8 布団の中の身震い
髪を乾かし終えたニンジン柄の寝間着姿のネージュは、長さ二十センチほどの木の枝を二本持って同じくニンジン柄の寝間着姿のマサキと一緒に外へ出た。
「お風呂上りはポカポカでお外のお散歩も楽しいですね。マサキさん」
「いや、散歩って。そこの井戸までだろ。俺は寒いぞ」
風呂上りでポカポカなネージュと冷たい風を浴びて体を冷やしてしまっているマサキ。
二人は先ほど食器を洗うために使った井戸へと再び向かっていたのだ。
「着きました。井戸です」
「見たらわかる。そんで、なんでまた井戸なんかに?」
「これです!」
木の枝を見せるネージュ。これですと言われてもさっぱり理解できないマサキは首を傾げた。
「木の枝だよな? これで何するんだ?」
「わからないんですか? 常識ですよ。常識」
「常識と言われてもだな……」
手に顎を乗せて考えるマサキだったが木の枝の使い道の予想がつかずにいた。
そんなマサキに呆れてため息を吐くネージュ。
「歯磨きですよ。歯磨き。知らないんですか?」
「あー、確かに木の枝で歯を磨くって文化あるわな。全く気付かなかったわ!」
「もう。知ってるじゃないですか。一度も使ってないのでこれ使ってください」
ネージュは木の枝を一本マサキに差し出した。
マサキは差し出された木の枝を受け取り、ネージュの歯磨きを見てから真似るように歯磨きを開始する。
決して歯磨きの方法を知らないわけではない。
(歯磨き粉とかはないのか。なんか木の枝を口に入れるの抵抗あるわ……歯茎傷つけないようにしよう)
口の中を傷つけないようにゆっくりと磨くマサキ。
若干の抵抗を感じながらも鼻に通るミントの香りに気持ちが華やいでいった。
歯を磨き終えたら井戸水で口を軽くゆすぎぐ。これで異世界式歯磨きの完了だ。
歯磨きが終わるとネージュは鼻歌を歌いながら家に戻るために歩き出した。
その帰り道に木の枝に感動するマサキが鼻歌を歌うネージュに話しかける。
「なんかめちゃくちゃスッキリしたわ。すげーなこの木の枝。これもあの森で採ってきたのか?」
「いいえ。これは大樹から伸びている木の枝ですよ。でもそのまま取っても歯磨き用の木の枝にはならないので注意してくださいね」
「え? それじゃあどうやって歯磨き用の木の枝になるんだ?」
「大樹に住む妖精さんが歯を磨けるように魔法をかけるんですよ。それで歯磨き用の木の枝になります」
「マジか。あの大樹って家でもあるし歯ブラシ製造機でもあったのね。マジで万能な大樹だな。というか妖精もすげーな。これじゃ歯ブラシ企業もお手上げだな」
ちょうど家に着いた瞬間だ。幹が太く雲を突き抜けるほど大きな大樹をマサキは褒め称えた。
「あとは寝るだけですね。寝床の準備をしますね」
家に着いたと同時にネージュは寝床の準備を始める。
ネージュが持ってきた布団は昔ながらの人たちが使っていそうな布団だ。別の表現をするのであれば古びた旅館の布団。
布団の色は白一色。一つも汚れが見当たらないほど白い。サイズはダブルサイズよりも大きいクイーンサイズだ。
(大きな布団。おそらく、おばあちゃんが生きていた頃は一緒に寝ていたんだろうな……それに白すぎる。毎回洗ってるのか? いや、貧乏兎のネージュだ。毎回洗えるはずがない。多分妖精とかの魔法で汚れないようになってるんだろうな)
布団の大きさを見てネージュとおばあちゃんの家族の温もりを想像するマサキは、布団を楽しそうに準備するネージュに心打たれていた。
そして布団の白さを勝手に考察するがマサキの考察は正しい。布団も妖精の魔法で加工してあり汚れが一切つかない。
「はい。寝床の完成です」
ネージュは布団の上に座りながら、ジャジャーンと大きく腕を広げて寝床の完成をアピールしている。
その後、「マサキさんはここです」と、布団を叩きながらこっちにおいでと主張するネージュ。
そんなネージュの主張にマサキは吸い込まれるように布団の中に入っていった。
