9 不動産屋に行こう

 不動産に行って無人販売所を経営するための物件探しの計画を立てていたが、人間不信のマサキと恥ずかしがり屋のネージュの二人は不安と恐怖と緊張で一睡もできなかった。

 そして朝が来てしまったのだった。マサキにとっては異世界転移して一日が経過した二日目の朝だ。


「ネージュ。朝だな……」


 布団の中のマサキは、窓の外を眺めながら言った。

 窓の外には青空の色と同化しているツバメのような小鳥が、ネージュの家の大樹から伸びている枝にとまっているのが見える。

 そしてネージュはマサキが見ている窓の反対側を見て口を開いた。


「……マサキさん。もう昼ですよ」


 そこにはシンプルな丸時計が壁にかかっており、時刻は十三時を指している。

 二人は不安と恐怖と緊張で昼まで怯え震えていたのだった。

 しかし腹の虫は鳴る。これは人間としての生理現象だ。仕方がない。腹が減ってしまえば布団の中にいつまでもいられない。

 そして昨夜の夕飯はニンジン一本分のみ。すでに昼になっているので朝食は抜いたことになる。食事をとらなければ体に悪い。体調を崩すかもしれないが最悪の場合、本当に餓死してしまう可能性だってあるのだ。


 ここが一般的な家庭なら冷蔵庫の中を開ければ食材が保存されているだろう。それを食べれば腹を膨らます事ぐらいはできただろう。

 しかしここは貧乏兎の家だ。冷蔵庫にはネージュが昨日、兎人族の森アントルメティエで収穫してきたニンジンが一本と三本分のニンジンの葉しか保存されていない。

 そして生活に困るほど金欠なネージュと一文無しのマサキは、コンビニやスーパーもしくはレストランなどで空腹を満たすことは不可能なのである。


「なー、ネージュ。朝飯……じゃなくて昼飯ってどうするの?」


兎人族の森アントルメティエに行ってニンジンを収穫するしか方法はありませんよ。兎人族のアントルメティエへ行く途中に不動産がありますけど……本当に行きますか?」


「背に腹は代えられないよな。働いて腹一杯食べるためにも勇気を振り絞って不動産に行くしかないな……」


 二人は空腹に耐えきれず行動を始めた。

 不動産に行くだけの目的なら二人は一歩も動かなかっただろう。しかし二人にとって不動産は通過点でしかない。目的は兎人族の森アントルメティエでニンジンの収穫だ。そして食事を取ること。

 このように理由付けをして自分に言い聞かせなければ人間不信と恥ずかしがり屋のコンビは動けないのだ。


 二人は外へ出かけるためにニンジン柄の寝間着を脱ぎ着替え始めた。

 マサキは元の世界にいた時に着ていた黒いジャージしか持っていない。兎人族の森アントルメティエで倒れていた時に汚れてしまった黒いジャージだがこれしか着るものがない。

 ネージュは風呂場の脱衣所に入り着替え始めた。ネージュは、マサキと初めて出会った時と同じ胸元が大きく開いたブラウン色のロリータファッションに着替えた。


 ネージュが着替え終わり脱衣所から出た時、ネージュを見たマサキが口を開く。


「昨日の服だよな。もしかしてそれしか持ってない感じ?」


「そ、そうですよ。これと寝間着以外の衣類は全部売ってしまいました。でも同じのを二着ずつ持ってるので洗って使いまわせば大丈夫なのです。なので今着ているのは昨日の服じゃないですよ。この服は綺麗なのです」


 見てくださいと言わんばかりにくるくると回りながら綺麗な服だとアピールするネージュ。膝上ほどしかないスカートからはお尻が見え隠れしている。

 そのお尻からは白くて丸いふわふわなウサ尻尾が飛び出していた。

 そのアピールする姿は、本当に恥ずかしがり屋なのか疑うほど主張が激しかった。


「よ、よし。じゃあこれで準備OKだな。不動産……は、で森に行ってニンジンを収穫するぞ!」


「そうですね。不動産は兎人族の森アントルメティエに行きましょう」


「そう、そう。


「はい。ですよね」


 二人は暗示をかけ続けた。自分に言い聞かせながらパートナーにも言い聞かせる。これなら一人で自分に言い聞かせるよりも二倍の暗示がかかるかもしれない。


 二人は震える足を一歩ずつ前へ動かし歩き出した。そして玄関の扉を開き外へ出る。

 一歩また一歩。震える足のせいで足取りは遅い。そして一歩進むたびにげっそりと老けていく。


「だ、大丈夫。俺なら大丈夫。きっと兎人族とじんぞくがいるだろう。も、もしかしたら人間かもしれない。そ、それに不動産はついでだし。うん。うん。大丈夫。きっと大丈夫……大丈夫……大丈夫……だよな……」


