27 キミが好きだ

 マサキは震えているネージュにかける言葉を探していた。その時、居酒屋で働いていた辛い時代を思い出していた。 


 居酒屋で働いていた時、迷惑な酔っ払いに絡まれていた時の記憶。

 迷惑な酔っ払いからの無茶振りに対応するマサキ。しかし迷惑な酔っ払いはマサキでは到底対応することができないほどの無茶振りを振ってくることがほとんどだ。

 毎回マサキは無茶振りに応えられず迷惑な酔っ払いに嫌な顔をされる。


 居酒屋で働いていると酔っ払いの客がタメ口で喋るということはよくあることだ。しかしマサキに絡む迷惑な酔っ払いは喧嘩口調で怒鳴ることが多い。


 注文を取る時はもちろん喧嘩口調。目線も合わせずに「これとこれとこれ」と指を差して注文をする。それも伝わらないほどの速さだ。


 料理やドリンクを持っていくと、必ずと言ってもいいほど「遅い」と怒鳴られる。挙げ句の果てには持ってきたばかりのドリンクをわざと溢す始末。

 そして謝りもせずにドリンクが溢れたことをマサキのせいにしてマサキが拭かされる羽目に。

 そんなマサキの姿を見て見下しさげすみ、迷惑な酔っ払いたちは優越感を抱いていたのだろう。


 迷惑な酔っ払いは必ずと言っていいほど『お客様は神様』という言葉を使う。

 だからマサキのことを人間として扱わずゴミのように扱っているのだ。


 マサキ自身は『お客様は神様』なんて言葉は概念ごと世界から消えてほしいと本気で思っている。


 迷惑な酔っ払いについて職場の先輩に相談しても「頑張れ」や「大丈夫だろ」などの一言で済まされてしまう。

 店長やマネージャーに相談しても「俺の昔の頃はな〜」など過去の話をされてなんの解決にもならない。


 マサキが欲しい言葉はそんな言葉じゃない。

 そもそも頑張って対応していてダメだったのだ。何をやってもうまくいかなかったのだ。マサキ一人ではどうすることもできなかったのだ。


 だからこそマサキはそんな軽い言葉を信じない。信じられない。

 そして苦しんでいる人の前では絶対に軽い言葉など使わないと心に誓っている。

 だからこそマサキは本音を、熱のある言葉をネージュにぶつけてネージュを心から救ってあげなければいけない。

 その心の底から出た本音こそがどんな言葉でもあの頃のマサキが求める言葉になる。そして今、ネージュが求める言葉でもあるのだと直感したのだ。


 マサキは左手を力強く握った。ネージュと手を繋いでいない方の手だ。

 そしてネージュを救うための言葉を言うためにネージュを呼んだ。


「……ネージュ」


「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……?」


 小刻みに震えるネージュ。少しだけ小首を傾げて不思議そうにマサキの方を見た。


「俺はネージュキミが好きだ!」


「マママママママママママママママママママサキさん! いいいいいいいいききききなりどうしたんですか!?」


 突然の告白に顔が真っ赤になるネージュ。インパクトの強い言葉に小刻みに震えていたネージュの体はピタリと止まった。

 その告白を聞いていたミエルは作業している手が止まり小さなウサ耳をピクピクと動かして次のマサキの言葉を聞き逃さないとしていた。


「俺はネージュが好きだ! ネージュに助けてもらったことを一度も忘れたことはない! だから俺もネージュを助けたい! 大好きなネージュと一緒に無人販売所を経営したい! だから一緒に頑張ってここを乗り切ろう! 俺も……俺もこの申請書を書くの手伝うから! 一緒に書こう!」


