11.不幸

 時刻は0時を少し過ぎた。


 巣穴の中は思っていたよりも広く、3人でも窮屈に感じることはない。各々が好きな体勢をとれるくらいの空間はあった。


 夜が訪れると少しだけ空気が冷えたが、焚き火をするのはやめておいた。

 軽率に火を起こすと巣穴の中に煙が充満してしまい、睡眠どころではなくなる。


 天井部分に通気口を空けるかどうかも迷ったが、巣穴は土のみで形成されていたため最悪の場合崩壊しかねない。


 幸いあまり風は吹き込んでこなかったので、毛布一枚あれば気にならない程度だった。


 見張りは各自2時間ずつ。まず俺が2時まで起き、ラミィはそこから4時まで、そしてイブキが6時までを担当することになった。


 俺はいつでも外の様子が見られるように、なるべく入り口の側に腰掛けている。


 ラミィは暖かそうな毛布に包まって横になっており、イブキも大の字になって寝息をたてている。


 この少年、先程まで血気盛んだった割には意外と眠りが深い。肝が据わっているのか、図太いのか。




 見張りを始めて早十数分が経過した。空は先程までと一変し、激しい雨が降っている。

 しばらくは止みそうに無い。


 地面の状態次第では明日の探索に支障をきたすかもしれないが、とは言え雨を止める術を持っている訳でも無いので、ただ呆然と外の景色を見つめる。


(結構退屈だな……)


 交代まであと1時間以上もある。


 せっかくだから持ってきた本でも読もう。そう思ったちょうどその頃、ラミィがゆっくりと身体を起こした。


「眠れない?」


「はい……やっぱりちょっとだけ怖くて」


「ごめん、無理させて」


「そんな、謝らないでください! あのまま探し続けた方が危なかったですし!」


 小声ながらもラミィは必死にそう言ってくれた。

 正直なところ、ここで休息をとることを提案したのは俺なのだから見張りは朝まで俺一人がやるつもりだった。


 しかしラミィからは「ちゃんと寝てください!」と怒られてしまい、結果としてこの交代制になったのだ。

 彼女の優しさには頭が上がらない。


 せっかくだ。もう少しラミィと話をしてみよう。


「良かったら眠くなるまでの間、ラミィの話を聞かせてくれないか?もちろん、嫌ならいいんだけど」


「わ、私ですか?……そんなに面白い話はできませんよ?」


「どんな話でもいいよ。今は2人のこと、もっと知りたいんだ」


 即席のチームとはいえ、今は命を預け合う仲間だ。

 だからこそ今は純粋に彼らのことが知りたい。


 二人が今までどんな経験をして、何を目指してここに来たのかを。


「クロムくんは私の体質のこと、ジェラルドさんから聞きました?」


「体質?……いや、特に何も」


「そうですか……じゃあお話しますね。ずっと隠しておけるようなものでもないので」


 心なしかラミィは少し悲しげな顔をしているようにも見えたが、やがて深呼吸をすると意を決して話し始めた。


「昨日初めて会った時のこと覚えてます? 私すっごい派手に転んでましたよね。今朝なんか鳥にパンを盗られちゃったり……私、ああいうことしょっちゅうあるんです」


 流石に二日や三日で忘れられるような出来事ではない。

 目の前であれだけ豪快に転倒されれば嫌でも記憶に焼き尽いてしまう。


「不幸体質っていうんでしょうか。転ぶなんてのはまだ良い方で、酷い時は財布を無くしたり、買ったばかりの道具がすぐ壊れちゃったり……」


「それは偶然なんじゃ……?」


「普通はそうですよね。でも私はその偶然が二度も三度も続いてしまうんです。弱い魔物しかいない地域に行った時も、凶暴な魔物に遭遇してしまって……当時のチームメンバーにはすごく迷惑をかけちゃいました」


 そう語るラミィの表情は切ない。

 仲間を危険に晒してしまったのが自分の責任だと感じているようだ。


 そんなの誰のせいでもないはずなのに。


「迷惑って……そんなのラミィのせいじゃない」


「私のせいですよ。きっとこの雨も。こうやっていつも悪い結果を呼び寄せちゃうんです。……こんなだからでしょうね。誰ともチームを組んでもらえなくなっちゃったのは」


 この時、ようやく俺はジェラルドが提示した条件、その本当の意味を察した。


 彼はラミィに居場所を作ってあげたかったのだ。

 その不幸体質のせいで他の冒険者から煙たがられ、行き場を無くしていた彼女に。


 そしてそれはおそらくイブキも同じ。


「なので、クロムくんも嫌になったらすぐジェラルドさんに言ってくださいね。『あんなのとは一緒にいられないぞ〜』って!」


 そう言ってラミィは無理して笑顔を作る。

 その顔にはどこか苦痛に耐えるような、そんな哀愁が滲み出ていて、俺は余計に胸が苦しくなった。


 そうやって他人を気遣って、自分から距離を置いて、一人だけ傷つこうとするのは──


「それは、違う気がする」


「え……?」


「ラミィがこれまでどんな辛い思いをしてきたのかはわからないけど、少なくとも魔物に出会したのは君のせいじゃない。それに自慢じゃないけど、俺も故郷では色んな人に迷惑かけてきたし」


