94 もふもふ深呼吸

 酔っ払いの兎人族とじんぞくのおじいちゃんは無人販売所イースターパーティーの店内で眠ってしまった。

 そしてマサキが恐れていた通りのことが起きた。それは他のお客さんが来店して商品を選ばずにすぐに退店してしまうことだ。

 酒のニオイにやられたのか、眠っている酔っ払いが居るからなのか。どちらにせよこれでは商売にはならない。


 マサキたちは酔っ払いを起こし帰らせる策を練っていた。


「なんとかして起こして帰らせたいけど、スーーーハーーースーーーハーー」


「このままですとお店がお酒臭くなりますよ、スーーハーースーーハーー」


「クーはもう近付きたくないぞ、スーーハーースーーハーー」


 マサキとてネージュそしてクレールは会話をするたびにチョコレートカラーのイングリッシュロップイヤーのルナを受け渡し合っていた。そしてもふもふの体に顔を当てて思いっきりウサギ臭を吸い込んでいる。

 一種の依存症である。これをウサギ臭依存とでも呼ぼう。このウサギ臭を嗅いでしまったら最後、なかなか依存からは脱却することはできない。


「ンッンッ」


 されるがままのルナだが小さな声を漏らして嫌がる様子を見せなかった。むしろ無表情からでも喜びの感情が生まれていることが感じられるほどだ。

 だからこそマサキたちは余計にやめられなくなっている。


「よしっ。俺に名案がある。スーーハーースーーハーー」


「名案ですか?」


「そう。名案。ダールが帰ってくるまでルナちゃんのニオイを嗅いで待つ。どう? 名案だろ?」


「さすがマサキさんですね! そうしましょう! でも、それまで他のお客さんがお店に入れなくなりますよ……」


「それはもう目を瞑るしかない。だって俺たちじゃ酔っ払いを帰らせるどころか起こすこともできないよ。だったらダールに任せるしかない。そのためのダールだ」


「仕方ありませんね。そうと決まればルナちゃんを渡してください。順番ですよ」


 マサキは会話に夢中になりネージュに会話のキャッチボールもといルナのキャッチボールを忘れていたのだ。


「あっ、悪い悪い。忘れてた。そんじゃ渡す前に、スーーハーースーーハーー。はい!」


「スーーハーースーーハーー」


 ネージュはルナを待ちきれずに渡された瞬間に思いっきりニオイを嗅いだ。その姿はもはや違法薬物でも吸っているかのようだ。

 その横ではクレールが紅色の瞳をキラキラと輝かせ今か今かとルナを待っている。


「はい。次はクレールの番です。どうぞ」


「わーやったー! スーーハーースーーハーースーーハーー」


 クレールもルナを渡させた瞬間にウサギ臭を嗅いだ。先ほどよりも一回吸引が多い。そのことにマサキは真っ先に気付く。


「クレール、一回吸うの多いぞ」


「だ、だって……」


「しょうがない。今回だけだぞ」


「うん! じゃあ次はおにーちゃんの番だぞー!」


「スーーハーースーーハーースーーハーー」


 クレールを注意したばかりのマサキも一回吸引が多い。


「おにーちゃんも多いぞー!」


「し、しまった。耐えきれずに吸ってしまった……これが依存症ってやつか……なんて恐ろしいんだ……」


 三人は依存症の恐ろしさを身をもって体験したのであった。

 こうしてルナのウサギ臭を嗅ぎながらダールたちの帰りを待ち続けた。

 しかしダールたちは待てど待てど帰ってこない。そして時間はあっという間に過ぎて閉店時間となった。


「おいおいおいおい、もう閉店時間だぞ。なんでダールたち帰ってこないんだよ」


「何かあったのかもしれませんよ……デールとドールも一緒ですから心配ですよ」


「一番考えられるのは、暗くなってきたから兎園パティシエに泊まったとかかな。デールとドールくらいの幼い子供がいればマグーレンさんが『ワシの家に泊まっていけ』とか言いそうだし……」