 マサキはこの時、初めて繋いでいる右手を離そうとした。しかしネージュはそれを拒んだ。拒まれることを知っていたマサキは席を立ちネージュに抱き付いた。

 ネージュは突然の出来事に驚き顔を赤らめた。その隙にマサキは右手を離した。


 右手を離したことによって二人は平常心が保てずにパニックになるかと思いきや何も起こらなかった。

 なぜなら二人は抱き合っているからだ。体と体の温もりを感じ合っている。


「マママッママママママママッママママママママママッママ」


 マサキはそのまま慌てているネージュの後ろに回り込んだ。バックハグ状態だ。

 そのままペンを持つネージュの右手の甲に自分の右手の手のひらを優しく添えた。


 後ろから抱きしめているような体勢になり周りの視線が一気に二人に集まる。

 だがそんなことを二人は気になっていない。

 なぜならネージュはマサキの大胆な行動に慌てていて周りが見えていない。そして恥ずかしさと嬉しさが交わった今までにない不思議な感覚に襲われていたのだ。

 マサキは目の前の壁に集中し過ぎている。そして震えるネージュをどうにかして勇気を与えてあげたいと必死なのだ。


 そんなマサキの大胆な行動のおかげで小刻みに震えるネージュの体はピタリと止まっている。そのことをマサキは感じ取った。


(止まってる。よかった。俺の気持ちが伝わったんだ…………って気持ちが強すぎてめちゃくちゃ大胆な行動取ってんじゃん。これが後ろからのハグ。バックハグか。我に返ったら何やってんだ俺。は、恥ずかしい。もしかして見られてる? 俺の背後から複数の視線を感じるんだが……で、でも今はネージュだ。他の奴らなんてどうでもいい。ネージュの震えが止まってくれたんだから…………って距離近い。あ、いい匂い。細い体なのにすごい柔らかい……って何考えてるんだ俺。今は目の前のことに集中だ)


「マサキさんありがとうございます」


 全く震えていない真っ直ぐなネージュの一言が後から抱きしめているマサキの耳にハッキリと届いた。その感謝の言葉を聞いたマサキは安堵する。

 そして周りの視線の事を考えるのをやめた。

 その直後、ペンに魂が入ったかのように文字が書かれていく。

 マサキの添えている右手はネージュの右手にピッタリと付いていく。まるで一緒にダンスをしているかのように。


 作業を止めていたミエルはクセでもあるため息を忘れてマサキとネージュを見ていた。

 そして乙女のように瞳をキラキラと輝かせていた。


 そんなミエルの事を気にせずに二人はすらすらと営業許可証の申請書を書き続けた。

 集中する二人からは震えている情けない姿など想像もできない。


 集中したマサキとネージュは五分ほどで営業許可証の申請書を書き終えることができた。

 書き終えた営業許可証の申請書をミエルに渡す。そのままミエルは申請書の確認をする。


 ミエルが申請書を確認している間、二人はいつものように震え始めた。

 この待っている間の緊張感は尋常ではないのだ。

 マサキも動こうに動けない状況なのでネージュを後ろから抱きしめたままだ。


 震えるいつもの二人に戻ったのを見たミエルは忘れていたため息を吐き始めた。


「はぁ〜、はぁ〜、確認は終わったよ。はぁ〜、それじゃ申請しておくんで、今日は終わり。はぁ〜。一週間くらいで記載されてる住所に、はぁ〜、営業許可証が届くから、はぁ〜、届いたらってのを営業していいよ。はぁ〜、次はかな? はぁ〜、羨ましいこと。はぁ〜、それじゃお疲れ。はぁ〜」


「こここここここここここここんいんとどけ……い、いや、そ、その、私たちはまだ、その、まだ、おおおおおお付き合いとかしてないですし、そ、その、さっきのこここここここ告白の、へ、返事も、というか、えーっといきなりだったんで、そ、そのビックリしちゃって、で、でも、そ、その、えーっと、あれは、そう、友達としてというかビジネスパートナーとしてというか家族としてというか……そう、家族として。家族としてだから深い意味はないというかなんというか……あ、で、でも、へ、返事は、ははは恥ずかしいです……」


 マサキの告白のような言葉を聞いていたミエルから婚姻届という言葉が飛び出しネージュは慌てていた。

 そして顔を赤らめ恥ずかしがりながら小声と大声のボリュームの調整がごちゃごちゃな独り言をでぶつぶつと呟いていた。

 そんなネージュを後ろから抱きしめているマサキは不思議そうな顔をしていた。


 こうしてマサキとネージュは営業許可証の申請書を書くことができたのだった。

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