31.御伽噺の刺繍

 ジルに想いを伝えてから数日が経ってのこと。

 わたしはおばあちゃんの家に居た。


 おばあちゃんとおじいちゃんはうちから二区画ほど離れた場所に住んでいて、よく食事を作りに来てくれたり、アップルパイを焼いては届けてくれたりしている。


 おばあちゃんは元は優秀な刺繍職人で、【アムネシア】の刺繍花が評価されるようになったのは、おばあちゃんの作った薔薇の美しさに、先代の王妃殿下が涙したから……なんて言われているほどだ。



「また刺繍花の教えを乞いに来たのかと思ったら、古い刺繍を教えてほしいだなんてねぇ」


 おばあちゃんが保管している、刺繍の図案。

 古い御伽噺に出てきたようなものも沢山あって、見ているだけで胸がどきどきと高鳴ってしまう。


「前に話してくれたでしょ? 刺繍には不思議な力があるって。身を守るような、そういった刺繍もあるって言ってたじゃない」

「旅人の無事を願っての刺繍だね。女神様の加護が宿ったその刺繍は、危険に晒された旅人を守る盾になったっていう御伽噺だよ」

「でもその刺繍の図案は残っているのよね?」


 テーブルに向かい合って座りながら、わたし達は図案をひとつひとつ確認しながら広げていた。

 古い刺繍の図案を集める趣味を持つ祖母は、国内外を問わず収集しているものだから随分な量になっている。


「あるよ。実際に刺してみたもの」

「……どうだったの?」

「何もなかったよ。普通の刺繍だったね」

「そう……」


 それを聞きながらも、わたしは失望することはなかった。

 その刺繍を、魔法布と魔法糸で刺してみたらどうなるだろう。


 前に渡した刺繍は、回路が上手く繋がって魔法の発動まで成功したそうだ。

 また別の刺繍をジルに頼まれたついでに、魔法布と魔法糸を少し分けて貰えないか聞いてみたのだ。布や糸に魔力を浸しているのはジルらしく、わたしに分けるのも問題ないと言ってくれた。


「それにしても何でまた、そんな古い刺繍をするつもりになったんだい?」

「ジルが不思議な魔法の布と糸を作っているの。それで刺してみたら、もしかしたらまた違う結果になるんじゃないかと思って」

「あらあら、ジルくんは凄いねぇ。またアップルパイを……そろそろ別のものを焼いた方がいいかい?」

「アップルパイがいいわ。ジルはおばあちゃんのアップルパイが大好きだから」


 機嫌よさげに青い瞳を和らげる祖母は、年齢を重ねても可愛らしく見える。白くなった髪を綺麗なシニヨンにして、背筋を伸ばして歩くその姿は今もわたしの憧れだ。


「……あった。これじゃない?」

「どれどれ?」


 わたしの差し出す図案を受け取った祖母は、頭に乗せていた眼鏡をかける。

 うんうんと頷いた瞳は悪戯な輝きを帯びていた。


「難しい刺繍だけど刺せる?」


 手元に戻ってきた図案を改めて眺める。確かに細かい部分も多いし、様々なステッチで刺さなければならないから簡単なものではないだろう。

 でも──出来るという自信があった。


「もちろんよ」


 ずっと刺繍をしてきた。

 大変だけどわたしなら出来る。【アムネシア】の刺繍職人だもの。そしていつかは天才と呼ばれた祖母を越えてみせるという目標だってある。

 これくらい、なんてことない。


「いい顔してるわ。本当に刺繍が好きな子だねぇ」


 可笑しそうに肩を揺らしながら、祖母がテーブルいっぱいに広がった図案を片付け始める。目的の図案を丁寧に丸めて留めてからバッグにしまい、わたしも片付けをすることにした。


「そういえば、最近の刺繍花を見たけど、中々良く出来ているじゃないか」

「そうでしょう? 自分でも上達してると思うの」

「でも私の花にはまだまだ遠いね」

「分かってるわよ」


 立ち上がった祖母は壁側に用意されていたワゴンを押してくる。テーブル横に付けたそのワゴンにはお茶のセットが用意されていて、既にポットに入れてあったらしい紅茶をカップへと注いでくれた。

 可愛らしいラベンダーが金で描かれた、持ち手の細い可愛らしいカップだ。


 祖母お手製のイチゴジャムをたっぷりと紅茶に落として、まずは一口頂いた。濃い目に煎れられた紅茶に、イチゴの酸味が広がってとても美味しい。

 カップとお揃いのスプーンでよく混ぜると、イチゴの爽やかな甘さが香り立つ。口に運ぶと先程までより甘さが際立って、これもまた美味しかった。


「でもこのまま励めば、いつかは私を越えられるでしょ」

「……本当?」

「ああ。よくやっていると思うよ。私が死ぬ前に、私のアムネシアを越えてほしいもんだね」

「必ず超えて見せるから、長生きしてね」


 祖母がそんなことを言うのは初めてだった。

 わたしの刺繍花を認めてくれてはいた。お店に出しても問題ないと祖母のお墨付きをもらえたことで、わたしは刺繍職人になったのだから。


 でも、祖母を越えるのは無理だと言われ続けてきた。


『フィーネの花は綺麗だけど、ただそれだけなんだ。匂い立つような色香がない』


 そんな祖母が、少しでもわたしの花を認めてくれた。

 嬉しくて顔がにやけてしまうのも仕方がないだろう。これからももっと頑張らなくちゃと、やる気が満ち溢れてくるようだ。



 それからやっぱり刺繍を教えて貰ったり、世間話をしたりして。

 祖母の家を後にする頃には、もう夕陽が沈み始めている時間になっていた。


 そわそわする気持ちを押さえられずに、歩きながらバッグの中を探る。丸めていた刺繍の図案を広げると、端に女神様の絵が描いてあることに気付いた。


 わたしの刺繍と、ジルの魔法布と魔法糸。

 それで女神様の加護が得られるだろうか。


 ジルに前世の記憶があっても無くても、わたしの運命に彼を巻き込んでしまうかもしれない。

 そんなのはもう──嫌なのだ。


 わたしに何が出来るのか。

 考えて、考えて……浮かんだのはやっぱり刺繍だった。


 身を守る刺繍が完成すれば、それはジルの事を守ってくれるかもしれない。

 彼が死んで、わたしが死んで、泣くだけだったのはもう終わりにしよう。


 きっとわたしにも出来ることがある。

 そう、抗うのだ。


 そんな決意を胸に歩く道は踏み固められた雪に夕陽が映り、金色に輝いていた。

 見上げた空は夕暮れと夜の入り混じる、美しい宵の色。


 冬の風を胸いっぱいに吸い込んで、わたしは家への道を急いだ。

 夕陽に染まる街並みの美しさを、目に焼き付けながら。

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