第1章:異世界生活『営業開始編』

32 営業開始

 営業開始十分前。


「なんとか間に合ったな。安心した途端、体に溜まった疲労が一気に出てきたわ……二日間で一時間とちょっとしか寝てないからな……これ労働基準法とか完全無視の労働だぞ。意識し始めたら頭が痛くなってきた……というか眠すぎる……」


「お疲れ様です。今ならすぐ爆睡できそうですね。私も眠いです……」


 マサキは頭痛に襲われてこめかみ辺りを押し始めた。

 その横でネージュは大きなあくびをする。あくびの際に口の中にある小さな歯が見えるが可愛すぎる。


「……とりあえず最終確認してから店のオープンだ。そのあと寝よう。死んだように寝よう」


「お店を開けてから寝るって普通のお店とは逆でなんか変ですね。気になって寝れないかもしれません……」


「だよな……でも寝るぞ。絶対に寝る。もう頭痛も激しくなってきたし……」


 二人は無人販売所を開店するために店内の確認を始めた。最終確認だ。

 商品はきちんと並んでいるか。作った個数と並べた個数は正しいか。ゴミは落ちていないか。壁に貼られた説明文に間違いはないかなど細かくチェックする。


「ネージュが作った『ニンジングラッセ』が百五十個。そんで『新鮮なニンジンの葉』が三十袋。こっちの数は大丈夫だな。ネージュの方はどうだ?」


「はい。大丈夫でしたよ。マサキさんが作ったシュガーラスク、カレーラスクもどき、シナモンラスク、メイプルラスクそしてニンジンの皮ラスクの『ラスク五種類セット』のパックが七十袋。ピッタリです」


「よし。最終確認OKだな。陳列も綺麗で文句ない。ゴミも一つも落ちてないし店内は綺麗だ。これでオープンできるぞ!」


 二人は互いの商品の個数を確認し合った。そして作った個数と並べた個数が間違っていないかの確認が済んだ。


 ネージュは兎人族の森アントルメティエで大量に収穫したニンジンを使って得意料理のニンジングラッセを調理した。それを専用の容器に入れて百五十個分を用意した。

 そして百五十個分に使用した『ニンジンに付いていた葉』を丁寧に洗い三十袋分に分けた『新鮮なニンジンの葉』も用意してある。

 ニンジンの葉はおまけのような商品だが、農家で採れた野菜などをそのまま販売する無人販売所が主流なのでニンジンの葉が本来の無人販売所に一番近い商品なのかもしれない。


 マサキはパン屋が無料で提供していた食パンの耳を使ってラスクを四種類作っていた。シュガーラスク、カレーラスクもどき、シナモンラスク、メイプルラスクの四種類だ。

 そしてニンジンの皮を使ったラスクも開発して作り上げていたのだ。こんがり焼いたニンジンにマサキが作ったソースを付けたニンジンのソースラスク。

 味は焼肉屋で網の上で焼いたニンジンを焼肉のタレでいただくあのニンジンのようなものだ。

 その五種類を合わせたラスクのパックを七十袋用意したのだ。


 全商品合わせて二百五十個、商品棚に陳列されている。

 商品としての数は十分だろう。二人は三日分を作り上げたと想定している。そして賞味期限も三日間だと考えている。


「そんじゃ少し早いけど念願の無人販売所イースターパーティーをオープンするか! 記念すべきオープン日なのに頭痛が激しいのは最悪だけど……あー早く寝て体を休ませたい……」


「マサキさんあと少しの辛抱です」


「ネージュは大丈夫なのか? いてて……」


「私は目眩が少しだけです……私たち張り切りすぎちゃったのかもしれませんね」


「そうだな……そんじゃオープンしてぐっすりと寝るとしよう!」


「はい!」


 二人は無人販売所の開店よりも睡眠を取って体力を回復させることで頭がいっぱいだった。

 マサキは激しい頭痛。ネージュは目眩。体調を崩すというフラグを回収してしまったのかもしれない。


 先に歩くネージュが出入り口の扉に手をかけた。そのまま扉を開く。

 ネージュは半分ほど扉を開けたがすぐに扉を閉めた。バタンッと勢いよく扉を閉めたのだ。


「ど、どうした? なんで閉めた……ってネージュだ、大丈夫かよ」

「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」


 怯えながら小刻みに震えるネージュの様子を見たマサキは嫌な予感がした。

 マサキは小刻みに震えるネージュの横を通り扉を少しだけ開いた。そして開いた隙間から外の様子を覗く。


 バタンッ


 マサキもネージュと同じように勢いよく扉を閉めた。


「な、なんだあの行列は……信じられないほどの行列だぞ。そんでしっかり整列してるのも信じられない……」


「ガタガタガタガタガタガタ……ギョ、ギョウレツ……ガタガタガタガタガタガタガタ……」


 二人が見たのは兎人族とじんぞくたちの行列だ。『無人販売所イースターパーティー』に向かって行列ができていたのだ。


「大行列なのになんですぐに気が付かなかったんだ……扉を開けた瞬間ざわざわうるさかったのに……も、もしかしてこの大樹の家……ぼ、防音なのか……」


「ガタガタガタガタガタガタ……ボ、ボ、ボ、ボウオン……ガタガタガタガタガタガタガ……」


 外の声が聞こえなかったのは大樹の家が防音だからだ。なので扉を開けた時に兎人族たちの喋り声が一気にマサキたちの耳に届いたのである。


「防音の大樹の家。すごいな……ってそんなこと言ってる場合じゃない。どうすんのこれ? オープンしようにも人が多すぎて外に出れないんだが……看板をオープンにできないよ」


