第35話 ハラハラするのは一日一回でも充分すぎる

(1)


 セイラが座る小さな勉強机の隣に、クリシュナが座る大人用の机が並ぶ。

 ナオミの説明に従い、同じ文字を書き取る二人の横顔は真剣そのもの。しかし、筆が進む速さは違う。


「ガーランドせんせー、できたぁ!」

「セイラさん、できました、です」


 本当は『書けました』が模範的だけれど、細かく指摘し過ぎて意欲を削いでは元も子もない。言葉遣いの指導は追々、少しずつでいい。今は年齢相応の読み書きを完全習得することだ最重要だ。


「ガーランドせんせー、できましたぁ!」

「あぁ……、セイラお嬢様おはやい……」


 得意げなセイラと手元の書き取り用紙を見比べ、ペンを握ったままクリシュナはひどく焦っている。書き取り用紙を埋める文字はまだ三分の二程しかない。


「シュナさん。競争ではありませんから、焦らずゆっくり取り組んでください」

「でも、私が遅れたら授業が」

「セイラさんには別の課題を出しますし、貴女は貴女のペースで無理なく進めていただければ大丈夫ですよ」

「はい……」


 言葉と態度は納得しているように見えて、クリシュナの顔から焦りは消えていない。

 無理もないか。自分の名前以外は書けないし読めない。口頭言語が流暢で完璧なだけに、文章言語が壊滅的なことに恥じ入る節がある。


 知らない、分からないから勉強するのだ。気にしなくていい。

 何度か励ましてみたものの、主人セイラと机を並べて勉強するからには足を引っ張ってはいけない気持ちが強すぎる気がする。

 授業料もクリシュナの給金ではなくクインシーから受け取ることになったのもあってか、恩に報いるためにとにかく早く習得しなければ!と気が急いているようにも見える。


 セイラと共にクリシュナを教え始めて一週間。

 どうしたものかとナオミは少し頭を悩ませていた。


「ねーねー、シュナー」

「はいっ、お嬢様」


 セイラへの次の課題を準備していると、セイラがクリシュナの肩を叩き彼女の机へ身を乗り出していた。


「セイラさん。シュナさんの邪魔をしてはいけません」

「ちがうもーん。シュナにおべんきょうおしえてあげるんだもーん!」


 いけません、と止めようとして思い留まってみる。

 人に教えることで学習したことへの内容理解が確認できるし、理解がより深まっていく。ここは黙って静観することにした。


ステイクはねぇ、お肉のステーキとおんなじ文字つかってるんだよー」

「あ、はい」

「ステーキはS・T・E・A・Kでー、杭はS・T・A・K・Eね!」


 クリシュナは顔に疑問符を浮かべつつ、言われた通りに『steak』『stake』と書き取りノートに綴る。

 セイラの理解成長は大変喜ばしいが、やはり少し心配になってきた。

 説明の拙さが却ってクリシュナに混乱を招かないか。内心ハラハラする。


「あ!なるほど!文字数は同じで一部の文字を入れ替えるだけでいいってことですねっ」


 天啓得たりとばかりにクリシュナの表情が一気に晴れていく。

 そろそろ止めようと思たのが杞憂に終わった。気のせいか、クリシュナのペン先はさっきより滑らかに動いている。


「セイラさん、ありがとうございます。人に教えるまでに成長して……、私はとても嬉しいです」

「えへへー」

「気づきを得たシュナさんも偉かったですね」

「いえ、そんな!」


 心底嬉しそうに笑うセイラと照れるクリシュナ。

 ナオミも二人の成長が嬉しくて、珍しくにこにこと自然な笑顔を浮かべていた。







(2)


 白地に緑と紫の小花が散る壁紙、ロイヤルブルーの無地の長椅子とカーテン。

 四人掛けのテーブルには薄い水色のクロス。端の白い花瓶には紫のサルビアと白いアスター。

 デクスター家の応接室は寒色で統一されている。

 庭園と同じくクインシーの趣味だが、秋である今の時期だと正直寒々しく感じてしまう。


 仕事に戻ったクリシュナがカップに注ぐ紅茶に温かみを感じ、ホッとする。ひと口飲めば、疲れも寒々しい気持ちも解れていく。


「そうですか。セイラとシュナが……」

「えぇ。お二人が共に授業を受けることでお互い良い刺激になっています」


 そうですか、そうですか、としきりに頷き、クインシーは目を細めた。

 貴公子然とした華やかな美貌は若かりし頃と変わらず、と噂に聞くも、笑ったときに寄った目尻や頬、口元の皺は年齢を隠せない。けれど、却って年相応の落ち着きと優しさが感じ取れる。


「しかし遅いな」


 カップを持ち上げたまま、クインシーはナオミを通り越して更に後ろの扉へ視線を送る。


「陽が落ちてしまう。Missガールに夜道を帰ってもらうことになってしまう」

「お仕事がありますもの。仕方ないですわ」

「これもまた『仕事』なのだがねぇ」


 くいと、残りの紅茶を飲み干す仕草さえもとてつもなく優雅だ。

 美しい人間は何をしても様になる、などと、することもないので冷静な視点でクインシーをさりげなく観察していると廊下から大きな足音が近づいてくる。


「遅くなって申し訳ありません、お父様、ナオミさん。ただいま戻りました」

「おかえりルード。廊下はもっと静かに歩きなさい」

「帰って早々」

「口答えはしない」


 全然責めているように聞こえない穏やかな語調なのに、ぐぬっ……とルードは言葉を詰まらせ、飲み込む。気障ったらしく軟派な印象を正直クインシーに抱いていた分、あぁ、この方はちゃんと父親なのね、と大変失礼ながら感心してしまった。


