第二話 監視と警告
君はエンタメというものを毛嫌いしていたけれど、僕はまあ、それなりに好きだったよ。それなり、というか、かなり。君のするタイムリープ話をいつも楽しく聞いていたのも、ある意味それの延長線上だったのかもしれない。もっとも、それをエンタメとして消化するには、少し自分との関連性が強すぎたけれど。――いや、エンタメって多かれ少なかれ虚構の中に自分との関連性を見出して楽しむものでもあるから、やっぱり同じ感覚だったのかもしれない。そうなると、案外僕のエンタメ好きを加速させたのは君なのかも。皮肉なことにね。
さて、エンタメの中でも物語形式のものが好きで、特に小説と漫画が僕の大部分を占めていた。君も知っての通り、大学生の頃は一人の時間の殆どを何かを読んで過ごしていた。そうやって過ごしていると必然的にある考えが浮かんでくるわけだ。自分ならどんな物語を生み出せるのだろうか、と。
理学部に進んでおきながら自然科学への興味が消え失せてきた時に、その妄想は現実逃避の恰好の種になった。
なによりそう、自分にはフィクションのような現実が身近にある。――その現実とはつまり、恥ずかしながら、君のことだが。こんなことをぶっちゃけるのはやっぱりどこかむず痒いし、こうして話している今は顔を覆いたくなるような気持ちでいるが、その時点ではまだ君のことを一切疑っていなかったということをひとまず伝えておきたかった。
さて、ここまでぶっちゃけたからには、創作に対してどんな浅はかな考えを抱いていたかを話そう。僕は「現実は小説よりも奇なり」という言葉を真に受けて、特別な現実体験こそが素晴らしい小説の
「縁を切ったって言ってなかったっけ?」
「疎遠になった、とは言ったね。ついこの間再会したんだ。君の知らないところでね」
その話も後でするけど、君が「何でもお見通し」というわけではないのが、これでわかったわけだ。それは一つの収穫だね。
さて、結局書き始めたのは大学三年生の夏だ。幸いなことに大学生の夏休みは長い。本来なら専門分野の勉強に時間を当てるべきで、そうでないなら就職活動の準備に時間を割くべきなのだが、本格的な研究も就職活動本番も来年からということもあり、そういう
とは言っても、二か月休みがあるとは言えどれだけ長く見積もっても一週間で書けるだろうと思っていた。だがそれは甘い考えだった。最初の一日は書き出しの十数行が書けただけであり、読書時間二十分ぐらいの分量を書いたつもりが、実際に音読してようやく一分という有様だった。色んな言葉が頭の中にあったはずなのに、それらを実際に文章として繋ぐ段になってようやく、どう繋ぐのが「正しい」繋ぎ方なのかを検討しなければならないことに気が付いたのだ。しかしそこで心が折れることはなかった。とりあえず毎日少しずつ進めることにして、なんとか夏休み中に形にしようともがいたのだ。だが結局夏休み中にその奮闘が終わることはなかった。登場人物の人生が続いている中で物語の適切な終わらせ方がわからなかったのだ。しかも日に日に付け足したい要素が出てくるもんだから、話はどんどん長大になっていた。自分の筆力だと短編の分量にしかならない物語が、気づけば長編と同じくらいの分量になっていた。自分の気が済む落としどころで物語を終わらせられたのは、結局半年以上経ってから。君の卒業する直前の時期だ。
せっかく書き上げたからには誰かに読んでもらいたい気持ちがムクムクと湧き上がってきた。ただ、自分のことを知っている人には読んで欲しくない気持ちもあったのだ。特に君には。
「どうして? 私のこと信じていたんでしょ?」
「自分が頭の中でどういう妄想をしているのかを事細かに知られるのは、やっぱり恥ずかしいからね」いや、もう一つ思い当たることがある。「物語のこと嫌いかもしれない人から、あんまりどうこう言われたくなかった、というのも本音としてあるかな」
そして僕は公募の新人賞に投稿することを思いついた。新人賞に投稿すれば、誰かに読んでもらえることは確実だし、もし面白い作品だったら何らかの形で感想がもらえそうだったからだ。当時はまだ投稿サイトが充実していなくて、ネット上で公開することは全然頭になかった。今だったらきっとそうしているだろう。
とにかく、自分が知ってる手近な新人賞へ送ることにしたんだ。そしてそのためには印刷して郵送する必要があった。
当時すでに君と
原稿を家に持って帰って最終チェックをして、
君が遠慮がちに否定的な意見を繰り出すとき、それはいつも未来の僕に関することだった。「それって、この投稿が僕の命に関わるってこと?」「……うん。実は」内緒にしていたはずのことを君が知っていたということは、投稿することが大変な事態を引き起こすことの
ここからが話の本題だ。先日再会した野島慧からとある指摘を受けて、僕は急いで当時執筆に使っていたノートPCを調べた。当時のPCはある日急にモニターが壊れて、めんどくさがってデータのサルベージを十分にしないまま買い換えたから、処分しないまま手元に持っていたのだ。ネットオークションで安い液晶を注文して、張り替えて起動してみた。そしてローカルディスクのプログラムファイル一覧を片っ端から調べていってようやくそれを見つけたのだ。PCの操作内容を監視するウィルスソフトを。それはウィンドウズアプリのファイルの中に紛れ込んでいた。君は僕のPCにウィルスソフトを忍ばせ、執筆を監視していた。そして、書き上げたことを確認して僕に連絡してきたというわけだ。新人賞応募用にプロフィールのページも作っていたから、それを見れば新人賞に応募しようとしていることはわかるはず。君がタイミングよくズバリと言い当てたのは、未来を知らずとも可能なことだったのだ。
「そのウィルスは、君がどこかから不注意にもダウンロードしてしまったものだと思う。君は自分のパソコンを私に触らせたがらなかったじゃない。特にその、創作をしている期間は」
「同棲していたのだから、ウィルスソフトを忍ばせるくらいなら頑張れば出来るはず。寝ている時にこっそり忍び込ませてもいい。……そういえば、君は一度ノートPCを壊して僕のPCでレポートを書いていた時があったよね? あの時じゃないか?」
「あれは君の言っていた時よりだいぶ前の話でしょ。私が二年生の頃、だよね」
「だからその時にはもう既にウィルスソフトを忍ばせていたんだ。そもそも、僕のプライベートを把握するだけのものだったはずだ。僕が偶然、君にとって気に食わない『創作』を始めてしまっただけで」
「気に食わないなんて思うはずないよ」
「じゃあ、止めないで欲しかった」
「君を救うには止めるしかなかった。君はまだ自分では気づいていないかもしれないけれど、相当ナイーブな方の人間なんだ。苦しむ姿はもう見たくない」
「君の言っていることは、もう信用できない」
「私の言っていることは信用して、野島慧?の言うことは信用するのね」
「野島は僕にアイデアを提示してくれただけ。僕はそのアイデアの正しさを確認しただけだ」
君の空想的な話と野島の現実的な話、どちらがよりあり得そうかというのを比較して客観的に判断しているにすぎない。そして、君が共感の出来ない空想的なお話を繰り返している限り、野島の推測に軍配を上げざるを得ない。
そう、最後に野島のことについても話しておかなければならない。
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