「やっぱ布団って最高だよな。外出て体が冷えてたから生き返るわ。それにすんごいもふもふ。なんでこんなにもふもふなの? すげー寝心地良いんだけど」
「気に入ってもらえて嬉しいです。この布団はですね北の国にいる怪鳥さんの羽毛でできてるんですよ。羽毛は寒さを守るためにどの種族よりももふもふなんですよ」
「だからもふもふなのか。納得」
マサキは布団のもふもふ感に心が揺さぶられていた。そして気に入ったのだろうかクイーンサイズほどの大きさの布団の端から半分までの位置を両腕でしっかりと抱きしめてもふもふを堪能している。
「あははは〜。気持ちいい。もふもふ〜。気持ちいいなぁ」
「ちょっとマサキさん。布団取りすぎですよ。私の分も引っ張らないでください」
「あ、ごめんごめん。ほらよ……って、えぇえええ!?」
抱きしめていた布団を少しだけネージュの声がする方へ渡した瞬間、マサキは慌てふためいた。
布団に寝転がっているマサキと同じ目線の高さにネージュの青く澄んだ瞳が見えたのだ。黒瞳と青瞳の視線が交差している。
つまりネージュもマサキと同じ布団の上で横になっているということだ。
「ちょっと驚きすぎですよ」
「だってネージュも同じ布団の中に入ってんだもん。そりゃ驚くわ」
「仕方ないじゃないですか。布団はこれしかないんですから」
目の下までを布団で隠して恥ずかしそうにするネージュ。垂れたウサ耳が枕の上に乗っていて愛おしい。
マサキは赤らめた頬を隠すため同じ布団に寝ている可愛すぎるネージュに背を向けぶつぶつと独り言を言い始めた。
「おばあちゃんと一緒に寝てたんだろうなって想像はしてたけど、まさか俺とも一緒の布団だなんて思わなかったぞ。いいや体が冷え過ぎていて正常な判断ができなかったんだ。それで冷えた体を一瞬で包み込んでくれたこのもふもふに思考が停止してしまったんだ。そうだきっと……」
ぶつぶつと喋るマサキ。そのマサキの背中に向かってネージュが上機嫌に口を開く。
「なんか楽しいですね」
「た、楽しい?」
「はい。私、恥ずかしがり屋でおばあちゃん以外と寝たことがなかったんですよ。だからお泊まり会みたいで楽しいです」
ネージュはその恥ずかしがり屋な性格から生まれて一度も友達を作ったことがない。
なのでお泊まり会のようなことに憧れを持っていたのだ。それが叶い心躍らせている。
(な、なんて純粋無垢な子なんだ。ふしだらなことを一瞬でも考えた俺を異世界の海のそこに沈めてくれ。もう二度とふしだらなことなんて考えねーぞ。ネージュは命の恩人。気が合う友であってビジネスパートナーだ。お泊まり会に憧れてるんなら談笑でもして楽しませねーとな)
ふしだらな自分を
マサキは、胸から上を布団の外へ出しているネージュの青く澄んだ瞳と目が合った。
(ち、近い。それに垂れ耳可愛ぇえ)
その後、マサキの目線は自然と下へ向かっていった。
「マフマフ」
「へ、変態さん!!」
マサキは思ったことをついつい口に出してしまったのだ。
ネージュは慌てながら寝間着から
「無警戒なのが悪い。俺は悪くない。そう。俺は悪くない。そして俺は変態じゃない!」
淫らなネージュの姿を瞳に映してしまったマサキは、抑えていたふしだらな気持ちがぶり返しそうになった。しかしなんとか自分に言い聞かせて、ふしだらな気持ちを押し殺し平常心を保つことに成功した。
ネージュはムッと頬を膨らませ、青く澄んだ瞳で疑うようにマサキを睨む。
睨み付けられていることに気付いたマサキは話題を変えようとする。
「あ、そ、そうだ。明日は何する?」
「そうですねー。何しましょうか?」
話題を変えることに成功したが何か大事なことを忘れている気がしてならない二人。
それが思い出せずモヤモヤしながら会話が続く。
「こっちの世界のあれこれ見てみたいな」
「そしたら明日は散歩しますか。こっそりと」
「なんでこっそりなんだよって聞こうと思ったが周知の事実なのでやめとくわ」