「シュナ。ルードにも紅茶を」

「はい、旦那様」


 ありがとう、とクリシュナに礼を言い、ルードはナオミの隣に座った。


「帰ってきたばかりですまないが、Missガールの帰宅時間を考えて今すぐ話してもらおうか」

「わかりました。では、お話します」


 差し出された紅茶に手を付けることなく、ルードはクインシーに語りかける。


「単刀直入に伝えます。国内向けにチャヤの商品化を考えています」


 ルードは、(ナオミの協力の元)チャヤの試飲で得た情報を元に、この国の人々の口に合うための改良方法、売り出しに必要な予算想定額、購買層はどの辺りを対象とするか等、仔細にクインシーへ伝えていく。

 褪めた風情や口振りのようで熱弁を振るうルードに対し、クインシーは静かに耳を傾けていた。


「ルードの言う通り、廃棄品ダストを商品化させれば、わが社の売り上げも上がるし、処分の負担費用も削減できる。そう見込んでのことだね」

「はい」

「ただし、売れれば、の話だがね」


 クインシーの表情から柔和さが消え、厳しさが現れだす。

 ルードは勿論、ナオミも自然と背筋が伸びた。


「廃棄品に費用コストは発生しないが、原料の砂糖や香辛料に発生する。ダストと砂糖、香辛料を混ぜ合わせて袋詰めにして売る、と言うが、その一連の作業のために工場とまでいかなくとも人員と作業所が必要になるし、廃棄処分の負担費用削減にならないどころか費用は却ってうんと増す。果たして増えた分の支出を補填できる程チャヤは本当に売れるだろうか??」

「それは」

「狙っている購買層は??砂糖と香辛料を使用する分、普通の紅茶よりも値段設定は高くなる。まさかダストを使用しているからと、安く販売するつもりじゃないだろうね??」


 すっかり石のように固まってしまったルードに、「駄目だよ。他の原料の原価含めて値段設定しなければ」とクインシーは諭す。


「購買層もそんなに広くはない。販売するなら原料価格を考えて労働者階級ワーキングクラスには少し手が出にくい値段設定にする。でなければ私は販売は認めないよ。それから、保守的で伝統を重んじる上流階級アッパークラスは端から客層から外した方が賢明。少し裕福な低位中流ロウワ―ミドルから中位中流ミドル・ミドル、あと余り期待はできないけれど、先進的な思想を持つ一部の上位中流アッパーミドルなら辛うじて当てはまる、かもしれない。でもね、これはあくまで可能性の話。実際の購買層はもっと狭まると思うよ」


 一切の隙なきクインシーの弁に、揃って反論の余地など皆無。

 購買層の数に反し、手間と費用が掛かるのは懸念していたが、はっきり突きつけられたことで不安しか感じられない。

 ルードが『作業所の土地代、建設費、人件費の当てはついている』『(ナオミの協力の元)市場調査も行っている』などと抗弁図るも、クインシーと比べてやはり説得力に欠けている。


 セイラとクリシュナの授業に続き、本日二回目のハラハラ。

 あちらはまだ微笑ましかったが、こちらは深刻一辺倒。

 カーテンで半分隠れた窓の外が薄暗くなり始めたが、とてもじゃない、帰りたいと言える空気なんかじゃない。


「……と、色々厳しいことを言ってはみたけれど。お前の好きにやってみなさい」

「「え??」」


 厳しい態度から一転、クインシーは肩を竦め、いつもの柔和な物腰でいきなりそう告げてきた。いきなり過ぎて、ナオミもルードも一気に拍子が抜ける。


「その代わり、条件は三つ。一つ、多少の不利益は仕方ないとして、取り返しのつかない大損害は被らないように。二つ、紅茶農園や他のインダスの人々がチャヤを毎日飲めるだけの分は絶対ダストを残しておくこと。三つ、必ず売れる物を作ること。いいね??」

「……はい、承知しました」

「Missガールも手伝ってくれてるからね。レディの尽力を無に帰すのは紳士の矜持に反する」


 えっと、そこで妙な流し目送らないでくれません??

 平常運転に戻ったクインシーに呆れていると、そう言えばどうして自分まで呼び出されたのか、はたと疑問が湧く。別に私がここにいる必要なかったのでは、と。


「と、まぁ、ルードとの話は切り上げて。いい加減本題へ入りましょう」


 ええええ、あれが本題じゃなかったんですか?!

 テーブルに突っ伏したくなる衝動を抑えながら、ルードを見返せば同じように愕然とした顔をしていた。思うことは多分一緒だ。


「Missガールはチャヤの試飲を周囲に勧め、頂いた意見感想をまとめただけでなく、それらを元にチャヤのレシピを何通りか考案してくれただろう??」

「はい。さしでがましいとは思いましたが、参考になればいいと……」

「さしでがましいなんてとんでもない。とても有難かったですし、助かります」

「Mr.デクスターJr.。顔を上げてください。大したことはありませんし」

「うーん、若いっていいね。それはそうと、Missガールのレシピを元に、我が屋敷で大々的なチャヤの試飲会を開こうかと思ってね」

「「はい??」」

「ルードは当然、Missガールにも協力願いたい」


 クインシーが一際艶やかに微笑む。

 寒色系で統一され、寒々しい筈の室内に真っ赤な薔薇の花弁が舞う……、幻覚が見えた。







※時代設定的に筆記体なんですが変換できなかったので、皆さんの心の目でブロック体を筆記体として見てください……。






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