第7話 また、もう一度。
朝、起きると何故か泣いている。そういう時は、いつも決まって故郷の森を思い出す。
「チェルカーレー!もう行くぞー!」
「あーちょっと待って!ミクトの葉入れてなかった!」
薬草を入れた木箱を念のためと確かめてみれば、一種類足りていないことに気がつく。慌てて店内に戻って、薬草棚から目的の一袋を引っ掴んだ。
「慌ただしいね。もう少しどうにかならんのかい?お前さんももう大人だろうに」
店先から首を出したトキさんが呆れてため息をついた。白髪混じりの髪を後ろでお団子に纏めた彼女はじっとりとした視線をこっちに送る。
……説教はごめんだ。
「すんません!いってきまーす!」
捕まる前に逃げるべく、荷物を抱えて外に出た。
「先に、用意しとけって言っただろう。帰ってきたら説教からかもな」
店を出てすぐの表通りで待っていた父さんが、開口一番に痛いところをつく。
「だよね、知ってる」
こういう事はちゃっちゃと忘れてくれれば良いのに、トキさんは絶対にそうならない。
「はぁ。これ全部売ったら許されるかな〜」
「さあな」
荷車に屋根や棚を取り付けた可動式屋台に手をかけて、出発早々がっくりと肩を落とした。
カタンカタンと背中に背負った荷物の中、小瓶らが小さく鳴る。
故郷を離れて、早9年。今回は稀に入る故郷の方からの依頼で、見かねたトキさんが俺達2人揃って出張させた。約6年ぶりの帰省だった。もうほとんど忘れてしまっているだろうと思っていたが、意外にもその道すがら行く先々で思い当たる記憶があった。
元々、7日はかかる道のりだ。同じ方面の集落にも寄りつつ、薬草を売っていくと、思っていた倍の時間がかかった。そして、ゆっくりと15日程が過ぎた時、ふととても懐かしい感じが心を巡った。我が家が近いのが、分かる。
「……父さん、もうすぐだよね」
先に続く砂利道を眺めたまま、ぽつりと呟く。
「あぁ、そうだ。この道を真っ直ぐ行って、左に折れて、少し登った所が我が家だ」
幼い頃の記憶がじわじわと徐々に蘇ってくる。比較的大きな通りを外れてら小道に入る。屋台の端を枝葉につっかけないよう気をつけながら、森の中を進む。木々が覆い被さるように青々としていて、緑の匂いが鼻についた。ガタガタと土埃が舞い、家を出た時をぼんやりと思い出す。道を辿れば辿るほど頭のどこかがちくちくと燻った。
緊張……しているのか?
「よっこい……しょ!」
重たい屋台を引き連れて、どうにか坂を登り切る。俯いていた顔を上げて、雑草に囲まれたその小さな家を見つけた時、心臓がドクンと高鳴った。
『チュンチュン』
……何か、大事な事を忘れている。
一歩ずつその家に近づいて行くほど、その思いが強くなる。雑草を掻き分け、玄関先に屋台を下ろす。やっと帰ってきた我が家に顔が綻んだ。
——リン……
突如、どこからか鈴の音が聞こえた。顔面がさっと熱くなって、滲んだ汗が頬を伝う。音の出元を探って辺りを見回した。
「チェルカーレ?どうかしたか?」
生え放題になった草木。太陽の光が差し込み、淡く光る林冠。家の前に広がる森の入り口を見つけた時、何かが閃いた。
「……ごめん、ちょっと行ってくる」
父さんの返事を聞くよりも前に、足が勝手に動いていた。森に入った途端、鋭かった日差しが和らぐ。ぐねぐねと、草木の生い茂った獣道を迷う事なく進んだ。覚えている訳ではない。でも確かに、見えない記憶の断片が、行くべき道を示していた。
『ジャロフィオレ・アラディージュ・デリジオゾ!』
脳内に響いた独特な旋律。
……黄色い花、ぼこぼこした根が食べられる……え、これハイナの実の事?
唐突にある植物の特徴が歌われて困惑するも、すぐに一つの野草が思い当たった。
『ヴィシド・アルンガトフォリア・ボリリーレ!』
ぬるっとした緑の葉っぱ、ゆでて食べるとおいしいのは、ミクトの葉。おいしいついでに腸も整えてくれる優れもの。そんで俺の好物……。
もうすっかり定着した知識が駆け巡る。
『カッティンバ・コンデディオーネ・ピッコラフォロトロンデ・フィオレヴャンコ!』
白くて、枝分かれ沢山…具合が悪くなった時にいいのは、イウガンの花だよな。
次々と流れる歌声を訳しながら、こめかみが締まるのを感じた。
こんなの、どこで知った?
