4.魔術師

 その日の夜、俺は自室のベッドで目が覚めた。


 どうやら日が沈みきる少し前に、村長の家に運ばれたらしい。

 両親からはこれでもかと心配され、姉さんに限っては号泣までしていた。


 とても馬鹿なことをしたと改めて反省したが、それ以上にあの老人と彼の持つ剣がずっと胸の奥底に引っかかって忘れられなかった。


 夕飯を食べ終え、自室に戻ってきた俺はベッドに横たわる。


「まだ名前も聞いてないのに……」


 歯痒い気持ちを堪えて、枕を強く抱き締める。


 老人は命の恩人であり、それと同時にようやく見つけた本物の鍛治師だ。


 彼の前で頭を下げ、弟子入りしたいと懇願した事実に嘘偽りは無い。


 血の滲むような鍛錬を積む覚悟も、とうの昔に出来ている。


 しかしまずは命を救われた恩を返さなければ気が済まない。

 弟子入りを願うにしても、それが終わってからだ。


「けど外には、出れないよなぁ……」


 起き上がって窓の外を眺める。

 とっくに外は暗くなり、灯りと呼べるものは他の住宅から溢れる光だけだ。


 俺は眠気を振り払い、必死に脳を回転させて外に出るための作戦を練り始めた。

 立ちはだかる障害は主に二つ。


 一つ目は外出の許可がとれるかどうかだ。これだけ沢山の大人達に迷惑をかけたのだから、まず簡単に許しは貰えないだろう。


 二つ目はどうやって魔物の目を掻い潜って老人の元に辿り着くか。

 聴こえた金属の音の大きさからして、老人の工房はあの湖からそう遠くない位置にあるはず。


 しかし次に魔物に襲われれば次こそ命は無い。

 家にある武器といえば刃こぼれした斧だけ。

 かろうじて振り回すことは可能だが、撃退出来るかと言われるとその可能性は限りなく低い。


「やっぱり一人じゃ無理かー……」


 やはり協力者が必要不可欠だ。

 魔物より強い、あるいは退ける術を持ち、尚且つこれらの事情を全て話した上で、快く引き受けてくれそうな人物。


「うーん」と唸り声を上げながら自室の中をぐるぐると歩き回る。


 考え始めて早10分、やがて一つの解決策が浮かび上がった。


「うん、これならいけそうだ」


 考えがまとまった丁度その頃、コンコンと扉を叩く音が響いた。

 やがて木製の扉がゆっくりと開かれる。


「クロム、寝てなくて大丈夫なのか?」


 訪ねてきたのは父のジンクだった。母ほどではないが父もかなりの心配性だ。


 姉が魔術の勉強を始める前日は夜通し教材を確認し、「あの道具に危険性はないか」、「あの本の記述に間違いないか……」と一人呟きながら念入りに準備をしていたのを覚えている。


 今回もおそらく結界の外で倒れていたという俺の様子を見にきてくれたのだろう。

 思わぬ好機に人知れず拳を握る。


「父さん、一つお願いがあるんだけど……」






***






 魔術師という存在は基本的に子孫、後継者を残すことを重視している。

 何でも、自分が一生をかけて取り組んだ研究、極め続けた魔術の技をその一代で終わらせたくないのだそうだ。


 そうして受け継がれてきた多くの魔術が今の世界の基盤を作り上げてきた。

 生活はより便利になり、人々は魔物に立ち向かう術を獲得していく。

 その進化は未だ留まることを知らない。


 ジンクも子供達には自由に生きて欲しいと言っていたが、きっと心のどこかでは自分が得てきたものを継承していって欲しいと願っているはずだ。


 何せ姉のセレンに天才的な魔術の才能があると判明し、本人がもっと魔術を知りたいと言った時にはジンクは泣いて喜んでいたぐらいだ。


 まぁ、つまり何が言いたいかと言うと……


 魔術師の親は魔術を学びたがる子に甘いのだ。




(まさかうまくいくとは……)


