8.アストリア王国

 女神歴994年 4月 




 ゆらゆらと木々が揺れている。

 枝葉だけでなく幹そのものが揺れているようにも感じる。


 通ってきた道は真っ直ぐだったはずだが、振り返ってみると道は蛇のようにうねうねと湾曲していた。

 不思議な光景だ。


 目に映る景色はガタン、ガタン、という振動と共にまた一変する。

 まるで大地そのものが揺れているような、そんな錯覚を覚える。


 否、揺れているのは自分だ。


 遥か遠くまで伸びる一本道。

 そこを進むのは一台の馬車。

 四つの車輪がついたその大きな車体を、二頭の馬が少し気怠げに引いている。


 道はある程度整地されてはいるが、小さな石ころ一つで車体は軽く跳ねる。

 今まで感じたことのないその不思議な感覚に込み上げてくるものがあった。


 無論、感動とかではなく物理的なそれ・・だが。


「やば、吐きそう……」


「ハハッ、いいぞそのまま全部出しちまえ!」


「ちょっ、おい坊主!もう着くから我慢しろ!」


 隣に座る甲冑姿の男は愉快そうに笑うが、馬を手繰る男は慌てた様子で声を荒げていた。


 俺は口元を抑えて楽な姿勢をとる。

 おそらく自分の顔色はすこぶる悪いだろう。

 数十分前にとった朝食が逆流してきそうだ。


 クロム=ファルクは人生初の乗り物酔いという現象に苦しめられていた。




 旅立ったのは2週間ほど前。

 最終試験で作った剣と少しずつ貯めていた貯金、そして弟子入りした際に師匠から貰った小型の鎚を持って俺はラステル村を出た。


 両親は2人とも過保護気質なので、出発間際まで落ち着かない様子だったが、最後は笑顔で送り出してくれた。我ながら良い家族に恵まれたと思う。


 姉のセレンはというと、二年程前に俺より早く旅立っている。

 将来有望な魔術師の卵。そして何より当の本人が「外の世界でもっと色んな魔術を見て回りたい」などと言い出せば、止められる親などいないだろう。

 それ以来、自宅には定期的にセレンからの手紙が届くようになった。


 今どこで何をしているのかは知らないが、きっと元気にしているはずだ。




 こうして村を出た後、俺は父の友人である商人の馬車に乗せて貰い、2日程で村から一番近い街であるマルセナまで移動した。


 幸い魔物と遭遇することは無かったが、人とすれ違うようなこともなかった。

 何しろ故郷は最北の地と呼ばれる地域だ。

 特産品がある訳でも無いので交易は盛んとはいえなかったし、村と外を行き来する者はそれこそ商人以外ほとんどいない。


 マルセナの街に着いてからは、週に一度訪れるというアストリア行きの馬車を待つ必要があったため、1週間程滞在することになった。


 宿屋を経営する夫婦とその子供達とも仲良くなり、別れ際に号泣されたのは記憶に新しい。


 その後、無事にアストリア行きの馬車に乗った俺は御者と護衛の騎士と共に何度か野営をして夜を過ごし、そして今に至る。




「危なかった……」


 気の遠くなるような旅が終わり、ようやく馬車は目的地に辿り着いた。

 吐き気に耐え切った自分を褒め称えたい。


 揺れのおさまった車内で何度か深呼吸をしてから客席を降りる。


「ありがとうございました」


「ったく、車内で吐かれなくて良かったぜ……」


 俺は銀貨2枚を手渡し、御者の男は安堵した様子でそれを受け取った。


「いや〜ようやく終わったぜ!」


 続いて馬車から降りてきたのは甲冑姿の男。

 名はラッセルという。


 彼はアストリア騎士団の一員で、今回は護衛の任務を受けてマルセナの街からアストリア王国まで移動するこの馬車に同行してくれていた。


「ラッセルさんもありがとうございました。冒険の話とか面白かったです」


「おう!じゃ、任務も済んだんで俺はここらで失礼するぜ。お、そうだクロム、仕事に困ってんならギルドに立ち寄ってみるのも良いと思うぞ」


「ギルドですか?」


「あぁ、冒険者組合とも呼ばれててな。薬草の採取だとか魔物の討伐だとか、とにかく色んな仕事を取り扱ってるのさ。俺はこの後すぐ本部に戻らないといけないんで案内は出来ないんだが……」


