93 酔っ払い
ダールたちが学舎に向かって十時間後のこと。夕刻前の無人販売所イースターパーティーにある客が来店した。
「いらっしゃいまふぇ〜、よっと〜、ひぃっく、うぇえ、店は広いのぉ〜、うぅ〜、ひぃっ」
千鳥足で店内に入ってきたのは、顔が真っ赤の
千鳥足、真っ赤に染まった顔、そして独り言をぶつぶつと大声で呟いている。このことから来店した兎人族のおじいちゃんは酔っ払っていることがわかる。
前頭部とテッペンがハゲ頭で後頭部のみ白髪が生えている。身長は低身長のクレールよりは少しだけ高いがそれでも男なら低い方である。
服装は地味な民族衣装のようなものを着こなしている。
そんな酔っ払いおじいちゃんの大声に気付いたマサキは真っ先に覗き穴に向かった。店内を確認できる覗き穴だ。
「おいおいおい嘘だろ……俺の一番嫌いな酔っ払いじゃんか……兎人族の里にもいるのかよ……と言うかまだそんなに暗くないのに飲み過ぎだろ。完全に出来上がっちゃってるし、ふらふらだぞ……」
マサキは呆れながら小声でぶつぶつとぼやく。その隣で白銀髪で雪のように白い肌のネージュも青く澄んだ瞳で覗き穴を覗き始めた。
「酔っ払いなのによくここまで来れましたね。飲み屋さんからは相当離れていますのに……」
「だよな。と言うかガチの酔っ払いはこの里で初めて見た……早く帰ってくれ……」
マサキは願った。酔っ払いのおじいちゃんが何事もなく帰ってくれることを。
しかしマサキの願いは虚しく酔っ払いのおじいちゃんはその場に座り込んでしまった。
「ここは椅子すらもないのか〜。うひぃっ。年寄りに優しくないのぉ。あぅひぃっ………………ぐっ……ぐがー…………ぐっ…………ぐがーぐがー……」
座り込んだ流れのまま力尽きて寝てしまった。
「おいおい勘弁してくれよ……なんで寝るんだよ……これだから酔っ払いは嫌なんだよ。それに一人だし俺たちが起こさなきゃいけないじゃんか……」
「え! 私たちが起こすんですか? 起きるまで待ちましょうよ……」
「俺だって起きるまで待ちたいけど、酔っ払いってやつは朝まで寝るぞ……それにまだ店は営業時間だ。他のお客さんが店に入れなくなる。早めに起こして追い出さないとマジで酔っ払いは起きなくなる。早いうちに起こしに行かなきゃダメだ……」
居酒屋で働いていたマサキは酔っ払いの厄介さを知っている。攻撃的な態度を取る酔っ払いよりも眠ってしまいなかなか起きない酔っ払いの方が厄介だということを知っているのだ。
酔っ払いを一度眠らせてしまえば最後。どんなに声をかけても、どんなに体を揺さぶっても、どんなに時間が経っても起きてはくれない。
警察を呼んで起こしてもらおうとしてもなかなか起きずに店内に居座り続けるのである。もちろん酔っ払いが眠っている間は、一席分埋まってしまう。それは店にとって営業妨害と言っても過言ではないかもしれない。
居酒屋のように席が多い店ならまだ許せるかもしれないが、無人販売所などの席がない狭い店内ではかなりの迷惑である。
他の客が来店したとしても、眠っている酔っ払いが店内にいれば、面倒ごとに絡まれたくないと思いすぐに店を出て行ってしまうだろう。
これこそ営業妨害そのものである。
ただでさえ暇が続いた無人販売所イースターパーティーだ。店内で眠られて営業妨害されるのはマサキたちにとって最悪な事態なのである。
だからこそ酔っ払いをすぐに起こして帰らせることが、マサキたちの最善の行動なのだ。
「わ、わかりました。で、でもどうやって起こすんですか?」
「それが問題だよな。今日に限ってダールはいないし……」
「
「だよな……俺たちでなんとかするしかないよな。困ったなー。どうすっかな……」
マサキとネージュは酔っ払いをどうやって起こせばいいのか悩んでいた。
