10 そっくりニンジン

 全力疾走する二人は、ものの五分で兎人族の森アントルメティエに到着した。


「はぁ……はぁ……ニンジンって、はぁはぁ……ど、どこに、ぜぇ……あるんだ?」


「ど、どこって、はぁはぁ……こ、のもりの、はぁ、ぜぇ……どこか、ぅはぁ……ですよ」


「そ、それじゃ……ぅう、はぁ、暗くなるまで、ぜぇぜぇ……て、手分けして探すぞ」


「りょ、了解です……ふー」


 二人は全力疾走したせいで息を切らし呼吸が荒くなってしまっていた。肩の上下運動を伴った肩呼吸をするほどだ。

 マサキもネージュも運動は得意ではない。さらに人間不信のマサキと恥ずかしがり屋のネージュは運動を好まずスタミナが皆無。

 毎日ニンジンを収穫しているネージュの方が半年間ほどヒキニートだったマサキよりスタミナはある。


「はぁはぁ……俺たちの……ニンジン……ど、どこだ。はぁはぁ……」


 呼吸が整う間も惜しい二人はそのままニンジンを探し始める。


 兎人族の森アントルメティエは三千年前の亜人戦争が終結した際、その時代の兎人族の神様アルミラージ・ウェネトが平和の象徴として兎人族の民に贈った森である。

 兎人族の好物でもあるニンジンが土の中に埋まっているのだが、埋まっている場所は不確実で日によって変わる。そうさせているのは三千年前の神様アルミラージ・ウェネトが兎人族の森アントルメティエの土にかけた魔法の影響だ。

 そのためネージュが丸一日かけてニンジンを探しても三本しか見つからないほど。それも運が良くて収穫できた三本だ。それほど低確率かつ不確実で見つかりにくいのだ。

 さらに夜になると見つかりにくさが倍増する。もはや見つけることが不可能なほどだ。


「日が暮れるまでに見つけましょう」


「タイムリミットは二時間、いや一時間ってところか……」


 薄暗くなる空を見ながらマサキは呟いた。その後、二人はせっせとニンジンを探し続ける。

 ニンジンの葉は地面から出ているのですぐに見つかる。そしてニンジンの葉を抜き取る作業が永遠と続いた。

 ニンジンの収穫をしている最中でも二人は決して離れることはない。半径一メートルには絶対いるのだ。それほど二人はお互いを信用しているのかもしれない。


「これも、これも、これも違う。というか雑草もニンジンの葉に似てて分かり辛いんだが……本物のニンジンの葉はどれだよ……」


「そうなんですよ。私たち兎人族は本物と見分けがつかないことから、その葉のことを『そっくりニンジン』って呼んでますよ」


 ニンジンが付いてこない葉を兎人族は、『そっくりニンジン』と呼んでいる。本物そっくりな葉の見た目からその名が名付けられたのだ


「そっくりニンジンって……ダサいネーミングセンスだな。それに葉っぱだけだからじゃないのか? それかダミー葉っぱとかさ。他に良い名前ありそうなんだが」


「そうですかね。馴染みすぎて気が付かなかったです」


 ネージュはマサキの的確な指摘に驚いた様子で手に持っているそっくりニンジンを見ていた。


 ネージュが生まれるずっと前からそっくりニンジンの名前はある。ネージュや兎人族が不自然に思わないのはその名前が根付いているからだろう。そして兎人族としての遺伝子がそうさせているのだろう。

 日本で携帯電話を携電ケーデンではなく携帯ケータイと訳すようになったのと同じようなことなのだろう。

 他にも高速道路を高速と呼ぶように馴染んでしまえば気になることはなくなるのだ。


「あ、マサキさん。ニンジンさんが付いてないそっくりニンジンは毒があって食べれないので持って帰らないでくださいね。そこら辺に投げ捨てといてください」


「ぇええ! これ毒あんのかよ!? 有毒植物だったのか!」


「はい。でも食べなきゃ問題ありません」


 毒という言葉に驚き、手に持っていたニンジンの葉を慌てて投げ捨てるマサキ。


 無数に生えている雑草は全てニンジンの葉と見分けがつかない『そっくりニンジン』だ。その葉には食べると腹痛、嘔吐、下痢の症状が伴う毒の成分が含まれている。死ぬほど辛いが死ぬことはない。

 ただし毒があるのはニンジンが付いていない葉のそっくりニンジンに限る。

 本物のニンジンの葉の場合は安心して食べることができる。ニンジンよりも葉の方を好む兎人族が半数もいるほど美味なのである。


 なぜ平和の象徴なのに毒があるそっくりニンジンがあるのだろうか?