「確かにそうですね。そ、それじゃあ今日はダールたちが帰ってこないってことじゃないですか!」


「そうなるな……」


「ど、どうするんですか! お店の閉店時間なのに閉店作業ができないですよ!」


 酔っ払いはまだ眠ったままだ。なので外へ出れない三人は閉店作業ができない。

 そして閉店することができなければその分の電気代がかかってしまう。ただでさえ売り上げが減りピンチの状態だ。無駄な出費は避けたいところ。


「もう……がやるしかないな……」


 マサキは覚悟を決めた。

 これ以上無駄な出費が重なれば自分たちの食費がなくなってしまう。そんな残酷な運命に抗うためにマサキはネージュに右手を差し出したのだ。

 言葉の通り『俺たち』でなんとかするつもりなのである。


「わかりましたよ。やるしかありませんね……」


「俺一人だったら絶対に無理だったけど、ネージュとならできる気がする」


「もう。調子いいんですから。でもわかりますよ。私もマサキさんと一緒ならできる気がします! 今までだってそうでしたから!」


 ネージュはマサキが差し出した右手を取った。そして雪のように白くて細長い指をマサキの指に絡め恋人繋ぎをする。

 その恋人繋ぎをした手からは相手の温もりを感じ勇気がみなぎってくるのだ。一人では到底感じることができないであろう勇気だ。


「クレールはここでルナちゃんを持って待っててくれ。俺たちの蘇生に必要だ」


「わかったぞー! スタンバイしておくぞー」


「ンッンッ」


 クレールとルナも準備万端だ。あとはマサキとネージュが戦場へと駆けるだけ。


「ネージュいいか。酔っ払いってのは話が通じない相手が多い。だからこそ俺たちの対応力が試される。でも酔っ払いの対応に正解なんて一つもない。だから出たとこ勝負になるぞ。そんで一瞬の判断が命取りになる……」


「わ、わかりました……」


「それと優しすぎるのはダメだ。酔っ払いはその優しさに甘えてくる。寝てる酔っ払いなら尚更だ。絶対に起きなくなる。だから時に厳しく時に優しくのギアを上手く変えながら注意しなきゃダメだ。でも厳しくすぎると今度は逆ギレされる可能性もある。そうなったら最後。会話が通じない一方的な会話が始まる。こればかりはどうしようもないが面倒なことにならないように気を引き締めるぞ!」


 居酒屋で働いていた時代に学んだ接客スキルが今でもマサキの心のどこかの引き出しに眠っていたのだろう。

 その接客スキルが酔っ払いのおじいちゃんを前にして目覚めたのである。

 そんな頼れる存在のマサキをネージュは青く澄んだ瞳で見つめていた。


「な、なんだかマサキさんが頼れる人に見えます。かっこいいです」


「そ、そうか? ちょっと照れる。けどもう一回言ってほしい」


「も、もう言いませんよ。は、恥ずかしいです」


 顔を赤らめたネージュ。本当に恥ずかしがっているのだと繋ぐ手のひらの温もりからマサキは感じていた。

 そのまま二人は息を合わせて一歩踏み出す。打ち合わせや合図を無しに二人三脚でもするかのような息の合った一歩だ。

 無人販売所イースターパーティーの店内へと繋がる通路を通る。勇気を振り絞って出して踏み出した二人は誰にも止められない。

 普段の二人からは想像できないほど堂々と歩いている。


 そしてカーテンの前へと立った。このカーテンの先こそが店内。つまり酒に潰れて眠ってしまった酔っ払いがいる店内だ。


(こっちの世界に来て酔っ払いの対応か……無人販売所なら無縁の存在になると思ったんだが…………でも今の俺はあの頃の俺とは違う。隣にはネージュがいる。後ろにはクレールとルナちゃんだっている。どんなことが起きても大丈夫だ。その証拠に心がめちゃめちゃ落ち着いてる。自分でも信じられないが緊張なんて一切してない。いける。いけるぞ)


 マサキは確信した。酔っ払いを起こすことができると。そして鋼の精神で挑めば精神的ダメージを受けることはなくなるのだと。


「マサキさん。行きましょう! 成長した私たちの力を試しましょう!」


 ネージュも緊張しているというよりもワクワクしているといった様子だ。

 人間不信のマサキだけでなく恥ずかしがり屋で人前に出るのを拒んでいたネージュもいつの間にか成長していたのだ。


「そうだな。俺たちの力を存分に試そうぜ! 相棒!」


「はい!」


 二人は堂々とカーテンを開けて一歩踏み出した。

 その一歩はクレールが踏み出してトラウマを植え付けられそうになってしまった一歩だ。

 二人の鼻腔には強烈な酒のニオイを感じた。それと同時にクレールが感じた悪臭はこれかと酒のニオイに対して怒りを覚える。


(く、くさ……これは強烈なニオイだ……クレールが耐えられるはずもない……ルナちゃんがいなければ一生心の傷として残ってたぞ……だから酔っ払いは嫌いなんだよ。絶対に起こしてやる!)