「は、恥ずかしくない。恥ずかしくない。きっと大丈夫です。ただ話をするだけ。何も恥ずかしいことなんてありません。私なら大丈夫。きっと大丈夫。大丈夫……なはずです……ガタガタガタガタガタガタ……」


 不動産に着くまで二人は何かに呪われたかのようにぶつぶつと独り言をこぼし自分に言い聞かせていた。この時すでにパートナーの声は届いていない。自分の世界に入り込んでしまっているのだ。

 ただ不動産に行くだけでここまで追い込まれてしまうのだ。


 二人が不動産の目の前まで着いたのはネージュの家を出発してからおよそ一時間後だった。本来の速さで歩けば二十分ほどで着いただろ。

 実際、兎人族の里ガルドマンジェからネージュの家まで歩いた時は三十分かかった。なので本来の速さで歩けば二十分ほどで着く計算だなのである。

 それが一時間だ。二人にとって不動産に行くだけのことが辛すぎるイベントなのである。


 二人は不動産の正面にある大樹の後ろに隠れながら目的地の不動産を見ている。

 そこは、兎人族の里ガルドマンジェに唯一ある不動産だ。兎人族の里ガルドマンジェで物件を探すのならここしかない。


 マサキは不動産の窓から見える従業員を見て震えていた。着く前から恐怖と不安と緊張で震えていた体が、さらに小刻みに震え出したのだ。


「なぁ、着いたのはいいけど……見ろよ。あの黒髪長髪のイカツイ兎人族。片目に傷があって葉巻みたいなの吸ってんるじゃん。めっちゃ怖いんですけど。これって人間不信とか関係なく入れないんじゃ……」


「ブラックハウジングさんの経営者の先祖は悪名高い盗賊団らしいですからね。その時の遺伝子が根強く残ってるんだと思いますよ。多分、マサキさんが見ている方がオーナーさんのブラックさんですよ。怖いですよね……」


 不動産の名前はブラックハウジング。マサキが見ている黒髪長髪で片目に傷があり葉巻を吸っている人物こそネージュが言ったここのオーナーのブラックだ。

 兎人族なので可愛らしいウサ耳も生えているが見た目のインパクトでウサ耳の可愛さがかき消されている。

 しかし極悪非道な顔のインパクトとは裏腹に漆黒に染まった真っ黒のスーツと真っ黒のワイシャツを着こなし赤いネクタイを締めて身だしなみは整っている。


「本当にここ不動産かよ。怪しすぎるだろ。普通仕事中に葉巻なんで吸わねーよ。怖すぎんだろ。絶対か弱いウサギちゃんたちの家賃を多く騙し取ってるだろ。そんで家賃滞納者は殺される。子供は誘拐されて身代金を要求。お、恐ろしい。そうなる未来が俺には見えるぞ……」


「マサキさん。子供いませんよね……」


 人間不信のマサキは自分たちが家賃滞納者になってブラックハウジングのオーナーのブラックに殺される未来を想像していた。

 強靭な後ろ足で踏み殺され、刀で串刺し。奇跡的に生き逃れたとしても親分親分と慕うブラックの子分たちに永遠と追われる未来も想像していた。

 そんな未来を勝手に想像されたブラックやそのスタッフたちは、いい迷惑である。


「そ、そうだ。先に森に行ってニンジンを収穫するのはどうだ? それならきっと不動産に行けるはず……」


「良いアイディアですがそれはできませんね。家を出たのが遅かったので先に兎人族の森アントルメティエへ行ってしまうとブラックハウジングが閉まってしまいますよ」


「マジかよ、ブラックなのに随分とホワイトだな。くそ、怖くて入れねぇよ」


 ブラックの姿を見て恐怖と不安と緊張が増幅してしまったマサキは不動産を後回しにしようとしたが、それでは先に不動産が閉店してしまう。

 もう逃げ道は無くなってしまったのだ。あとは時間が解決してくれるはずだが。


「ここまで歩いたみたいにネージュが先頭を歩いてくれれば、俺はあの地獄の門を通れる気がするんだが……」


「無理です無理です無理です。歩いてる途中で目が合っちゃったら緊張して歩けなくなっちゃいますよ。そのまま家に戻ることだってあり得ます。それに歩き方とか笑われるかもしれないじゃないですか。だから私が先頭は無理です。マサキさんが先頭を歩いてください」