「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」


「ネージュ。だ、大丈夫だ。なんとかする」


「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」


 震えるネージュのためにもマサキは外にある営業を知らせる看板をひっくり返す方法を必死に思考し始める。


「えーっと………………そ、そうだ! ネージュ紙を書くんだ。看板をひっくり返してオープンにしてくださいって! それなら外にも出なくていいし誰にも合わなくて済むぞ!」


 マサキのアイディアに小刻みに震えていたネージュの震えがピタリと止まった。


「さ、さすがマサキさんです。今すぐ書きます! 今すぐに書きます!」


「震えが止まって良かった。震えてて書けないってことになったらどうしようかと思ってたよ……」


「私はそこまで重症じゃないので安心してください。誰とも会わなくて済むなら震える必要なんてないですからね!」


「さ、さすがだな……とりあえずこれで時間通り店をオープンできそうだ」


 ネージュは何も書かれていない白の紙に『お店の看板を変えてオープンにしてください』とすぐに書いた。

 急いで書いたせいで殴り書きのようになっているが文字を知っている兎人族なら読めない文字ではない。

 あとはこの紙を並んでいる兎人族の誰かに渡して看板を変えてくれればいい。それで店は営業を開始できる。


「だけど……この紙をどうやって渡すか……いや、渡す必要はない。誰かが気付いてくれればいい。そんで拾って読んでくれればいいはずだ!」


 マサキは再び扉を開いた。腕が通るくらいの少しの隙間だ。そこから紙を出し気付いてもらうために腕を激しく振る。


「くっ……腕を振るたびに頭痛が……こ、これくらいでいいだろう。誰か気付いてくれたよな?」

「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」


 扉を開けたせいでネージュは再び震え出してしまった。


 先頭で並ぶ兎人族は父母子供の家族だ。その兎人族の家族は入り口の扉から激しく動いている腕と紙に気が付いている。そして不思議そうに指を差し家族で会話をしている。

 さらに気付いたのは先頭の家族だけではない。二番目に並ぶ兎人族の青年、三番目に並ぶセクシーな兎人族、四番目に並ぶ兎人族のカップル。と、どんどん後ろに伝染していった。

 しかしマサキはそのことを知らない。腕を出して紙を精一杯に振っているせいで外の様子を見ることができない。


「なんか騒がしくなってきたんだが……俺の腕に気付いたのか? バカとかアホとか変な人とか……悪口言ってそうなんだけど……悪口か……悪口だよな……こんな状況……絶対俺の悪口言ってるじゃんか……や、やめてく」