普通に声をかけて起こせばいいものの二人は覗き穴がある壁から一歩も動こうとしない。
「ここはマサキさんが起こしに行ってくださいよ」
「い、嫌だ。俺は嫌だぞ。酔っ払いとなんて関わりたくない。それにこの手の酔っ払いは話が伝わらないから俺が起こしに行っても無駄だってことがわかる」
「でもそれじゃあさっき言ったみたいに朝まで起きてくれませんよ」
「だ、だったらネージュが行ってくれよ。俺は本当に無理なんだよ。酔っ払いだけは無理なんだ……」
居酒屋時代の辛い経験を思い出すマサキはその場から動けずにいたのだ。
頭では酔っ払いを起こして店から出さなければいけないとわかっているのだが、体が言うことを聞かない。心が拒んでいるのだ。
「わ、私だって無理ですよ。声かけられませんし、起こせる自信ありませんよ……」
「だよな……」
恥ずかしがり屋のネージュは人と接する機会が少ない。なので酔っ払いの対応はネージュにとってハードルが高すぎる壁なのである。
そのことを知っているマサキは無理に要求することなく違う手を考え始めた。
そんな時、甘い声が二人の耳に届いた。
「クーが起こすぞー!」
二人に救いの声を届けたのはクレールだった。まさに救世主と呼べるほどである。
クレールは片方だけ大きなウサ耳が原因で人前に出るのを嫌がる。そして人前に出る際は透明スキルを発動して透明になるのである。
しかし今回のパターンでは姿さえ見られなければクレールは眠っている酔っ払いの前に行き体を揺さぶったりして起こすことが可能だ。
そんな救世主のクレールに、今まで体が動かなかった二人は飛びつき抱き付いた。
「クレールクレールうぉおおクレールクレール!」
「クレールは本当にいい子です。本当にいい子ですよ!」
クレールに抱き付いた二人は顔を擦り付けてクレールに感謝をしている。
「く、くすぐったいぞー。そ、それに褒めすぎだぞー」
まんざらでもない様子でクレールは喜んでいる。
「でも相手は酔っ払いだ。何されるかわからないからな。変なことされる前に逃げてもいいからな。可愛い可愛いクレールがあんな酔っ払いに何かされるのはごめんだ。いいか? 少しでも嫌なことがあったらすぐに戻ってこいよな」
「心配しすぎだよ」
酔っ払いの厄介さを知っているからこそマサキは心配し過ぎてしまうのだ。
「いや、心配しすぎなもんか。心にできた小さなヒビはいつか大きくなって割れるんだぞ。そしたら俺みたいになっちまう。俺の人間不信は酔っ払いから始まったよなもんだからな。本当に無理するなよ」
マサキの説得力ある言葉にクレールは返す言葉が見つからなかった。
クレールを心配する言葉は終わらない。マサキと同じく心に大きな傷をおった美少女が口を開いた。
「そうですよ。他人に恐怖心を抱いたら透明になれるからといってもすごーく怖いんですからね。もう外に出たくないくらい怖いんですからね。だから無理しないでくださいよ」
マサキ同様に説得力のある言葉にクレールは返す言葉が見つからない。
ここまで心配されるのなら酔っ払いを起こすのをいっその事やめてしまいたいと思ってしまう。
しかしクレールは一歩踏み出した。
ダールがいないこの状況で唯一酔っ払いに立ち向かえるのがクレールだけだからだ。マサキとネージュのためにクレールは未知なる敵『酔っ払い』と戦うのである。
「クー頑張る!」
クレールは気合いの入った声を発した。その声に心配そうな表情で見つめていたマサキとネージュは頷いた。
頷く二人の顔を見てからクレールは店へと繋がる通路へと入って行った。
(もし起こせなくても引っ張って外に出しちゃえばいいよね。かわいそうだけどお店の中は迷惑だから他のお客さんに見えないところで寝てもらおう。よし、透明スキル発動!)
