90 幻獣の書

 黒髪メガネの図書館スタッフに渡された『幻獣の書』のコピーを手に持つダールがマサキとネージュの顔を見てから口を開いた。


「それじゃあアタシが読んであげるッスよ」


 小刻みに震えるマサキとネージュ、そして透明スキル効果で透明状態になっているクレールでは『幻獣の書』を読むことは見ての通り不可能だ。

 なのでダールが率先して『幻獣の書』を読もうとしたのである。


「ガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガ……」

「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」


 マサキとネージュは小刻みに震えながらコクンコクンと頷いた。

 頷く二人の姿を黄色の瞳に映したダールは『幻獣の書』を読み始める。


「幻獣の書……ワシはアルミラージ・ウェネト。神様って呼んでちょーだい!」


 たった一行。たった一行を読んだだけでこの場にいる全員が嫌な予感を感じた。





 幻獣の書

 著者:アルミラージ・ウェネト


 ワシはアルミラージ・ウェネト。神様って呼んでちょーだい。


 ワシは幻獣のことを皆に知ってもらいたいのじゃ。


 だからワシは筆を取った。


 ここに幻獣の全てを記すために。


 ワシが知ってる幻獣はもふもふじゃ。


 もふもふというのは幻獣の体毛のことじゃ。


 皆が知らないのも無理はない。


 だってワシが考えた言葉じゃからな。


 この書物を読んでいる者がいれば、是非とも『もふもふ』という言葉を後世に残してほしいのじゃ。


 もふもふ。


 絶対に馴染むと思うのじゃよ。


 だってワシが作った言葉じゃからな。


 もふもふ。


 どうじゃ?


 いい響きじゃろ?


 もふもふについてもっと知りたくなったじゃろ?


 ワシが今から詳しく教えてあげよう。


 幻獣の体毛は一本一本ふわふわなんじゃ。


 なめらかなんじゃ。


 温かいのじゃ。


 くすぐったいのじゃ。


 お月様の香りがするんじゃ。


 それをまとめてもふもふと呼ぶのじゃよ。


 これがもふもふの全てじゃ。


 ワシが飼っておった幻獣はもふもふじゃったよ。


 どのウサギよりももふもふじゃった。


 だって幻獣はウサギよりも体が大きいからのお。


 大きいもふもふは最高じゃぞ。


 全身でもふれるからな。


 心と体が癒されるのじゃよ。


 この『もふれる』って言葉はもふもふから派生した言葉じゃ。


 もふもふ上級者のワシは自然とこの言葉が出る。


 この言葉も後世に残してほしいぞ。


 あとは『もふらせろ』『もふりたい』『もふる』『もふろう』など多様に使える便利な言葉じゃ。


 ワシもふもふって言葉生み出して天才じゃね?


 今書きながらそう思った。


 ワシ天才すぎる。


 それでじゃな。


 少し話を戻そう。


 さっきワシは幻獣を飼っておったと書いたじゃろ?


 お月様に行ったと思った者もいるじゃろうが安心してほしい。


 お月様には行っておらん。


 ただワシの前から姿を消しただけじゃ。


 なぜ姿を消したか気になるじゃろ?


