29 シミュレーション
営業許可証の申請書を書いてから五日後。マサキが異世界転移してから五十九日後のこと。
「マサキさんマサキさんマサキさんマサキさーん!」
慌てた様子でネージュが玄関から入ってきた。その手には何かを持っていてブンブンと振り回している。
「そんなに慌ててどうしたんだよ。何があった?」
「冒険者ギルドから郵便物が!」
二人が住んでいる家の郵便受けに差出人冒険者ギルドからの郵便物が入っていたのだ。
ネージュの右手には段ボールのような素材でできた封筒サイズの郵便物がある。
「もしかして
「はい。
郵便物の中身を確認する二人。中身はもちろん営業許可証だ。
二人は無人販売所を営業することを法的に認められたのだ。これでいつでも営業ができることになる。
「これが営業許可証か日本のと大して変わらないな。でもなぜだろう。黄金に輝いて見える。これは俺たちの明るい未来を暗示しているということなのか!?」
「マサキさん何言ってるんですか…………でも確かに、すごいものをもらったような感覚ですね。これが営業許可証ですか。す、すごいですね」
マサキもネージュも貰ったばかりの営業許可証に釘付けになっていた。
「ちゃんとイースターパーティーって書いてありますよ。あ、なんですかねこの紙?」
ネージュは営業許可証の他に別の紙が入っていることに気が付き目を通す。
「えーっと、この営業許可証は店内の見えるところに貼ってください。ですって……どこに貼りましょうか?」
「あー神々しい神々しい神々しい……なんて神々しいんだ」
「……マサキさん何してるんですか」
マサキは営業許可証が届いたあまりの嬉しさに壊れていた。
その様子をネージュは呆れた表情で見て、ため息を吐きながら営業許可証の貼る場所を決めるため壁に向かって歩き出した。
「マサキさん料金箱の近くでいいですかね? ここならスペースもありますしお客さんの目にも止まると思いますけど……」
「俺たちはついについについに! 苦しい苦しい苦しい貧乏生活とはおさらばなんだ。この世界で悠々自適に……」
「ま、まだ壊れてるんですね。もう料金箱の近くに貼っちゃいますよー」
営業許可証はマサキの
額縁などを持っていない二人は額縁を買う資金が貯まるまでの間、営業許可証をそのまま壁に貼り付けることにした。
「よし。これでいつでもオープンしていいってことなんだよな」
「そうですね。オープン日どうしましょうか?」
「どうしようか……宣伝もしなきゃいけないし、オープン日に合わせて調理もしなきゃいけないしな。オープン日めちゃくちゃ大事だぞ」
壊れていたマサキは普段通りのマサキに戻り手に顎を乗せながら真剣に思考を巡らせていた。
「あ、いつの間にかいつものマサキさんに戻ってますね。ところでどのくらいの量を調理する予定なんですか?」
「ん〜、賞味期限的なのとか考えながら作らないといけないからな。でもオープン初日ってお客さんがたくさん来るイメージだからたくさん作っても良いかもな。五十個? いや、百個くらい作ろうか。日持ちするやつならバンバン作っても良さそうだけどね。売れ残ったら食えなくなる前に俺たちが食べればいいし」
「ニンジンさんも大量にありますもんね。了解です。すごいワクワクしてきました」
ニコニコと笑顔を見せるネージュ。無人販売所の営業が目と鼻の先だということに心を躍らせているのだ。
もちろんマサキも同じ気持ちだ。無人販売所の営業を楽しみにしている。
「そんでオープン日を決めたいんだが、オープン日までに俺たちのやることは二つある。その二つから逆算してオープン日を決めよう」
「二つってなんですか?」
営業許可証を手に入れた二人がやるべきことは二つある。
まず一つ目、無人販売所で提供する商品を調理すること。どのくらい調理して提供したいのかを考えて、その調理にかかる日数を計算しなければならない。
二つ目は、無人販売所の宣伝をすること。飲食店や販売店を経営するにあたって宣伝は重要である。客が来なければ商売はできない。だから宣伝はしなくてはならない。
調理にかかる時間、宣伝にかかる時間、この二つのオープン日前にかかる時間を計算して無人販売所のオープン日を決めなくてはならない。
オープン日が決まればその日に間に合うように作業を進めるのだ。
全てのあらゆるトラブルも想定しながら二人は記念すべきオープン日をいつにするのか話し合った。
その話し合いは二時間ほどで終わり、ついにオープン日が決定した。
「それじゃ話し合いの結果、無人販売所イースターパーティーのオープン日は一週間後ってことで!」
無人販売所のオープンは一週間に決定した。
ネージュの得意料理ニンジングラッセなどを調理する事も考えた結果、余裕を持ってオープン日は設定されたのだ。
そして宣伝もしなければいけない。一週間後というのは妥当な日程設定だ。
「俺やんばい。すんごい楽しみ」
「ワクワクが止まりませんよね。心臓がバクバクしてますよ。ほら触ってみてください。すごいバクバクしてますよ」
「どれどれー?」
ネージュの鼓動を確かめるためにマサキはネージュの胸に向かって耳を近付けた。鼓動をしっかり聞くために五感である視覚の機能を目を瞑ることで停止した。
その分、聴覚に全集中する。
「ん〜、バクバクっていうか……いい匂いだな…………」
マサキは聴覚ではなく嗅覚が優れてしまった。
「へ、変態さん!」
マサキの頬にネージュの強烈なビンタが炸裂しマサキはそのまま吹っ飛んだ。
