夏(なつ)懐(ナツ)とらべらー
高山小石
その音がいざなうのは……
誰もいない
「つかれたな……」
体力的にではなくて、精神的に立ち上がれない。
少し休もうと実家に戻ってきたものの、ここにかつての親はいない。
家の中身はそこそこ残っているので、がらんどうではないのだけど、人がいないだけで、どうしてこんなにからっぽに感じるんだろう。
りぃ……ん
一年中つるしっぱなしで、すっかり聞き慣れた、懐かしい風鈴の音が響いた。
あぁ。あの時も、この音が聞こえた。
まだ就職する前、ここに住んでいた頃だ。
「大事な話があるから聞いてほしい」と女友達から連絡がきたんだった。
告白したいと思っていた子だったから、もしかして両想いなのかと俺は舞い上がった。
あれこれ期待して用意して
協力を頼まれたから、俺は彼女と友達が会う機会を増やし、さりげなくふたりきりにするようにした。
そのかいあって、彼女は無事に想いを伝えられて友達と付き合うことになり、ふたりは結局そのまま結婚した。
あの時、俺が先に告白していれば、今頃あの子と結婚していたのは俺だったんじゃないのか?
りぃ……ん
音と一緒に一気に寒くなった。
身体を起こした俺の目の前には、冬
そうだ。あれは冬だけど日射しはあたたかい日だった。
この縁側に、彼女と並んで座って、彼女の好きなココアをふたりで飲みながら、冬の庭に咲く
「だからお願い。仲を取り持ってくれない?」
寒さと照れで頬をまっかにした彼女は、昔の記憶そのままで可愛い。
なんて
いや、これはチャンスじゃないか。
指から伝わるココアの熱と耳を冷やす冬の風が、今が現実だと教えてくれる。
心残りだった過去にタイムリープした俺に、やり直せばいいんだと無言で伝えてくる。
ここで俺が「俺は君のことが好きだ」と言えばいい。
そう思うのに、俺は言えなかった。
当時のことをすっかり思い出したからだ。
この時の俺はボロボロだった。
親を一人みおくり、もう一人の介護で精一杯だった。
当時の俺は、恋人の存在を許容できないくらい余裕がなく、視野が狭くなっていた。
今なら冷静にそう考えられるけれども、当時の俺にとって、日常の空気を感じさせてくれるのは、わざわざ家まで訪ねてきてくれる彼女と友達だけで。
その二人が仲良くなるのに横やりなど入れられないと、さみしく思いながらも、どこか納得していた。
今の俺ではとても彼女を幸せにできない。でも友達なら任せられる、と。
当時の俺にもっと余裕があれば、素直に気持ちを口に出せたのか?
親がいなければ、俺はもっと普通に生きられたのか?
りぃ……ん
再び、耳慣れた風鈴の音がして、一気に日射しがキツくなった。
南向きの
影が濃い庭の手入れをしていた親が立ち上がった瞬間に倒れる様子が、まるでスローモーションのように見えた。
あわてて立ち上がって、助け起こそうとする俺の行動は、当時とまったく同じだった。
そりゃそうだ。
助けない選択肢なんて、何度同じ状況になってもないだろう。
もしそんなことをしてしまえば、この後、俺がどれだけ幸せな状況になっても、見捨てたことを引きずってしまうのは目に見えている。
りぃ……ん
懐かしい音とともに、俺は、やわらかな秋の日射しの縁側に戻っていた。
手入れが行き届いていない庭から、けなげに秋の花の香りがただよっている。
結局、今「あの時こうすれば良かった」と思っても、当時の俺にとっては、精一杯の行動だったんだな。
昔も今も、俺の選択は変わらない。
やり直すチャンスをいかせなかったのかもしれないけれども、俺はこれでいい。
改変できるのは今とこれからだけだ。
動けない俺を、やわらかに香る風がなぜてゆく。
まだ現実と戦わなくちゃいけないのはわかっている。
必ずまた立ち上がるから、今は、もう少しだけ休ませてほしい。
目を閉じた俺の耳に、返事のような音が響いた。
夏(なつ)懐(ナツ)とらべらー 高山小石 @takayama_koishi
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