クレールは通路を歩くわずかな時間で作戦を練った。そして透明スキルを発動して姿を消した。
(クーはできる子。クーは可愛い子。クーはできる子。クーは可愛い子)
何度も同じ言葉を頭の中で繰り返し緊張をほぐしている。未知の敵『酔っ払い』との戦いにクレールは緊張してしまっているのである。
通路に掛かるカーテンが揺れた。透明状態のクレールが店内に入ったのである。
「よし! 行くぞー!」
クレールは一歩進んだ。
すると酔っ払いから出ている酒の臭いがクレールの鼻腔を刺激した。
その瞬間、クレールの二歩目は前でなく後ろへと下がったのである。
そして勢いよく三歩目四歩目を踏み込んで部屋へと戻っていった。通路に入ってわずか五秒で部屋に戻ったのである。
「うわぁあああああああああああんっ」
部屋に戻った瞬間クレールは透明状態を解除して泣きながらマサキに向かって飛びついた。
覗き穴から店内の様子を見ていたマサキは突然飛びついてきたクレールを受け止めきれずにそのまま床へと倒れてしまう。
そのままマサキは、床に倒れた際に受けた腰と背中のダメージよりも泣きながら飛びついてきたクレールの心配をする。
「ク、クレール! ど、どうした! どうしたんだ!」
「クレール大丈夫ですか!?」
クレールは泣きながら今にも吐きそうな表情だ。
そんなクレールの背中をネージュは優しく撫でた。
「うっ……うぇ……よ、酔っ払いが……酔っ払いが……ゔぉぇ……」
「酔っ払いがどうしたんだよ。この一瞬に何があった!?」
「酔っ払いのお酒のニオイが臭くて臭くて気持ち悪い……ゔぉぇ……」
クレールは一息吸った酒の臭さにトラウマを植え付けられてしまったのである。
「ちょっと待っててくださいね!」
クレールが戻ってきた原因を知ったネージュは小さな背中を撫でるのをやめて飛び出した。
ネージュが戻ってくる間はマサキがクレールを慰める。
「たった一瞬で幼い少女にトラウマを植え付けるだなんて……酔っ払い……恐るべし……だ、大丈夫かクレール? やっぱり行かせるべきじゃなかった。よしよし。考えすぎるな。忘れるんだ。クレールはよく頑張った。がんばったぞ。というか俺の上で吐かないでくれよ……」
マサキは泣きついているクレールの頭を優しく撫でた。嘔吐される恐怖もあったがそれ以上にクレールを落ち着かせるのを優先にしたのである。
(落ち着いてくれクレール。俺の上で吐かないでくれよ……でも……なぜだろう。クレールの吐いたものなら全然受け止められる気がするんだが……こっちの世界に来て兎人族の美少女たちと一緒に生活するようになってから変な癖に目覚めたってのか……いやいや、待て待て、そんな癖あるわけない。落ち着け。クレール。いや、クレールよりも俺だ。落ち着くんだ俺……)
マサキが新たな癖に目覚めそうになった時、ネージュが戻ってきた。
「クレール! 今すぐ吸ってください!」
ネージュがクレールに渡したものはチョコレートカラーのもふもふ。そう、イングリッシュロップイヤーのルナだ。
クレールはルナを受け取り倒れているマサキの胸に置いた。ルナは無表情のまま「ンッンッ」と、声を漏らしてマサキの胸の上に座る。
そのルナをクレールは精一杯吸い込んだ。
「スーーーハースーーーハースーーーハー」
頭、背中、横腹、ウサ耳。ルナが嫌がらないありとあらゆる部位をクレールは吸い込んだ。
酒のニオイが体内そして記憶から魔性されるように目一杯吸い込む。息を吐く量は少なくただ吸い込み続ける。
「スーーーーーハーースーーーーーーハーー」
「ど、どうだ? 大丈夫か?」
「どうですか? 大丈夫ですか?」
心配の眼差しで見つめるマサキとネージュ。
二人の心配の声を聞いたクレールはいつも通りの呼吸に戻した。
「もぉぉもふもふ〜だよぉ」
クレールは笑顔を取り戻しルナをもふもふし始めた。
ルナの体や体毛から溢れ出ているウサギ臭はトラウマレベルのニオイを忘れさせるほどの特効薬だったのだ。
そんなクレールの姿にホッとするマサキとネージュ。
「落ち着いたみたいですね。よかったです」
「というかルナちゃんのウサギ臭ってそんなにすごいのか? どれどれ」
マサキは嗅覚をいつも以上に集中させて嗅ぎ慣れているルナのウサギ臭を思いっきり吸い込んだ。
「スーーーーーーハーーーーー。こ、これは依存性のあるニオイだ。スーーーーーハーーーーー」
ウサギ臭には依存性がある。そしてトラウマ級の酔っ払いのニオイを一瞬でかき消すほどのニオイでもあるのだった。
ネージュの咄嗟の判断とルナのウサギ臭のおかげで、クレールはトラウマを植えつけられずに済んだのであった。
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