「鼓動を聞くのになんで私のマフマフに顔をグリグリしてるんですか!」
「すびまべんでした……いや、でも、わざとじゃないし……てか、俺、顔グリグリしてた? 無意識なんだが……それ以前に鼓動を聞けっておかしいだろー! 絶対に胸じゃなくて……マフマフに触れることになるじゃんかよ」
「すごいバクバクしてたから聞いてほしかったんですよ。それに普通に聞けばいいじゃないですか。そっと手を当てるとか。背中に耳を当てるとか。まさか顔をグリグリしてくるとは思いませんでしたよ」
顔を真っ赤にするネージュ。違う意味で心臓の鼓動が速くなってしまっていた。
「すみませんでした。もうやりません。許してください」
マサキは潔く土下座をして反省している。
その様子を見たネージュは、ため息を吐いて話題を変えた。
「わかりましたよ……その代わり無人販売所の経営はしっかり成功させましょうね」
「そ、それはもちろん。絶対に二人なら大丈夫。夢の三食昼寝付きのスローライフを目指すぞ!」
「もう本当に調子がいいんですから……」
この世界にとって無人販売所は未知の販売店。成功するか否か。それは二人次第。
居酒屋の仕事で人間不信になってしまったマサキは二度と人前で働けない精神状態になってしまったと言っても過言ではない。
そしてここは日本ではなく異世界だ。文字の読み書きができない。この世界ではマサキは職になど就けなかっただろう。
恥ずかしがり屋のネージュは人前に姿を見せることすら恥ずかしくてできない。
無理に働いたとしても恥ずかしさから余計なことを考えてしまい失敗するのが目に見えている。だからネージュは働く事を恐れ、働かない道を選んできた。
そんな二人にとって無人販売所は天職だろう。直接的に客と関わらなくていいのだから。
精神不安定で働くことが困難な二人が無人販売所の経営を待ち遠しくしているので間違いない。
「よしそんじゃ購入するまでの流れを確認しようぜ。商品はまだ置いてないけど置いてあるテイでやろう。シミュレーションってやつだな」
「シミュレーション? そうですね。私もしっかり流れを覚えないといけませんからね」
来店した客が商品を選び購入するまでのシステムを入念に細かくチェックする二人。
その流れを客が迷わないために壁には購入方法の説明分が貼られている。その説明文を見ながら実際に動きを入れて間違いがないかをチェックする。
「まずは客が扉から入って、俺たちは
「マ、マサキさん。泣かないでください。大丈夫ですか?」
居酒屋時代の辛い記憶がフラッシュバックしてしまったマサキはシミュレーション中に膝から崩れ落ち、黒瞳から輝く粒を流した。
「だ、大丈夫だ。ぐすんっ……ぅぅ……あ、あまりにも……あまりにも無人販売所を経営できることが嬉しくて……ぅう……」
「全然大丈夫じゃないですか。あーもうこれで涙を拭いてください」
「ぁう……ごべん……ありがど、ぅう……」
ネージュに渡されたニンジン柄のハンカチで涙を拭くマサキ。マサキが泣き止むまでシミレーションは中断。
マサキが泣き止んだのはそれから一時間後だ。泣き止んだことによって中断したシミレーションはすぐに再開された。
「まずは客が扉から入るだろ。そんで真っ先に商品棚を見る。商品棚の横の壁には購入までの説明文が貼られているからそれに気付いて買い物を始めるって流れだな。ネージュ。いや、ネージュさん説明文を読んじゃってくださいな!」
この説明文はマサキに教えられてネージュが書いたものだ。説明文の余白には二人が書いたウサギの絵の落書きも描かれている。
「はい。無人販売所の購入までの五つの流れ。一、商品は全てワンコインの五百ラビです。二、お好きな商品を選んでください。三、選んだ商品の合計金額を計算してください。四、料金箱に計算した合計金額を投入。五、これで商品の購入が完了です」
説明文を読むネージュに合わせてマサキが体を動かしシミュレーションをする。そして入店から退店するまでの全ての流れを行った。
「か、完璧だ……」
完璧。文句一つない説明文。無人販売所を知らなくても説明文さえ読めば猿でも購入することができる。猿の場合お金を払わないかもしれないが……
「問題ないな……ってネージュどうした? そんなに目をキラキラさせちゃって」
「わ、私も、私もやってみたいです!」
「あー、そうだね。やってみてよ。何も知らない客だと思ってさ」
「はい。頑張ります!」
頑張るようなことではないが気合が入っているのならそれでいい。ネージュは豊満なマフマフの前で力強くガッツポーズをとった。
そのまま一回外へ出てから入店。そこからは壁に貼ってある説明文を見ながら退店までを一通り行った。
そして再びマサキの元へと戻り満足気な表情で口を開く。
「マサキさんマサキさんマサキさん、すごいです。無人販売所、簡単です。これなら知らなくても誰でも買えますよ。今までこんな画期的な販売形式を誰も思いつかなかったのが不思議なくらいです。もうマサキさんは神様を越しました」
「神様って褒めすぎ。でも誰も思いついてくれなかったおかげで俺たちみたいなんが経営できるってもんよ。そんで成功して三食昼寝付きのスローライフを送ることになる! くぅ〜、楽しみだ」
シミュレーションを終わらせ問題がないことを確認した二人は次のステップに移るのだった。
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