 突然の人間不信が発動してしまったマサキ。周りの声が全て悪口に聞こえてしまいネージュのように震え出してしまった。


「ガガッガガガガッガガガガッガガガガッ……」

「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」


 小刻みに震える二人。

 マサキは耐えられなくなり持っていた紙を店の外へ置いてそのまま扉を閉めた。 

 扉を閉めたことによって外からの声が完全に聞こえなくなる。防音の大樹のおかげだ。

 小刻みに震えていた二人だったが外からの声が聞こえなくなった瞬間ピタリと震えが止まった。


「ネージュ。紙を拾いにくるか見るぞ!」

「は、はい!」


 マサキとネージュは扉の横にある小さな窓から外の様子を確認し始めた。小さな窓のせいで二人はお互いの頭をべったりとくっつけながら様子を伺っている。


 先頭の兎人族の家族は不思議そうにしているが紙を拾う様子はない。


 その時、強い風がピューンッっと吹いた。


「ぁ……」


 置いてあった紙は青い空に向かって飛んしまった。

 その飛んでいった紙を二人は白い目で見続けた。そしてどこかへと消えてしまった。


「ネ、ネージュ……に、二枚目書けるか?」


「い、今、書きました!」


「は、はやっ! さ、さすがネージュ仕事が早いな……」


 再び扉を開けて二枚目の紙を置いたマサキ。そしてすぐに扉を閉めて小さな窓から置いた紙を確認する二人。

 しかし風は容赦しなかった。先ほどよりも強い風力で紙を吹き飛ばしたのだ。


……なぜだ…………」


 飛んでいく紙を見ながら神に問いかけるマサキ。その横で三枚目を書こうとするネージュだったが途中で書くのを諦めた。同じことが起きてしまうと目に見えたのだ。


「マ、マサキさん……他に方法はありませんか? もっといい方法……」


「もう……ない……」


「そ、そんな……」


「もう強行突破するしかないよ。一人が無理でも二人なら行けるはずだ……た、多分……」


 自身なさげに言うマサキ。差し出した右手は震えていた。

 あの行列を見てしまえば人間不信や恥ずかしがり屋じゃなくても恐縮してしまうだろう。

 その行列を見てしまったのが人間不信の青年と恥ずかしがり屋の兎人族の美少女だ。恐縮どころじゃ済まされないほどの緊張が襲っている。

 しかし二人は手を繋ぐことで幾度となく恐怖や不安そして緊張から乗り越えてきた。今回も大丈夫だろうとマサキは右手を差し出したのだ。

 その右手に吸い込まれるようにネージュの左手は向かっていった。そして指と指が交互に絡まり手を繋いだ。

 繋いだ手は暖かく力が流れてくるようだった。


「よ、よし……い、行くぞ……あまり客を待たせるのは嫌だからな……」


「い、行きましょう……マ、マサキさん。ふ、二人なら、き、きっと看板を変える事くらい、で、できます」


「そ、そうだな。二人ならいけるぞ。絶対いけるぞ。いけるぞ!」


 互いに言葉を掛け合いそして自分にも言い聞かせている。

 二人はこのようにして不安と恐怖と緊張を跳ね除けようとしているのだ。

 互いの手からは安心の温もりが伝わり合う。そこから勇気も湧き出てくるのだ。


(看板までの距離はおよそ四メートル。目の前だ。五秒でいける。そして看板をひっくり返してオープンの表示にする。それは二秒ぐらいでできる。最後にここまで戻ってくる。向かったとき時と同じで五秒だ。合計すると十二秒か…………俺たちはこの大行列の視線の中、十秒以上も耐えられるのか? いや、耐えられない。でも十秒以下ならどうだ。いける……かもしれない。いや、ここで弱気になってどうするんだ。いける。いけるぞ。十秒以下なんてあっという間だ。耐えられる。俺たちなら絶対に大丈夫だ!)


 マサキのここまでの思考わずか一秒。激しい頭痛の中、一秒でここまで思考したのだ。

 そしてその作戦をネージュには伝えずに扉に手をかけた。ネージュに伝えなかったのは、この作戦を伝えている間に緊張と不安が悪化してしまう可能性があったからだ。

 そして作戦を伝えなくてもネージュも同じ考えであるとマサキは直感したというのもある。だから作戦は伝えずに繋いだ手を少しだけ強く握り『いくぞ』という意思表示をするだけだった。


 このまま二人は扉から飛び出し看板へと物凄いスピードで向かった。そして看板をひっくり返してオープンの表示に変える。そのまま二人は引き返して家の中へと飛び込み扉を閉めた。

 マサキの思考通りここまでの動きを十秒以下でこなすことができた。

 足がもつれる事もなく息の合った動きだったのだ。


 二人の十秒間の記憶は扉を閉めたのと同時に消えていった。


「はぁ……はぁ……か、看板……ぜぇ……ひっくり返せたよな……はぁ……ふー」


「は、はい……た、多分……はぁ……速すぎて……き、記憶が……はぁ……はぁ……な、ないです」


 肩を激しく動かしながら息をする二人。己の激しく打ち鳴らす鼓動と洗い呼吸、そしてパートナーの荒い呼吸以外に別の音が耳の届いた。


「な、なんの音ですか?」 


 この音は足音だ。防音機能がある大樹だが、その防音を突き破るほどの足音。そして足音の他にも地震のような地響きもある。それほどの大行列だということなのである。


「あ、足音だ。客の足音だ。店をオープンしたから並んでた客が歩き始めたんだ。に、逃げるぞネージュ」


「に、逃げるってどこにですか!」


「決まってんだろ。部屋だよ部屋!」


 二人は猛ダッシュで店舗スペースの奥にある居住スペースの部屋へと駆け込んだ。

 一瞬の判断のおかげで店の中で客と遭遇することはなかった。

 そのまま二人は部屋にある覗き穴から無人販売所の様子を確認する。


「風呂の覗き穴から着想を得て作った『店の覗き穴』だ。これで店の様子が見れるぞ」


「え? 今なんて言いました? お風呂……覗き穴……」


「い、いやお風呂なんて言ってない。気のせい。気のせいだよ。あはは……」


 マサキは部屋から店内の様子を見るための覗き穴をいくつか作っていた。様々な角度から店舗の様子が見れるように工夫して作った覗き穴なのだ。

 もちろん店からは見えないようにカモフラージュしている。覗き穴を覗いている時に目と目が合ってしまえばトラウマレベルの恐怖になってしまうから。


「な、なんか想像してたよりも慌ただしい感じになったけどさ……やっとオープンしたんだよな」


「そ、そうですね。ついにオープンできましたよ。無人販売所イースターパーティー。私たちの夢に一歩前進です!」


 二人は遅れてきた喜びの感情が湧き上がり笑顔でハイタッチをした。

 マサキは左手。ネージュは右手だ。違う手同士のハイタッチ。違和感があるハイタッチだが二人は違和感を感じなかった。なぜなら繋いでいる手をまだ離していなかったからだ。

 オープン初日の不安と客の大行列に対する緊張。本能的に安心する温もりから離れたくなかったのだろう。


 二人の夢『三食昼寝付きのスローライフを送る』に一歩近付いた。

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