 ホワイトウルフの群れに襲われた翌日。クロム=ファルクは懲りずに結界の外を歩いていた。


 しかし昨日とは異なる点が一つ、それは隣に我が父親ジンクがいるということだ。


「いや〜まさかクロムが魔術について学びたいなんて言い出すとはな!父さん嬉しいぞ〜」


 出立から20分、ジンクは心底嬉しそうな笑みを浮かべている。


 昨夜、自室を訪ねてきた父に俺はあるお願いをした。 それは「結界の魔術の勉強も兼ねて、自分を助けてくれた人にお礼を言いに行きたい」というものだ。


 心優しく礼節を重んじる父は快く承諾してくれた。

 姉との魔術勉強会をわざわざ休みにしてまで、俺の我が儘に同行してくれることになったのだ。


 俺と父は既に湖の淵を周り、枯れ木が屹立する場所まで来ていた。昨日ホワイトウルフに襲われた場所でもある。


「昨日はこの辺りで襲われたのか?」


 雪の上に残った複数の足跡を見つけたジンクは、真剣な顔でそれを観察している。

 おそらくこれはあの狼達のものだろう。


「うん。でもお爺さんの家は……もっと先の方にあると思う」


「そうか、ならもう少し先に進もう。にしてもクロムを助けてくれた人は随分と危険な場所に住んでいるんだな。ここから先の地域はいつ魔物に襲われてもおかしくないぞ?」


 確かにその通りだ。いくら強い武器があると言えど、80を超える歳の人間が暮らすにはこの土地は些か厳し過ぎる。


 鍛治師であるかということはわかったが、それ以外の情報は全く無い。老衰した身体に残る逞しさ、炎を帯びた剣。


 一体あの人は何者なんだろう。そんな疑問について考えていると、ふと目の前のジンクが足を止めた。


「どうしたの?」


 父に問いかけると、ジンクは口元に指を当てて「静かに」という指示を出す。


 耳を澄ませるとザッザッという音が徐々に大きくなっていくのがわかった。

 間違いない。この雪原を身軽に疾駆する足音は鮮明に覚えている。


 程なくして音の主は枯れ木の合間から颯爽と現れた。想像通りホワイトウルフだ。

 数は七匹。昨日よりは少ないが、向けられる殺意に何ら変わらない。


 襲撃者を前にしてゴクリと唾を飲む。いくら父がいるとは言え、一度命を奪われかけた相手を目にすると流石に足がすくむ。


「クロム、俺の側から離れるなよ」


「う、うん……」


 ジンクは真剣な表情でそう促す。

 言われた通り俺は少しだけ父に近づき、かつ邪魔にならないように適度な距離を保つ。


 それを確認したジンクは軽く息を吐き出すと、懐から何やら小さな小瓶を取り出し、その栓を外した。


「Garuu!!」


 先に動き出したのはホワイトウルフだ。低く唸り、疾風と化した狼達は躊躇いなく一直線にジンクへと迫る。


 対するジンクは顔色一つ変えず、小瓶の中身を宙に撒き散らした。

 空中に散りばめられたのは銀色の液体。

 そんなものがどうしたと言わんばかりに、狼達はより速度を上げて、眼前の獲物を狩るべく疾駆する。


 否、獲物なのは彼らの方だった。


銀よ、槍となれスピア・シェイプ


 ジンクの口から短く紡がれた言葉。それが合図となったかのように銀の雫は一斉に動き出す。


 一滴一滴が密集し、結合し、伸縮する。まるで一つの生命であるかのように、それは瞬く間に先端を尖られた棒状の物質へと変化していく。


 刃の部分は短く、対照的に持ち手の部分は細長い。この形の武器を俺は知っている。そう、槍だ。


 僅か一秒の形状変化。虚空には数十本の銀の槍が規則正しく整列し、鋭利に尖ったその穂先を襲い来る狼の群れへと向けている。


 接触まであと数秒。目と鼻の先にまで迫った白き狼の群れ。

 魔術師はそれを見ても少しも表情を崩すことなく、ただ冷酷に、無情に、次の命令を口にした。


貫けペネトレイト


 直後、銀の槍は一斉に放たれた。

 それは空を裂く流星群のように飛翔し、歯向かう者の喉元を裂き、足を穿ち、心臓を貫く。


「Gruu……a、aa……!?」


 狼はそれぞれ断末魔を上げ、次々に宙へと投げ出されていく。


 目が離せない。先程まで胸中に渦巻いていた恐怖心は既に消え去り、俺は目の前に広がる神秘的で苛烈なその現象に釘付けにされていた。




 最後の槍が深々と地面に突き刺さった頃、もうそこに生き残った生命はいなかった。


 圧倒的なまでの蹂躙。染み一つなかった真っ白な雪原は魔物の血液で真っ赤に染まっている。


霧散ミスト


 ジンクが命令と共に指を鳴らすと、雪原に突き立つ墓標となっていた銀の槍は、一時の幻であったかのように霧となって消えていった。


