89 悪魔と大きな耳

 クレールは幻獣の本を探している途中に『悪魔と大きな耳』という絵本を見つけた。

 これはクレールを苦しめていた三千年前から伝わる伝承を絵本にした書物だ。

 著者はもちろん三千年前の兎人族とじんぞくの神様アルミラージ・ウェネトだ。


「……」


 クレールは無意識にその絵本を手に取っていた。

 孤児院を抜け出した後、何度も何度も読んだ絵本だ。内容は今でも体に染みついている。そして受けた傷は心に刻まれている。

 クレールはそんな絵本を再び開いて読み始めた。

 あの頃と今は違う。だから違った観点で絵本を読めるかもしれないと思ったのだ。

 クレールは自分が透明になっていることを忘れて一ページずつ丁寧に本をめくっていった。





 悪魔と大きな耳

 著者:アルミラージ・ウェネト

 改変・絵:ガルドマンジェ


 赤子が産まれた。


 赤子は子供へと成長した。


 子供の耳は片方だけが成長した。


 片方は顔の半分を隠すほど大きな耳。


 片方は髪に埋もれてしまい目視できないほど小さい耳。


 親は不思議に思っていた。


 しかし親は子を可愛がった。


 ある日。


 悪魔が現れた。


 悪魔は世界を滅ぼすほどの力を持っている。


 しかし肉体はない。


 悪魔は大きな耳を持つ子供を依代よりしろに選んだ。


 親は子を助けるため悪魔と戦った。


 しかし悪魔は子供を呑み込んだ。


 それでも親は諦めずに戦った。


 その結果、子供の大きな耳を切り落としてしまった。


 すると悪魔は苦しみ出した。


 苦しんだ悪魔は子供の体から消えていった。


 子供は助かった。


 助かった代償に耳が切り落とされた。


 しかし左右の耳の大きさが同じになった。


 普通になったのだ。


 子供は大人へと成長した。






「……これで終わり」


 クレールは小さな手で持っている絵本をパタンと閉じた。


「この絵本は『白き英雄』の時みたいにめでたしめでたしがない。まだ絵本の続きがあるのかな?」


 物語の終わりを告げるお決まりの一文がない。まるで物語が続いているかのような終わり方だ。

 そんな終わり方をした物語にクレールは納得していなかった。

 そもそも自分を苦しめた物語に納得などできるはずがない。それでもしっかりと終わってほしかったと思っている。

 大きな耳を切られた子供が大人に成長してどうなったのか。クレールは知りたいのである。


「兎人族の神様が書いた絵本だからこの絵本も『白き英雄』と同じで予言してるのかな? クーのことではなさそうだけどクー以外にこんな耳の兎人っているのかな? 見たことないけど……きっと遠い未来の予言だよね」


『白き英雄』のように予言の書だという噂をクレールは聞いたことがない。

 なので過去の物語だと認識していたが冒頭に『むかしむかし』などのお決まりの文章がないことにどうしても引っかかっているのだ。

 しかし考えても答えは出ない。予言の書だとしてもクレールのことではないしこの時代を生きる兎人族のことではないとクレールは思っている。


「わからないことだらけだけど久しぶりに読めてよかった。クーは今は幸せだよ。この耳があっても幸せ。すっごく幸せ。これからも絶対に幸せだよ」


 透明状態のクレールの言葉は誰にも聞こえない。

 しかしクレールは絵本に向かって語り続けた。幸せである今をこの絵本に、この絵本を書いた兎人族の神様に伝えたかったのだ。


 クレールは絵本に幸せを伝え終えた後、もともと置いてあった本棚に絵本を戻した。その時、マサキたちの声がちょうどクレールのウサ耳に届いた。


「クレールいるかー? クレールクレール〜」


「クレールどこですかー?」


 マサキとネージュは螺旋階段を降りながら透明状態のクレールの名を呼ぶ。図書館のスタッフに怒られないように小声で呼んでいるのである。

 そんな二人に向かってクレールは走り出した。そしてマサキの黒いジャージを引っ張り返事をした。


「おっ。引っ張られてる。ってことはクレールだな。やっと見つけた。もう少しで帰れるから逸れるなよな?」


「うん!」


 クレールは子供のような無邪気な笑顔をマサキに向けながら返事をした。その声は透明スキルの影響でマサキとネージュの耳には届いていないがそれでも声を出して返事がしたかったのである。