 家族には沢山の心配をかけ、師であるガリウスにも沢山叱られてきた。

 他人に迷惑をかけてきた数なら俺も負けてない。


「何より、周りの人のためを想って行動できる君は、その分だけ幸せになる権利があると思う」


「幸せになる、権利……」


 魔物への恐怖心はあるのに、それでも彼女は冒険者業をしている。

 それはきっと名も知らぬ誰かを守るためだろう。


 だから、こんな心優しい娘が報われないのは間違っている。


「もしこれから先、仕事で死んだとしても、俺はラミィを恨むなんてことは絶対にしない。約束するよ」




 しばしの静寂が訪れ、ふと我に帰る。

 自分が割と達観しているかのような発言をしていたこと気づき、急に気恥ずかしさが湧いてきた。


「ごめん、なんかすごい恥ずかしいこと言ってた気がする……」


「そんなことないです!ちょっと驚いてしまっただけで!」


 慌てて首を横に振るラミィ。

 ふとラミィが小声で何か言っていたような気がしたが、雨の音にかき消されよく聞き取れなかった。


「わ、私もう寝ますね!おやすみなさい」


「うん、おやすみ」


 再び布団に包まったラミィは「2時になったら起こしてください!」とだけ言うと、数分と経たずに穏やかな寝息をたてはじめた。


(いや、これは起こせないだろ……)