 それはじゃな。


 ワシがしつこくもふもふしたからなんじゃ。


 一日中もふもふしたからなんじゃよ。


 だから幻獣は飛んで行ってしまった。


 嫌だったんじゃろうな。


 しつこ過ぎたんじゃろうな。


 もふもふの誘惑に耐えられなかったワシの責任じゃ。


 もっともふもふしたかった。


 それほどもふもふには中毒性があるのじゃよ。


 まるで魔法じゃ。


 お主らも幻獣を見かけてもしつこくもふもふしないようにするのじゃよ。


 程よくもふもふしてあげると幻獣も喜ぶからのお。


 これで幻獣のことは以上じゃ。


 これ以上はワシもよくわからん。


 まとめると幻獣はもふもふだということじゃよ。


 それだけ覚えておけば大丈夫じゃろう。


 あー。


 もふもふもふもふ書いてたらもふもふしたくなってしまったわい。


 ワシ最近もふもふ不足なんじゃ。


 もふもふが足りないのじゃよ。


 一刻も早くもふもふしなくてはいかん。


 これで幻獣の書は終わりじゃ。


 お主も素晴らしきもふもふライフを送るんじゃぞ。


 もふもふもふもふ。






「……よ、読み終わったッス」


 ダールは『幻獣の書』のコピーである紙の裏側を入念に調べているがここから続く文章は出てこない。これで『幻獣の書』は終わっているのだ。


 ダールの朗読を全て聞き終えた後、マサキは立ち上がり『幻獣の書』のコピーに向かって口を開いた。


「終始もふもふの事しか書いてねーじゃねーか! 最後のはなんだ! 『めでたしめでたし』みたいに『もふもふもふもふ』って使うな! ってか『もふもふ』って言葉、モジャモジャのウサ爺さんが考えたんかい! そこは、そこだけは正直驚いた……てか逃げられてんじゃねーよ! これじゃあ幻獣がもふもふって事しかわからねーじゃねーか! タイトルも『幻獣の書』じゃなくて『もふもふの書』に書き直せ! もしかして『白き英雄』も改変前はこんな文章だったのか? だから改変されたのか? 改変した人すげーよ。『白き英雄』めちゃくちゃ良かったよ。てか幻獣謎が多過ぎだろ! はぁ……はぁ……」


 呆れたマサキは体の震えがいつの間にか止まっていたのだ。そして周りの目などを気にする事なく息を切らしながら大声でツッコんだのである。

 取り乱しているマサキは目の前にある『幻獣の書』のコピーを破り捨てて暴れてしまうのではないかと思われるほどの勢いだ。


「お、お客様! お、お静かに!」


 マサキの大声に驚いた黒髪メガネの図書館スタッフがマサキを注意する。しかしマサキの勢いに押されて恐縮していた。


「ハッ!」


 その声に気が付いたマサキは顔を赤らめ我に帰った。そして再び震え出してしまった。


「ガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガ……」


(や、やばい。内容がアホすぎてついついツッコんじまった……お、俺らしくもない……やっちまった。は、恥ずかしい……くそ……全部モジャモジャのウサ爺さんのせいだ。頭の中に俺を嘲笑ってる姿が出てくる……)


 マサキの頭の中では冒険者ギルドの正面にある銅像の姿が鮮明に映し出されていた。その姿は髪や髭がモジャモジャなお爺さん。そう。兎人族の神様アルミラージ・ウェネトだ。

 銅像には色がないがマサキの頭の中で着色されて鮮明に映し出されているのである。そして声なども想像されて大声でツッコんだマサキに向かってアルミラージ・ウェネトは笑っていた。大爆笑だ。


(聞いたこともない声なのに頭の中で笑い声がずっとこだましてやがる……というか俺いつの間に立ち上がってたんだ!? は、恥ずかしい……と、とりあえず座ろう。穴があったら入りたい……)


 冷静さを取り戻したマサキは椅子に座った。そして恥ずかしさのあまり体を丸めて下を向いた。

 そんなマサキの背中をネージュが優しく撫でて励ます。


「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」


(あ、ありがと……ネージュ。俺を励ましてくれるんだな)


 震え続けているネージュはマサキに向かって励ましの言葉をかけているが震え過ぎていて言葉にはなっていない。しかしマサキは震えているネージュの言葉を完全に理解していた。

 そしてマサキの頭の上にいるチョコレートカラーのイングリッシュロップイヤーのルナは「ンッンッ」と声を漏らしている。ネージュと同じように恥ずかしがるマサキのことを励ましているのだ。

 さらに透明状態のクレールもネージュと同じように背中を優しく撫でていた。


 マサキが我に帰ったところで『幻獣の書』の朗読をしていたダールがマサキに向かって口を開く。


「いきなり大声を上げたんでビックリしたッスよ。兄さん大丈夫ッスか?」


「ガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガ……」


「いつも通りに戻ったみたいッスね。よかったッス。安心したッス」


 小刻みに震えているマサキを見て安心するダール。小刻みに震えていたら心配してしまうのが普通だが、ダールにとっては、この状況で小刻み震えているマサキこそがいつも通りの姿なのである。