 おそらく依頼主と冒険者を仲介している場所ということだろう。

 薬草の採取ぐらいなら自分にでも出来そうだし、確かにそこでなら稼ぎ口が見つかるかもしれない。


「いえ、その情報だけでも助かりました」


 軽く頭を下げ、ラッセルに別れを告げると騎士は手を振り、一足先に正門の方へと向かっていった。




「さて……」


 目の前には巨大な建造物がそびえ立っている。


 高さ30メートルにも及ぶ白亜の壁。

 それが地面に沿ってどこまでも広がっており、終わりが見えない。


 どうやら国の外周を分厚い壁で囲っているという話は事実だったらしい。

 これだけの規模の防壁があれば魔物など恐るるに足らないだろう。


 大国と呼ばれるその所以を直接目の当たりにし、俺は思わず呆然と立ち尽くしてしまう。


 まるで人の積み重ねてきた歴史そのものを表しているかのようだ。


 俺はひとまず入国の手続きを済ませるべく、正門付近に立つ衛兵の元に向かった。


 やはり冒険者の国といわれるだけあって所持品確認の基準は緩く、剣や鍛治に使う道具の持ち込みに関して特に指摘されることは無かった。


 後はいくつかの書類に必要事項を記入して提出。

 滞りなく手続きを済ませた俺は遂にその国へと足を踏み入れる。




「ここが、アストリア王国……!」


 多種多様な武器を背負い、闊歩する人々。


 見渡す限りの大きな建造物。


 どこからか流れてくる香ばしい匂いに、武器を鍛えるような金属の音。


 あまりの情報量の多さに圧倒される。


 繁栄、という言葉がこれほど似合う土地を俺は見たことが無い。


「それでよ、思いっきり振り回したら槍が折れちまったんだよ!」


「武器の扱いが雑なんだよ、お前は」


「ハハッ、間違いねぇ!」


 談笑をしながら目の前を通り過ぎる集団。驚いたことに彼らは人間では無い。


 人間と同じような体格ではあるが、その身体は深い毛に覆われ、鋭利な牙が剥き出しになっている。

 おそらく獣人族と呼ばれる種族だろう。


 不覚にもホワイトウルフを思い出してしまい背筋が凍るが、彼らも人語を用いて仲睦まじいやり取りをしていた。


「本当に、あったんだな」


 今まで夢のようだと思っていた国がこうして目の前に実在している。

 様々な種族が手を取り合い、生活するその光景は昔読んだおとぎ話のようで、とても美しかった。


 じっくりその場で3分以上も立ち尽くしてから我に帰る。

 まずはやるべきをやらなくては。観光するのはその後だ。


 そう思い、今一度自分の状況を確認した。


「あんまり無駄遣いは出来ないな……」


 財布の中には銀貨3枚と銅貨4枚。


 銀貨1枚は銅貨10枚と同じ価値を持つので、現在の所持金は銅貨34枚分ということになる。


 故郷であるラステル村からこのアストリア王国に辿り着くまでに、かなりの費用を消費してしまったため、あまり余裕は無い。


 食費と宿泊費だけで大まかに計算すると1週間保てばいい方だろう。


「ラッセルさんも言ってたし、まずはギルドにでも行ってみようかな」


 ギルドとやらの具体的な位置までは聞いていなかったので、とりあえず当てもなく散策することにする。




 城下町はとにかく誘惑で溢れかえっていた。


 見たことも無い食品を扱う料理店に、怪しげな魔術道具専門店。

 更には多種多様な武具を揃える武具店まで。


 視界に武器が入ってしまってからはもう好奇心を抑えることはできず、冒険者組合なる建物に辿り着く頃には2時間も経過してしまっていた。

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