っ赤に染まっていて、足元も、落ち葉で一面真っ赤に染まっていた。


 綺麗だった。


 あまりの光景に、ぼくは歩みを止めて息を飲んでいると、癸生川けぶかわさん……じゃない、れんちゃんがいつの間にかぼくの右側に立っていた。ぼくの右側で、真っ赤な紅葉もみじ園に息をのんでいた。


 綺麗だった。


 息を飲んでいると、風が吹いた。数えきれない紅葉もみじが枝からこぼれ落ちて、宙を舞った。一面が真っ赤になった。


 綺麗だった。


 れんちゃんは、ぼーっと紅葉こうようを見ていた、紅葉もみじ見惚みとれていた。美しい紅葉こうようの海にたたずんでいた。


 綺麗だった。


 風がやむと、紅葉もみじが一枚、れんちゃんの肩に乗った。オーバーオールの上に羽織った白いカーディガンの上に乗った。赤い紅葉もみじが白いカーディガンに映えた。ことさらに赤く映えた。


 綺麗だった。


 ぼくは、れんちゃんの肩に乗った紅葉もみじをそっと取った。それに気づいたれんちゃんは、陶器の様な白い肌を真っ赤に染め上げた。


 綺麗だった。


 ぼくは、れんちゃんに告白した。


れんちゃん、初めて見た時から大好きでした」


 れんちゃんの顔が、さらに赤くなった。


 綺麗だった。


「会社のみんなに、そそのかされたからじゃないです。

 本当に純粋に、ずっとれんちゃんが好きだから、告白します。

 れんちゃん、好きです。付き合ってください……」


「…………………はい……………おねがいします」


 れんちゃんの顔が、ことさらに赤くなった。真っ赤になった。こんなに綺麗な赤色は、見た事がなかった。紅葉もみじ園は一瞬に色あせた。それくらい、れんちゃんの真っ赤に染まった顔は、圧倒的に美しかった。


 綺麗だった。


 ぼくは、すっと右手をだして、れんちゃんの左手をにぎった。


 冷たかった。


 れんちゃんの左手は、秋の抜けるような青空のなかの澄んだ空気にさらされて、冷たくなっていた。ぼくは、冷たい左手をぎゅっとにぎって、紅葉もみじ園を歩いた。真っ赤に染まった紅葉もみじの絨毯をサクサクと踏みしめながら、歩いて行った。


 れんちゃんは、ぼくの右側で、紅葉の絨毯をサクサクと踏みしめながら、一緒に歩いた。ぼくは、小さなれんちゃんに合わせて、ほんの少しだけ歩幅を小さくして、れんちゃんといっしょに、紅葉の絨毯をサクサク、サクサクと歩いて、植物公園の入り口に向かって行った。


 ぼくとれんちゃんが、手を繋いで植物園から出ようとしたら、おばさんがほがらかに声をかけてきた。


「あらー、あらあら! お幸せに!!」


 ぼくは、れんちゃんと一緒にほほを真っ赤に染め上げた。

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肩の紅葉は背中を押す。 かなたろー @kanataro_

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