 理由は定かではないが、兎人族が働かない怠け者にならないために兎人族の神様が与えた親切心だという説がある。兎人族のほとんどがその説を正しいと信じている。

 若干数ではあるが、ニンジンの収穫がハズレありのランダム性という観点から神様の遊び心で作られたのではないかと考える兎人族もいる。

 どちらにせよ神様の思惑通りニンジンを収穫する兎人族は少なくネージュのような恥ずかしがり屋以外の兎人族はしっかり職に就いている。


「全然見つかんねーぞ。一回でいいから本物のニンジンを抜いてみたいんだけど」


「スポンッって軽く抜けて気持ちいですよ。指に刺さったトゲが抜けたような感覚ですよ」


「そ、そりゃ抜いてみたい! ますます燃えてきたぞ! 絶対に抜いてやる!」


 本物のニンジンを抜いた感覚を思い出したのだろうか。ネージュは満たされたかのような表情をしている。

 それから二人は、ニンジンを求めて地面から雑草のように生えているニンジンの葉をひたすら抜き続けた。


「どりゃどりゃどりゃどりゃーどりゃー!」


 手当たり次第に葉を抜き取るマサキだったがどれもハズレ。そっくりニンジンしか抜けない。


 ハズレハズレハズレハズレハズレハズレハズレハズレハズレ……

 雑草を抜くよりも呆気ない感覚が続いていく。

 そっくりニンジンを抜くたび二人はストレスと疲労が溜まっていく一方だ。

 その分、本物のニンジンを抜いたときの感動は大きくなるだろう。その感動を味わいさえすれば溜まったストレスも疲労もなかったことになるかもしれない。


 しかしその感動を味合わせまいと夕刻を知らせる鐘の音が鳴り響いた。タイムリミットがすぐそこまで迫ってきている。


「マサキさん。ラストスパートです。絶対に見つけましょう」


「わかってらぁ! 俺たちのニンジン! おりゃーおりゃー!」


 先ほどまでの疲労を全く見せない動きでマサキは葉を抜き続ける。

 しかしどれもハズレ。そっくりニンジンしか抜けない。


「くそー! ニンジン全然見つからねーよ。こうなったらだ。しかない」


「マサキさん。何か秘策があるんですか?」


「おうよ」


 ニヤリと笑うマサキ。そんなマサキの様子を見て期待を膨らませるネージュ。

 日も暮れて辺りが暗くなって来ている。おそらくマサキの秘策とやらでニンジンの収穫が終わりを迎えるだろう。最後の手段。最後の悪あがきだ。


「こういうときは心の目で見るんだよ」


「心の目ですか?」


 小首を傾げるネージュ。マサキは黙ったまま瞳を閉じて集中し始めた。


(俺は異世界人だ。もしかしたらスキルがあるかもしれない。だから集中したら本物のニンジンくらい見つけられるだろう。それが異世界ファンタジーもののお決まりだろ。絶対に俺にはすごい力があるはずだ!)


「なんかマサキさんから物凄いオーラが出ている気がします。もしかしてマサキさんのスキル発揮ですか!?」


 マサキの集中する様を見て膨らましていた期待がさらに膨らむ。これでもかというくらいに膨らんでいる。

 そして目を開けたマサキは静かに一本の葉に向かって行った。


「もしかしてそれが本物のニンジンなんですか?」


「ああ。感じるんだ。この葉っぱだけ違う。本物だってな」


 勝ち誇った表情を見せるマサキは何かを感じ取った葉を掴んだ。あとは引っ張るだけだ。


「チェックメイトだぁああ!」


 叫びながら葉を引っ張るマサキ。勢いよく引っ張ったせいで尻餅をつき後ろに倒れた。


「ど、どうだ?」


 勢いよく引っ張ったせいで手応えを感じることができていない。さらにはすぐに後ろに倒れてしまったので手元の確認もできていなかった。

 しかし両手でしっかりと掴んでいる葉を確認する前にネージュのガッカリとした声がマサキの耳元へと届いた。


「マサキさん……」


 期待を裏切られたネージュの声は冷たかった。期待を膨らましすぎたのだろう。そして風船のように破裂したのだ。


「うぅ……ごめん。俺みたいな人間不信で荒んだ心の持ち主が心の目なんて使えるわけがなかったんだ……未知の力を信じた俺がバカだった……俺みたいなやつにそんな力が宿るわけないんだよ……ぅうううう……」


 マサキの両手にはニンジンは無い。そっくりニンジンだけだ。その葉は嘲笑うかのようにマサキの顔面に土をこぼしている。


「残念ですが今日の収穫はゼロですね。かなり暗くなってきましたし今日はここまでにしましょう」


「ぅぅ……俺たちの夕飯が……ぅぅ……」


 森の中は灯りを照らしたくなるほど暗くなっていた。あと数分もすれば足元が見えないくらい真っ暗になるだろう。

 約一時間ひたすらおこなった過酷なニンジンの収穫だったが収穫したニンジンはゼロ。それほど難易度が高いニンジンの収穫を真っ暗闇の中、続行しようとは誰も思わないだろう。

 もちろんマサキもネージュも思ってはいない。二人にとって画餅がべいすな一日だったのだ。


「そんなに落ち込まないでください。まだ冷蔵庫の中にはニンジンさんが一本残ってます。それにニンジンさんの葉は三本分もありますよ。まだまだ生きていけます。大丈夫です!」


「さすがネージュ。貧乏根性が染みついてやがる……」


 マサキを励ますために笑顔で小さくガッツポーズをとるネージュ。しかし薄暗い森の中では辛うじてガッポーポーズのシルエットは見えたがその天使のような笑顔までは見ることができなかった。


 二人は収穫ゼロのまま家へと帰っていった。疲労からか足取りは遅い。

 不動産の際に生じた精神的疲労。ニンジンの収穫の際に生じた肉体的疲労。二人は疲れ切っており帰り道は一切の会話はなかった。

 しかし決して離れることなく隣を歩き続けていた。

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