「すごい……」


 およそ魔術師と呼ばれる者の戦闘を初めて目の当たりにした俺は思わず感嘆の声を漏らし、呆然と立ち尽くしていた。


 これまでジンクの魔術は何度か見てきたが、どれも扉の留め金を修理したり、小さな石の塊を女神を象った小さな石像にしたりといった控えめに言って地味なものだけだった。


 けれど今の魔術は違う。明らかな攻撃の意志を持った魔術。

 あまりの強烈さ、恐ろしさに改めて息を呑む。

 初めて見る父の姿に、俺は恐れと共に改めて尊敬の意を抱いた。


 これからはあまり怒らせないようにしよう、俺は人知れずそう心に誓った。


「ふぅ……どうだクロム?お父さん格好良かっただろう?」


 先程までの真剣な顔つきはどこへやら。

 いつもの明るい父親の顔へと戻ったジンクは自慢げに鼻を鳴らした。


「うん、何が起こったのか全然わかんなかった」


「あれはだな、あらかじめ俺の魔力を注ぎ込んでおいた水銀に形状変化の命令を与えて槍に変形させたのさ。運動命令は簡単なやつにしたが工夫すればどこまでだって敵を追いかける矢にもなるし何人たりとも通さない分厚い壁にも──」


(全然わからん……)


 饒舌に魔術ついて語るジンク。

 魔術の基礎すら把握していない子供の頭では異国の言語にすら聞こえる。


「おっと、すまんすまん。つい悪い癖が出ちまった。さぁ先を急ごうか」


 探索を再開したジンクの背中を追って、枯れ木の間を黙々と進む。


 幸いにもその後は魔物に出会うことはなく、開けた場所に立つ簡素な家を見つけるのにそう時間はかからなかった。






***






「村の錬金術師、ジンク=ファルクといいます。この度は息子の命を救って頂きありがとうございました。深くお礼を」


 老人の家、もとい工房を尋ねた俺と父。

 ジンクは目の前で淡々と鎚を振るい続ける白髪の老人に深々と頭を下げる。


「ほう……お前が結界を敷いた魔術師か」


 老人は手を休めることはない。振るわれる鎚は赤熱した棒状の金属を更に薄く、伸ばしていく。

 カァーン、カァーンという音色は間近で聞くと更に迫力があった。熱を帯びた心地良い響きが心臓の鼓動を加速させる。


「小僧、お前魔術師の子でありながら結界の存在にも気づけなかったのか」


 ふと投げかけられた老人の何気ない一言が深々と胸に突き刺さった。

 魔術の才能が無いと言われたことは無かったが、それは父なりの優しさだったのだろう。


 消沈する俺とは対照的に、ジンクは落ち着いた様子で一歩前に出る。


「まさか村の外にも人が住んでいたとは思いませんでした。お望みでしたらすぐにでも結界を広げる準備を……」


「その必要は無い。儂は望んでここにいる。魔物の心配なら無用だ」


「ですが……」


 悩むジンク。それもそのはず、魔物に襲ってくれと言わんばかりのこの家を放っておけというのだ。

 優しい父が見過ごせる筈もない。


「小僧も小僧だ。弟子は取らんと言っただろう。わかったら諦めて帰ってくれ」


 いや、簡単に引き下がってなるものか。

 結界の件も、弟子にしてもらうという件も、今は関係無い。


 ただこの人に恩を返したい。俺はその一心でここに来たのだから。

 意を決して俺も一歩前に踏み出す。


「いえ、今日は恩を返しに来ました。昨日も言いましたけど、雑用でも何でもやります!」


「だから要らんと言って──」


「やります!!」


 食い気味に攻め立てる。その後も老人は何度も拒絶するが、俺も諦めずに自分の意志を主張し続けた。




 そんな攻防が繰り広げられること十数分。口論は老人の一言で幕を閉じる。


「……一月ひとつきだ。一月の間、雑用仕事ならくれてやってもいい」


「本当ですか!?」


 予期せぬ一言に目を丸くする。

 激闘の末に、何とあの頑固者の老人を根負けさせることに成功したのだ。

 謎の達成感を感じて、強く拳を握る。


「言ったからには責任を持ってやり遂げて貰うぞ。覚悟はいいな?」


「はい! よろしくお願いします!」


 先程の父に負けじと深々と頭を下げる。


 今はまだ鍛治師になれなくても構わない。ただこの人の近くで、武器が作られていく過程を見られることが何よりも嬉しかった。


 それを見ていたジンクは我が子の将来を楽しむかのように微笑み、「良かったな」と小さく呟いた。

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