 さぞ気持ちよさそうに眠る少女を見て、俺は4時まで頑張ることを決意した。






***






 ラミィ=シュガーロップは半獣人の父と人間の母との間に生まれた。

 それ故に獣人の血は薄く、外見はほとんど人間のそれに近い。獣としての特徴は長い耳と小さな尻尾だけ。


 愛くるしい姿ではあるが、それを奇怪に思う者も少なくはなかった。


 獣人、人間の子供達からは「中途半端だ」などと言われいじめられたこともあった。

 どちらの仲間にも入れてもらえず、当時のラミィには友人と呼べるような人物もいなかった。


 だがどれだけ辛い思いをしても優しい両親が側にいてくれた。

 だからこそラミィは健やかに穏やかな子として成長していくことができた。


 やがて、そんなラミィにも一つの夢ができた。


 それは治癒術師になること。

 かつて治癒の魔術で沢山の人々を救った母のようになりたい。


 いつしかそう思うようになったラミィは独学で魔術の勉強をし、そして一年程前にギルド【千獣の覇者ベスティア】の扉を叩いたのだ。


 ギルドにはかつての子供達のように差別をしてくる者はいなかった。

 人間も亜人も、その混血であっても関係無い。


 誰もが武器を手に取り、酒を飲み、仲良く肩を組みながら自由に生きている。

 そんな光景を見てラミィは涙を溢した。


 ここなら頑張れる。もう我慢なんてしなくていい。


 半獣人と人間の混血である自分を蔑む者はいない。


 家の外で、ようやく手に入れた自分の居ていい場所だった。


 ラミィは自力で学んだ治癒魔術で人の役に立つため、仲間達と共に様々な仕事へと赴いた。




 しかしそれからだった。

 少女が不幸体質と呼ぶ“それ”が始まったのは。


 治癒魔術の効果が飛躍的に向上するという杖を買い、その日のうちに使い物にならなくなった。


 魔物討伐の仕事では本来いるはずのない強力な魔物と遭遇してしまい死にかけた。


 過酷な環境にある薬草を必至で手に入れた時には、既に依頼主はこの世を去っていた。


 きっと運が悪かっただけ。


 少女は自分にそう言い聞かせ、仕事に励む。

 それでもその不運が終わることは無かった。


 やることなすことが裏目に出る。何もしなくても面倒事に巻き込まれる。


 まだ大丈夫。私はまだ元気。


 気がつけば少女の側からは一人、また一人と消えていった。

 親しくしてくれていた者達からも冷たい目で見られるようになった。


 その時期からぼーっとしていることが多くなった。

 よく物を失くすようになった。何もないところですらつまづいてしまうようになった。


 不出来な自分。でも仕方ない。もう何も考えられない。考えるのが怖い。


 何も知らない自分を装って少女は現実から目を逸らし続けた。


 離れていかないで。見捨てないで。


 声にならない叫びは、誰の耳に届くこともなかった。


 せめていい子でいよう。

 「人に優しい娘でいてね」という母との言葉だけがボロボロの少女を支えていた。


 そんな中、また新しい人とチームを組むことになった。

 これで何度目だろう。少女は数えることもやめていたのでわからなかった。


 今度は黒髪の人間の少年と、厄介者扱いされている角の生えた白髪の少年も一緒だった。


 不安しか無いけど頑張ろう。

 そう思い少女は無理矢理自分を鼓舞した。




 そして案の定また不幸に見舞われた。


 ようやく見つけた巣穴に目的の魔物はいなかった。


 明日も探索を続行しなければならないというのに外は激しい雨が降り始めている。


 荒れた天候のせいか、魔物の巣で眠ることに対する恐怖心のせいか。

 気がつけば少女はクロムという人間の少年に弱音を吐いていた。


「ラミィがこれまでどんな辛い思いをしてきたのかはわからないけど、少なくとも魔物に出会したのは君のせいじゃない。それに自慢じゃないけど、俺も故郷では色んな人に迷惑かけてきたし」


「何より、周りの人のためを想って行動できる君は、その分だけ幸せになる権利があると思う」


「もしこれから先の仕事で死んだとしても、俺はラミィを恨むなんてことは絶対にしない。約束するよ」


 彼の言葉はどれも優しいものばかりだった。

 皆、最初の頃はそう言ってくれたけれど、でも次第に離れていった。

 彼もいずれはそうなってしまうのだろう。




 しかしクロムの瞳は真っ直ぐだった。

 何の確証も無いのに、不思議と彼が嘘をついてないことはラミィにもわかった。


 そんな確かな決意を帯びた眼差し。

 その目は今まで嫌悪の目を向けられてきた少女にとって、何よりも温かなものだった。


「嬉しいなぁ……」


 無意識のうちにそんな言葉が小さく漏れていた。

 面と向かって優しくされたのは、随分と久しぶりだった。


──クロム=ファルク。不思議な男の子。




 急激に顔が熱くなってきたラミィは、すぐさま布団に包まって横になった。


 自分の胸から激しい心臓の鼓動が聴こえてくる。


 これ以上話しているとどうにかなってしまいそうな程に。


(明日はもっと色んな話ができるといいなぁ)


 高鳴る胸を抑えながら、ラミィは深い眠りについていった。






***






 入り口の隙間から差し込む朝日で、目を覚ます。

 何度か瞬きしてから休み切った脳を覚醒させる。


「しまった。寝ちゃってたのか……」


 昨夜はあまりにもラミィが熟睡していたので起こそうにも起こせず、結果として4時間見張りをする道を選んだのだが、どうやら交代前に寝てしまっていたらしい。


 寝込みをリザードに襲われなくて良かったと安堵しつつ、周囲を確認する。


 ラミィは暖かそうな布団に包まってまだ眠っているようだ。

 対するイブキは……


「──あれ?」


 イブキの姿がない。

 昨夜は大の字で豪快に寝ていた白髪の少年が消えている。

 彼のいた場所には荷物一つ残っていなかった。


「まさか……」


 嫌な予感がして洞穴から飛び出す。


 外は昨夜の雨の影響で湿った地面が続いている。


 そこには何者かがどこかへと向かっていく足跡が微かに残っていたが、足跡らしき窪みがそこらじゅうにあるせいで、どこへ向かっているのか識別しにくい。


 改めて辺りを見渡すが、近辺に人影はない。


 まさかイブキは俺達を置いて一人で魔物の討伐に向かってしまったのではないか。


 最悪の可能性が頭をよぎり、熟睡中のラミィの元へと駆け寄る。


「ラミィ、起きてくれ! イブキが危ないかもしれない!」


「ふぇ……なんれすか……?」


 ラミィの身体を少し乱暴に揺らし、強引に目覚めさせた。

 今は少しの時間が惜しい。眠たげに目を擦るラミィになるべく簡潔に要件を伝えた。


「え、まずいですよ! どうしよぉ……」


「そうだ、ラミィ確か嗅覚がどうこうって話してたよな? イブキの匂いとか追えたりしないか?」


 ラミィの耳がそれだ、と言わんばかりピョコンと立った。

 イブキが寝ていた場所に座り、可愛らしい鼻をひくつかせる。


「雨でちょっとわかり辛いですけど……微かに残ってます!」


「頼む、イブキのところまで案内してくれ!」


「はい!」と力強く頷き返すラミィ。


 最低限度の身支度を済ませた俺達は、先行したイブキを追うべく彼の匂いが残る方角へと走り出した。

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