第6話 故郷

目を覚ました時、何故か暖炉の前のクッションで横になっていた。大方、炎の熱が心地よくて寝落ちしたのだろうが、硬い床で一晩を過ごしたお陰で身体が痛い。グルグルと節々を動かしながら、キッチンへ向かうと、武器庫の前に椅子が転がっていた。

……俺、こんな所に置いたっけ?

ちらと扉を確認するも、誰かに開けられた感じはないし、勿論、壊されてもいない。怪訝に思いつつ、その隣のドアノブに手を伸ばして、はっと止まった。分厚い扉の向こうから、微かに、でも確かに誰かが料理をしている音が響いていた。

こんな事をするのは、1人しかいない。バタンっと勢いよく扉を開ければ、キッチンは美味そうな匂いで溢れ、そこにはこの冬の間、待ち望んだ彼が目を丸くして立っていた。

「父さん!」

そっと近づいていくと、彼はコンロに手を伸ばし、火を止めた。服の端で少し手を拭うと、大きな手がぽすんと頭の上に落ち着いた。

「おう。ただいま、チェルカーレ」

低く、柔和な声に思わず懐かしさを感じてしまう。頭上に乗った節くれた指を握って、少しの気恥ずかしさと共に、口に出した。

「おかえり、父さん」

 

 少し遅めの朝飯を終え、食器が元の位置に戻ったところで、キッチンに父さんが顔を出した。

 「ちょっといいか」

 「いいけど……何?」

 まあいいからと続ける彼を見て、どことなく不安が過ぎる。

 「……わかった。何かお茶を淹れるからちょっと待ってて」

 「あぁ、ありがとう」

 父さんの背中を見送って、壁についた棚の中から、茶葉の入った壺を探す。その中に、見覚えのない茶葉を見つけて、首を傾げた。パコっと小気味良い音と共にふんわりと柔らかい香りが漂う。

 ……あ、これ好きかも。

 出所はよく分からないが、ここにあるなら大丈夫なはずだ。多分、父さんが城下から買って帰ってきたのだろうと結論づけて、遠慮なく使わせてもらう。

 なんか、この香り懐かしいな……。

 そんな事を思いながら、マグカップを2つ持ってリビングに戻った。

 「それで……?何の話?」

 カップを父さんの前に置いて、向かいの椅子に座る。一瞬ためらった父さんだが、次には真っ直ぐにこちらを見て、しっかりと告げた。

「チェルカーレ、お前も、城下で暮らさないか?」


父さんが帰ってきて一月後。最低限の生活に必要な物だけを詰めた荷台を前に、生まれてからずっと住んでいた我が家に鍵をかけた。

「じゃあ、行くか」

「うん」

ガラガラと木のタイヤが地面と擦れ、土埃が立つ。

今日からは、初めての山越えで、初めての城下だった。あの日の、城下で暮らさないかという提案に、俺は少し渋った。父さんと居たいのは山々だが、同じくらい、この小さな我が家が大好きだったからだ。

「城下に行ったら、もうこの家には戻ってこないの?」

怖々と聞いた俺に、父さんは首を振った。

「いや、この家を手放す気はないよ。ただ、向こうにチェルカーレも一緒に行って、一緒に働いて、一緒に帰ってこようと言っているんだ」

大きめのマグカップでぐいっとお茶を飲むと、身体を机に預けて、微笑んだ。

「下働きからだろうから大変かもしれんが、やっとお前も働ける歳になっただろう?働けば、お前の分の部屋も与えてくれるだろうし、もう1人で留守番しなくていい。城下の仕事は忙しいところばかりで、頻繁には帰って来られないだろうけど、ここよりずっと生活が楽になるんだよ」

どうだ?と返された言葉で、父さんが城下で暮らしたいのが分かった。父さんとずっと一緒にいられて、俺は留守番しなくてよくて。この家にも帰ってこられるなら、こんな好条件はない。それならいいよと頷きかけたその時、頭の中を何かがよぎった。はたと動きを止めて、それが何だったのか考える。だが、次にはその感情がどういうものだったかさえも、よく分からなくなっていて、妙な気持ち悪さを微かに残したまま、改めて頷いた。

「……いいよ、城下行こう」

そうして、一月で家中の掃除と、荷造りを済ませて、今日やっと出発したのだった。話によれば、俺も父さんも働くのはこの冬、彼がお世話になっていた薬屋で、その2階をこれからは住居として貸してくれるのだそうだ。

「店主のトキさんは厳しくて、怒ると本当に怖いけど、根っからの善人だよ、あの人は」

荷車を引きながら、そう言った父さんは、どこか誇らしげで、城下への不安が少しずつしぼんでいくのが分かった。


様々な植物が開花し、色とりどりの街並になった頃、城下での暮らしは始まった。初めは、とにかく薬草の名前が覚えられずに、何をするにも時間がかかった。その間、トキさんに叱られるのではないかと心配したものだが、彼女は決して理不尽な怒りは向けなかった。むしろじっくりと丁寧に、時間をかけて薬草達の名前から効果まで覚えるのに付き合ってくれた。

1度それらをきちんと覚えてしまうと、薬屋の仕事というのは面白く、やりがいのある仕事だった。季節に夏の色が混ざり始める頃にはすっかり板について、トキさんの薦めで学校にも通うようになった。学校の授業は面白くて、でも1番好きなのは図書館だった。

中でも気に入ったのは何百年も前に実在したエテルニーナという国の歴史物語だ。ハララ呼ばれる大木と、それを守る従者の話。森の始まりで、全ての源であるハララを枯らさぬように、鈴を鳴らし、祈りを捧げるキトミミと、結界を守り犯した者を狩るリーフォク。ハララの根と枝葉の間で栄えた国、エテルニーナでかつては人間も暮らしていたというのがわくわくするし、キトミミもリーフォクも愛らしくてすぐに好きになった。色々な本で調べているうちにエテルニーナの簡単な言葉なら分かるようにすらなった。

そして、このトキさんの薬屋が、第2の故郷になると、次第にあの小さな家に帰省する回数は減っていき、3年が経つ頃にはほとんど帰ることはなくなっていた。

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