珠のような高めの声も、聞こえるメロディーも、どこか懐かしくて過去に聞いたことがあるのだろうと悟る。でも、おかしいのだ。この歌の、“言語”が。
……エテルニーナの歌なんて、俺、知らない。
確かに、学校の図書館でエテルニーナの物語を読んでから、たくさん勉強した。本を読んで、先生に聞いて、多分そこらの人には負けないくらいの知識は持っている。でもこんな独特な節は聞いたことがないし、何十という本の中に、歌の事も、楽譜も、一際書かれていなかったはずなのに。
ざわりとした気持ち悪さを感じた刹那、何の前触れもなく、不自然に森がひらけた。
あ……
周囲の木々を一切寄せ付けず、そこにはただ1本の大木が聳え立っていた。太い幹の表面は荒く、ごつごつと幾重にも絡み合った根が円状に広がる。森の上にその樹冠を伸ばしたその木を、俺は確かに知っていた。
「……ハルラ〈母なる木〉」
ドクンとなった鼓動が耳元で聞こえる。おもむろに歩みを進め、根に触れかけた足を逡巡したのち、もとに戻して、立ち止まる。
「……リアフィオグ〈森の狩人〉」
浮かんだ言葉を口にすれば、どんどん埋もれ灰のかかった記憶が鮮やかになっていく。
「……キトミリル〈森の従者〉」
気がつけば、つぅと涙が頬を伝っていた。
「……エテルニーナ……」
この場所を、知っている。そこにいるであろう彼らを、俺はとうの昔から知っている。そして今は、あの頃よりもっと、もっと彼らのことを知っている。
突然現れた人外。うるさすぎる冬の幕開け。寒すぎる森での野草摘み。凍る床と飛び回る調理器具。ネバッコイ山盛りのルク。ブレンド茶に、野草の歌。ニュイっと笑って見える、ギザギザの歯。
——エテルニーナには、1つの伝説がある。
その国は何百年も前に栄え、人間と共存し、そして人間が生む文明の進化速度に追いつけなくなった故にやがて衰退し、消滅した。だが、ある年の冬を境に、ひっそりと復活した。今度は人間と干渉する事なく。姿さえも隠して。森を守る、あの世とこの世の、間の国として。人間の速度から解放された彼らは、今もなお、この世のどこかで存在し、かつての絆に思いを馳せながら、人間達の営みを見守っている。
ただ、時折。本当に稀に、彼らは姿を現す。親から離れた子供のために。深い森で遭難し、怯えている者のために。別れ際には一応出会った記憶を消して去ってゆくが、それでも心のどこかには残っている。いつまでも変わらずに。あたたかいままで。いつかまた、彼らの国で会いたいと願って。
それが、久遠郷(エテルニーナ)である——
やっと、思い出した。
全てのざわつきが優しく溶けて、すとんとまるい心が戻ってくる。
……記憶消すの得意って言ったの誰だよ。
次々と溢れ出る涙を拭いながら、ははっと笑う。
そうだ、そうだった。
「ランツァ」
その名を呼んで、顔をあげる。まっすぐ見据えたハルラ〈母なる木〉のそばに、ぽわりと小さな光が生まれる。ゆっくりと近づいてきた光は、目と鼻の先で小さくふるえ、形を変えた。
尖った耳と尖った靴。新芽のような澄んだ翠色の髪がふわりと揺れ、結わえた同色の組紐が、あおく光る。着ているワンピースはさらさらと移りかわり、背中の羽が凛と透き通った。
『やっと、あえた』
小さくはにかむ彼女にそっと手を向ける。
言葉だけが言葉じゃない。
翠色の双眸がすうっと大きくなって、綻んだ。
——いつか、また。もう1度、出会えたならば。
「ティンケ」
2つの声が重なって、ペチリとたおやかな音が鳴る。
「おかえり、チュンチュン!」
手を合わせたまま、指の隙間からニュイっと笑った彼女は、あの夜のままだった。風が吹き、木々が軽やかな音を立てる。
まだ覚えてたのかよ。
ふっと息を吐いて、後ろのハルラ〈母なる木〉を見上げる。
俺はもう、大人だけど。身長も伸びたし、お金も稼げるようになったけど。
些細な、なんの変哲もない小さな行動にあげる“出来たで賞”。久しぶりの感触を繋ぎとめるように、あの瞬間、願った心をもう忘れないように。小さな手ともう一度音を鳴らして、
——俺は君と、
「ただいま!」
——ハイタッチがしたい
高らかに、叫んだ。
可惜夜のこたま 竹倉 翠雨 @yuina-takekura
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