「あとはダールだけですね。もうそろそろ入り口ですよ……」


「どこにいるんだよ。ダールがいなきゃ俺たち図書館から出れないぞ……」


「こ、怖いこと言わないでくださいよ! ダールのことですしもしかしたら最初の本棚の付近でお腹を空かして倒れてるかもしれませんよ」


「スキル使わなきゃ腹ぺこで倒れることないだろ。って言いたいところだけどダールならあり得るか……時間も結構経ったしな……嫌な予感がする……」


 マサキの嫌な予感は的中してしまった。

 ダールは受付からわずか二十メートルほどのところで倒れていたのである。

 ちょうど受付にいるスタッフからは見えないところで倒れているので注意されることなく倒れ続けていたのだ。


「ダール。おい。しっかりしろ! ダールがいなきゃ本当に俺たちここから出れないぞ!」


 マサキがダールの肩を激しく揺さぶった。

 腹ぺこ状態で倒れているダールは一度として起き上がったことはない。しかしマサキは揺さぶり続けた。

 するとダールは自らの力だけで起き上がった。


「兄さん……それに姉さん……どうでしたッスか? 見つかったッスか?」


「あ、あれ? お腹空かして倒れてたんじゃないのか?」


 普通にしているダールを見てマサキは唖然とする。今までこんなあっさりと起き上がったことがなかったからだ。


「お腹は空いてないッスよ。いや、嘘ッス。寝てたらお腹空いてきたッス!」


「え? 今なんて? 寝てたって言った?」


「寝てたッスよ。本探してたら眠くなったッス! でもスタッフに本を探してもらったりここまで一人で探してたりしてたッスからアタシにしては上出来だと思うッスよ!」


 ダールは飽きやすい性格から本を探している途中で睡魔に襲われてしまい寝てしまったのだ。

 人目を気にせず図書館の通路でマサキたちが戻ってくるまで堂々と寝ていたのである。


「確かに飽きやすい性格で仕事サボってクビになったって言ってたもんな……こんな堂々とサボられたらクビにされるわな」


「に、兄さん、で、でもアタシはこれでも頑張った方ッスよ。お願いです。兄さん! アタシをクビにしないでくださいッス! アタシを見捨てないでくださいッス!」


 クビにされることが相当嫌なのだろう。ダールはマサキの足にしがみつき上目遣いで懇願し始めた。


「見捨てないしクビにしないよ。それに声がデカい。また怒られるぞ」


「ほ、本当に見捨てたりしないッスか?」


「絶対に見捨てたりしないから離れてくれ……」


「に、兄さん! 一生着いていくッス!」


 嬉しさのあまり大声を上げてしまうダール。そんなダールの声に気付いた図書館のスタッフはダールよりも大きな声で注意をする。


「うるさいですよ! 静かにしてください!」


 その声に平常心を保っていたマサキとネージュが怯えてしまい小刻みに震え始めてしまった。


「ガガガッガガガガッガガガガッガガガッガガガガッガ……」

「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」


 マサキとネージュは小刻みに震えた状態のまま本棚が始まるスタート地点へと戻ってきた。

 図書館のスタッフからすれば来館した時と小刻みに震えている二人の姿が全く一緒なので本探しをしていたこの二時間はずっと震えていたのだろうと思われてしまっている。


「ンッンッ」


 ルナは小刻みに震えるマサキの振動を感じて声を漏らしている。一種のマッサージ機のようなものだ。


 このままマサキたちはダールを先頭にして図書館を出ようとした。

 計二時間の本探し。幻獣について得た情報は『白き英雄』に書かれた内容のみだった。

 その内容は幻獣はイングリッシュロップイヤーのような見た目をしたウサギで白き者と黒き者と呼ばれる二人の人物を背中に乗せれるほどデカいということ。そして二人を乗せて空を自由に飛べるということだけだ。

 そんな収穫ゼロの情報で落ち込む中、最後の最後に希望の声がマサキたちの降り注ぐ。


「お客様、幻獣について記載された書物を地下の保管庫から見つけましたよ。改変などはされていない当時の貴重な書物ですので本棚には置かれてなかったみたいです」


 それは喉から手が出るほど欲していた幻獣について記載された書物だった。

 ダールは嬉しそうしながら震えているマサキとネージュに声をかけた。


「兄さん姉さん! よかったッスね! 幻獣についての貴重な書物ッスよ!」


 ダールが図書館のスタッフに本を探すように伝えていなかったら見つからなかった書物だ。

 約二時間ほど寝ていたダールが本探しに一番貢献したのである。

 そんな貢献者のダールに向かってマサキとネージュそして透明状態のクレールは飛び付くように抱き付いた。そしてウサギの愛情表現のように各々が頭をダールの体に擦り付けている


「ガガガッガガガガッガガガガッガガガッガガガガッガ……」

「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」


 マサキとネージュは震えていて何を話しているかわからない。そして透明状態のクレールからは透明スキルの影響で声が聞こえない。

 なのでダールはマサキたちが伝えたい言葉をはっきりとわかっていない。ただわかるのは抱き付きながら喜んでいるということだけだ。大喜び状態なのである。


「わかったッスから! わかったッスから! くすぐったいッスよ! あっ! 兄さんどさくさに紛れて触っちゃいけないところ触ったッスね!」


 ダールはそんな冗談を溢したがそれも照れ隠しのためだ。

 しかし冗談を冗談とは受け取っていないマサキは震えながらも必死に首を横に振った。


「ガガガッガガガガッガガガガッガガガッガガガガッガ……」


「冗談ッスよ冗談! 兄さんと姉さんの気持ちは十分に伝わったッスよ。だからそろそろ離れてくださいッス」


 ダールの言葉を受けてマサキたちは離れた。そして若干引きながら待っている受付スタッフの方を見た。

 受付スタッフは変な集団の視線を浴びてゾッと背筋が震える感覚に陥りながら貴重な書物をダールに渡した。


「あちらの席でお読みください。読み終わったら受付まで持ってきて来てくださいね」


 スタッフに言われた通りにエントランスにあるウッドテーブルの席に四人は向かった。

 そして腰をかけて書物に目を通す。

 渡された書物は本物ではなくマサキたちに渡すためにコピーされた偽物である。コピーとはいえ持ち出し厳禁。それほど貴重な書物だということだ。


 その書物のタイトルは『幻獣の書』だ。

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