 そんなマサキに安心したダールは『幻獣の書』のコピーを持って立ち上がった。そして受付に向かった。黒髪メガネの図書館スタッフに『幻獣の書』を返すためだ。


「探してくれてありがとうございましたッス。あとうるさくして申し訳なかったッス。わざとじゃないッスから許しくほしいッス……」


「いえいえ。丁寧にありがとうございます。次からは気をつけてくださいね」


「は、はいッス! アタシたちは用が済んだのでこれで帰るッス!」


「そうですか。また何かありましたらお気軽に図書館を利用してくださいね」


「はいッス!」


 マサキとネージュそしてクレールにはできない通常の会話。

 そんな会話を終わらせたダールはマサキたちが座っているウッドテーブルに再び戻った。


「幻獣の書返してきたッスよ。兄さんが言った通りとんでもない書物でしたッスね」


「ガガガガッガガガッガガガガッガガガッガガガガッガガガッ……」


 マサキは小刻みに震えながらダールに何か言っている。

 当然だが、ダールはマサキの震えた言葉を理解できずに小首を傾げた。

 そんなダールを見てマサキは言葉では通じないと理解して立ち上がった。そして図書館の出入り口を目指して歩き出した。


 マサキとネージュは小刻みに震えながらゆっくりと歩いている。その姿は老夫婦のようにも見える。


 マサキたちが図書館を出るのがわかった図書館スタッフは深々と頭を下げてマサキたちを見送った。

 声を出さなかったのは図書館のルールだ。他の来館者の迷惑を考慮したルールなのである。


 図書館の外に出るとマサキとネージュは走り出した。正面にある大樹に向かって猛ダッシュだ。


「こ、今度はどうしたんッスか!?」


 驚くダール。すぐさまマサキたちの跡を追いかけた。


「兄さん姉さん大丈夫ッスか!?」


 大樹の影に隠れているマサキとネージュに向かって言った。

 そのダールの言葉にマサキは返事をする。


「大丈夫だ。さっきは少しだけ取り乱した……ってやばい……思い出したら余計に恥ずかしくなってきた。胸がざわざわしてる。というか俺はなんであんなに大声でツッコんだんだよ。いや、考えるのはやめよう。考えれば考えるほど俺という人間はダメになる」


 マサキは流暢に喋った。

 図書館から出て人目につかない大樹の影に隠れることができたおかげで体の震えが止まったのだ。だからいつも通りに喋れるのだ。

 マサキと手を繋いでいるネージュも体の震えはピタリと止まっている。


「マサキさん気をつけてくださいよ。私まで恥ずかしかったんですから」


「だ、だよな……ごめん」


 謝るマサキ。この瞬間も頭の中で髪と髭をモジャモジャに生やした神様が映し出されていた。

 その神様を頭の中から消すためにマサキは喋り続けた。


「……幻獣についてほぼわからなかったけど、ルナちゃんはルナちゃんだ。これからどんどんルナちゃんのことを知っていければいいよな」


「そうですね。これから私たちでルナちゃんのことを知っていきましょ。よろしくねルナちゃん」


 マサキとネージュは目と目を合わせながら笑顔をこぼした。

 そしてネージュはマサキの頭の上にいるルナの頭を優しく撫でる。白くて細い指で優しくなぞるように撫でた。

 その後、薄桃色の髪の美少女が姿を現す。


「クーもクーも! ルナちゃんともっと仲良くなってルナちゃんのこと知りたいぞー!」


 両腕を上げて元気よく無邪気な笑顔で答えるクレール。


「ンッンッ」


 マサキの頭の上にいるルナは元気なクレールの姿を漆黒の瞳で見ながら声を漏らした。

 その漏れた声が耳に入ったマサキはルナの背中を撫でる。頭の上にいるせいでマサキの死角になっているがルナの背中を正確に撫でた。

 その姿を見てダールが口を開く。


「もふもふし過ぎないように注意しするッスよ! ルナちゃん空飛べるんッスから神様の幻獣みたいに逃げられちゃうかもしれないッスよ」


「ルナちゃんは大丈夫だよなー。もふられるの好きだもんなー。逃げたりしないよなー」


「ンッンッ」


 マサキはルナの背中をわしゃわしゃと激しく撫でた。

 神様の二の舞いになりそうだがマサキに懐いているルナなら逃げ出すことはまずないだろう。

 そんなマサキとルナの姿を見た三人の兎人族の美少女は微笑んだ。


「そんじゃ店の仕入れしてから帰るか。そんで帰ったら店の準備。それとルナちゃんのお風呂だ!」


 こうしてマサキたちは図書館を背に歩き出した。

 幻獣についての収穫はほぼゼロに等しいものだった。

 しかしマサキたちはそれでいいと思った。ルナちゃんことをこれから知っていけばいいのだから。ルナちゃんのことを知る楽しみが増えたのだと思えばいいのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る