 二人は二歩目を踏みしめた。怒りを感じた二歩目は力強いものだ。

 そして三歩目も同じように踏みしめた。気持ちよく眠っている酔っ払いまでのあとわずか。


「お、お客さん! お、起きてください!」


 マサキは先に声をかけた。その声は突然出た声だったので喉が閉まりきっていて思うように声が出せていないといった状態だ。

 しかし声をかけることができたということはそれだけ成長したということ。

 この調子で四歩目を踏み出してほしいところだが、二人は四歩目が出なかった。


 マサキは声を出したことによって心の奥に潜んでいた緊張感が姿を現しマサキを蝕み始めたのである。その緊張感は勇気や覚悟を一瞬で呑み込む。

 本来なら四歩目を踏み込むことで、姿を現し心を蝕んだ緊張感を抑制することが可能なのだが、その一歩をさせまいと強烈な酒のニオイが邪悪なオーラのように空気中を漂っているのである。


「うっ……」


 マサキはここで激しい嘔吐感を味わう。


「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」


 横にいるネージュも顔色を悪くして震え始めてしまった。今にも吐き出してしまいそうなほど顔は青い。否、緑に近い。


「……ゔぉ」


 吐瀉物が食道を通る感覚を味わう。もう直ぐそこまで来ている。しかしここで吐くわけにはいかない。

 けれど心と体が限界だ。これ以上は心身ともに負担がかかってしまう。

 二人は踏み出せなかった四歩目を後ろへと足を動かした。一歩二歩と戻っていく。

 三歩進んで二歩下がにある。

 そのまま方向転換。全力で部屋へと飛び込んだ。


「む、無理でしたー!!!!」

「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」


 部屋に飛び込んだ二人はクレールの前までキレイに滑り込んだ。ボウリングの玉のようにキレイにそして滑らかに。


「おにーちゃん! おねーちゃん! ルナちゃんを吸って!」


 クレールは滑り込んできたマサキとネージュの間にルナを置いた。どちらかを優先するのではなく同時にルナを吸ってもらおうとしているのである。

 マサキとネージュは倒れながらもルナのもふもふに顔を埋めてウサギ臭を思いっきり吸い込んだ。


「スーーーーーーーーーー」


 どこまでもどこまでも吸い込む。一向に息を吐く気配がない。


「スーーーーーーーーーー」


 肺がパンパンになるまでウサギ臭を吸い込んだ。そして肺が限界を迎えて息を吐き出す。深い深い深呼吸だ。


「ハーーーーーーーーー」


 二人は生き返った。

 ルナのウサギ臭を体内に取り込むことによって先ほど受けた精神的ダメージを回復することができたのである。

 これは魔法やスキルの類ではない。そしてルナが幻獣だからという特殊なことでもない。ただウサギという生き物が素晴らしい存在だというだけなのである。

 ウサギは世界を救うということだ。


 ルナを吸うことに夢中になっているマサキとネージュは精神状態を回復し、ふと瞳を開けた。それも同時にだ。

 日本人らしい黒瞳と青く澄んだ瞳が交差し合う。

 交差し合った瞳からマサキとネージュの顔が近いことがわかる。その距離ウサギ一匹分。

 二人は急激に顔を赤らめた。なぜならルナを挟みながらキスをしているように思えたからだ。


 人間不信のマサキは恋人を作ったことがない。もちろん恋人がいないのだからキスをしたことがないのだ。

 人間不信になる前の学生時代もそうだ。もしかしたらその時から人間不信の節があったかもしれない。そのせいで恋人は一度もできたことがないのである。


 恥ずかしがり屋のネージュも同じ。恥ずかしがり屋な性格から学者などにも行けず友達はおろか家族以外の知り合いがいなかった。

 そんなネージュも恋人などできたことがない。ましてやキスなどもしたことがない。


 そんな二人がルナを挟みキスしているかのような状態になって緊張してしまっているのである。

 実際にはキスはしていないし、今までだって距離が近かったが、瞳が交差したタイミングや安心感などからそのように思ってしまったのである。


 二人は恥ずかしさのあまりルナを吸うのをやめた。同時に繋いでいた手を離して立ち上がり距離をとった。


「ど、どうしたの?」


 クレールが小首を傾げている。当然の反応だろう。

 今までお互いをそこまで意識していなかった二人が急に意識をし始めたのだから。


 そんなマサキは誤魔化すかのように口を開いた。


「あ、えーっと……今日は店の閉店ができないな……」


 続けてネージュが口を開く。


「仕方ありませんよね。起きてくれるまで待ちましょう」


「そうだよな。でも見た感じなかなか起きないぞアレは……ダールが帰ってくる方が先かもしれないからダールに酔っ払いのことは任せよう」


「そうですね」


 普通に会話をする二人。

 先ほどのキスのような現象は気のせいだと、錯覚だと、勘違いだと、頭の中で言い聞かせて自分を誤魔化し、いつも通りの接し方をしているのである。


「酔っ払いには勝てなかった。俺たち完全敗北だ。このまま休もう」


 マサキたちは負けを認め酔っ払いがいなくなるその時まで部屋で待機することになった。

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