「俺も無理だって。こんなジャージ男が向かって行ったら警戒されて警察、いや、手下を呼ばれちまうよ。それか盗賊とか悪の組織に連絡されて体を改造されてオークション売り飛ばされちまう。だから先頭で歩くなんて無理だ」


 先頭を歩きたくない二人は各々の意見を主張して一歩も譲らない。

 恥ずかしがり屋のネージュは歩き方を見られるだけでアウトだ。そして目が合えばゲームオーバー。恥ずかしさのあまり二度と不動産に行けなくなるだろう。

 人間不信のマサキはブラックハウジングのオーナーの見た目が怖いという理由だけで、あり得ないほど消極的な考え方をしていた。人間不信が故の想像力だ。


「ケイサツってものは知りませんけど……マサキさんの後ろなら絶対離れません。離れたくありませんよ。ベッタリくっつくので、先頭をお願いしますよ」


「いやいやいや、相手が人間じゃないから大丈夫かもしれないって思ってたけど、流石に見た目が怖すぎて無理。何されるかわからないから余計に変な想像しちまうよ。だから使兎人族のネージュが先頭で歩いてくれたら嬉しいんだけどな」


「いえいえ。マサキさんのように優しくて喋りもお上手な人なら大丈夫ですよ。不安に思うことなんて一つもないですよ。さあ先頭を!」


「ネージュこそ、肌も白くて腕も細くて巨乳で垂れ耳も可愛いんだから大丈夫だって。恥ずかしがる必要は全くないって。先頭どうぞ」


 相手を必要以上におだてて先頭を歩かせようとするが絶対に煽てには乗らない両者。このままでは埒が明かない。


 そんなやりとりを続けること三時間が経過した。そして事態が急変する。


「お、おい。ネージュ。顔が怖いオーナーが外に出てきたぞ。きっと俺たちに気が付いたんだ。おいおいおいおい大樹の壁から鉄の棒? みたいなの取り出したぞ。やばいやばいやばいやばい。こ、殺される……」


 ブラックハウジングのオーナーのブラックが細長い鉄の棒を大樹で出来た店の外壁から取り出した。

 その光景に青ざめるマサキ。そんなマサキの横でネージュは何かに気が付いた。


「でもちょっと待ってください。なんか変ですよ。あ、大変です。お店を閉めてますよ」


 大樹でできている店でも入り口にシャッターが備え付けられていた。ブラックは鉄の引っ掛け棒を使いシャッターを引っ張って店を閉めたのだった。

 二人は店の正面にある大樹の後ろから一歩も動くことなくブラックハウジングの閉店時間が来てしまったのだ。

 漆黒色のスーツに身を包んだブラックハウジングのオーナーのブラックはシャッターを閉め終わった後、店の鍵を閉めて帰宅してしまった。


「閉店したのか……あはは、閉店ね閉店。そ、それなら仕方ないよな。不動産には入れなくなったしまた今度行くしかないな!」


 仕方がないと言っているマサキだが声が弾んでいてどこか嬉しそうだ。横にいるネージュもホッとした表情をしていたが薄暗くなっている空を見て突然焦りだした。


「……ってもうこんな時間じゃないですか。まずいですよ。マサキさん」


「ど、どうした。そんなに焦って……」


「どうしたもこうしたも、暗くなるとニンジンさんの収穫ができなくなりますよ。兎人族の森アントルメティエはただでさえ暗いですから。ニンジンが採れなかったら私たちの夕食はニンジン一本を分け合うしかないんですよ!」


「そ、そりゃ、一大事だ。急いで森に行くぞ!」


 二人は兎人族の森アントルメティエ目指して走り出した。先ほどまでおどおどしていた二人とは思えないほど目をバキバキにさせて猛ダッシュしている。


「うぉおおりぁあああ、待ってろ俺のニンジン!」


 まるで空腹の肉食動物が獲物を見つけ必死に追いかけているようだった。

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