「なんですかそれ。もうそれ言ってるようなもんじゃないですか!」
軽口叩きながらも二人はもふもふな布団のに包まれながら楽しく談笑をする。
そのまま自然と表情が緩み笑顔になる。
「ははははっ」
「うふふふ」
「あはははっ」
「うふふっ」
笑う二人。なんでもない会話が楽しくて笑ってしまう。深夜テンションとはこのことなのだろうか。
「明日が楽しみだ。明日は起きて準備したら散歩に……えーっと待てよ、明日って……あ、あれ?」
「「あ!!」」
マサキとネージュの忘却の記憶が同時に蘇った。そして同時に声が出たのだ。
「明日って……不動産に行くとか言ってたよな」
「そうでした。不動産……」
そう。無人販売所を経営するための店舗を探しに不動産に行く予定があったのだ。
人間不信のマサキ、恥ずかしがり屋なネージュの二人は、嫌なことから目を背けることに慣れていた。そしてそれを忘れることにも。
忘れると言っても一時的だ。嫌なことを全て忘れられたらこんな性格にはなっていない。
なので無意識に不動産に行く予定を二人は忘れていたのだ。そして布団の中で寝ようとしているタイミングでそれを思い出してしまう。
「あー、やべー、緊張してきたわ。提案してた時はノリノリで楽しかったからなんともなかったけどさ。俺も結局そういうことするの苦手なんだよね。もうダメだ。胸のざわつきが気持ち悪すぎる」
人間不信のマサキは精神的不安を少しでも感じてしまうとずっと考えてしまうタイプだ。そして就寝前は余計に考えてしまう。思い出すタイミングとしては一番最悪なタイミングである。
(明日どうすんだよ。何喋ればいいんだよ。落ち着け俺。ネージュとならきっとうまくいくはずだ。でも俺ちゃんと喋れるかな。それに不動産って言ってもここは異世界だぞ。相手はどんな種族かわからん。失礼のないようにしないと……てか、失礼のないようにって知らない種族にそんなこと不可能じゃね? ただでさえ同じ人間ですら怖いってのに。もうダメだ。やばい。頭が冴えてきちゃってるし。ここまできたらもう寝れないぞ)
一種のパニック障害だろう。マサキは自分の世界に入り込んでしまった。しかし不安なのはマサキだけではない。ネージュも同じだ。
ネージュは生気のない顔になりながら、自分の世界に入り込んでしまったマサキに声をかける。その声は静かで震えていた。
「どうしてくれるんですか。マサキさん。私、緊張と不安と恐怖で寝れませんよ。もう体の震えが止まりませんよ。見てくださいよ私の手。ガタガタガタガタ震えてがもう止まりません。さようなら私の睡眠時間。さようなら私の明日」
魂が抜けていくネージュ。雪のように真っ白な肌がさらに白くなっていく。
「お、俺も寝れねーよ。ネージュにドキドキして寝れなくなると思ったら不安と恐怖と緊張で寝れなくなるなんて……」
「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」
「明日怖い人だったらどうしよう。というか人じゃない時点で怖いだろ。俺食われちまう。もうダメだ。俺なんかに何ができるだよ。どうせ
「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」
「怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……」
「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」
塞ぎ込むマサキ。その横でガタガタと小刻みに震えるネージュ。
考えれば考えるほど底無し沼に入ったかのようにネガティブ方面へと向かい不安と恐怖と緊張が心を蝕んでいく。
このまま二人は一睡もできずに朝を迎えるのであった。
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