26.大人びた横顔に

「ジル兄ぃ、しょんぼりしてたよ」


 溜息交じりに紡がれた言葉に、苦笑いしか出来なかった。



 お昼休みも終わって賑やかな工房で、窓際の席に腰を落ち着けながら、わたしは刺繍花作りに精を出していた。

 やっぱり華やかな薔薇が人気らしく、注文の仕様書でも圧倒的に薔薇が多い。出来上がった花弁を薔薇の形になるよう整えながら、隣の席に座るリーチェに視線を向けた。


 今日もまたおばあちゃんがアップルパイを焼いてくれて、ジルに持っていくようにと昼食も作ってくれた。

 しかしあの夜・・・からジルと会ってもいないし、連絡も取っていないわたしは気まずくて、冬の長期休みに入ったばかりのリーチェにそれを代わって貰ったのである。


「なんでフィーネちゃんじゃないのって言ってたから、嫌われたんじゃないのかって言っておいた」

「……しょんぼりしたのはその言葉のせいじゃないの?」

「え? でも間違っていないでしょ? だから私にお遣いを頼んだんでしょ」


 ブラウスの腕を捲って、リーチェが舟の形にも似た糸巻きを手に取った。今日は朝からタディングレースを編んでいる彼女は、休憩以外はずっとシャトル糸巻きを握っている状態だ。

 連続した結び目を作って模様を編むその手先はとても優雅で、うっかりすると見惚れたまま時間を忘れてしまうほどだ。前世のわたしもタディングレースを編む様子を見ているのが好きだった。苦手過ぎて、自分でやっても綺麗な模様になる事はなかったけれど。


「別に嫌っているわけじゃないのよ。ちょっと……気まずいっていうか」

「告白でもされた?」


 手元から目を離さずに、リーチェが笑う。面白がっているようにも見えて、実は心配をしてくれているというのは分かっている。

 しかしその言葉に何と返事をしていいのか迷っていると、妹の顔から笑みが消えた。ピンク色の瞳が丸くなっている。


「え……まさか本当に?」


 それにも答えられず、わたしは出来上がった薔薇を籠の中に入れた。

 次に作るのは──形は違うがまた薔薇だ。仕様書を確認して、机の中から図案の束を引っ張り出す。目的の図案はすぐに見つかって、机の上を一度片付けた。


「やっとか~」

「……やっと、って?」

「やっと口にしたのかって事。見ていて焦れったかったんだよねぇ」

「リーチェは知っていたの?」


 それを口にして、しまったと思った。

 これでは先程の『告白されたのか』という言葉に肯定した事になってしまう。しかしリーチェはそれには触れることなく、当然とばかりに大きく頷いた。


「ずっと昔から知っていたよ。見てたらわかるでしょ。でも……それならどうして、お姉ちゃんはジル兄ぃを避けているの? お姉ちゃんもジル兄ぃの事が好きなんだと思っていたけれど」


 薄い麻布に図案を描き写しながら、わたしはまた苦笑いを漏らした。

 リーチェが鋭いのか、それともわたし達が分かりやすいのか。


 図案を全て写すと、今度は針金の出番だ。適度な大きさに切ったそれを、麻布に縫い付けていく。リーチェもまたレースを編む手元に目を落としている。


「ジルのことは大切な人だと思っているわ」

「好きって事でしょ?」


 真っ直ぐな物言いに眉が下がった。笑みを浮かべて見せるけれど、いつものように笑えているだろうか。

 お喋りしながらでも、わたし達の手は動いたままだ。慣れた作業だからお喋りだって楽しめるけれど、そういう時こそ丁寧にしなければならないと思っている。


「好きっていうか……」

「え、じゃあ……ジル兄ぃが他の人とくっついちゃってもいいの?」


 ナンシーさんの顔が思い浮かんだ。

 彼女に寄り添われているジルの姿は、いま思い返しても胸の奥が苦しくなる。嫉妬出来るほど素直になれてもいないのに。


「それは……ちょっと嫌だけど」

「ねぇお姉ちゃん、ジル兄ぃはいつまでだってお姉ちゃんの事が好きなんだろうけどさ、いつまでも一緒に居られるとは限らないよ?」


 ずきん、と心が痛んだ。

 わたしが恐れている事を見透かされているような気がして。


 平静を装いながら刺繍に専念するけれど、心臓がひどく騒がしい。暖房のおかげで工房内はまるで春を思わせるほど暖かいのに、わたしの腕には鳥肌が立っていた。


「人生何があるのか分からないんだからさ、好きなら好きって伝えた方がいいんじゃないかな。好きな人から『好き』って気持ちを貰えるなんて、ありふれた話じゃないんだよ」

「リーチェ……」


 その横顔を盗み見ると、あまりにも大人びているようで、わたしの手は止まってしまった。

 わたしの視線に気付いたリーチェは大袈裟に肩を竦めて見せる。


「それに、ジル兄ぃとくっついてくれないと落ち着かないんだよね」

「どういうこと?」


 わたしの問いに大きな溜息をついた妹は、呆れたとばかりに眉間に皺を寄せている。


「ほんっと、ジル兄ぃも上手に隠すよねぇ。人畜無害ですみたいな顔しながらさ、にこにこお姉ちゃんの隣に立って、妹の私にまでヤキモチ妬くんだよ? その視線でいつか凍えちゃうんじゃないかって怖いくらいだもんね」

「ええ?」

「お姉ちゃんは気付いていないけどさ、あの人……独占欲の塊みたいなものだよ。あのトゲトゲした空気感だって、お姉ちゃんとくっつければ少しは丸くなるでしょ」

「トゲトゲ? ジルは温和な人よ」

「猫かぶるのが上手いだけだよ」


 リーチェの目には、ジルがどんな風に映っているのだろうか。


 また刺繍針を動かしながら、そういえばと思い当たった事もある。

 前にわたしが支度をしている間、家のエントランスでジルとリーチェがお喋りをしていた時。随分とひりついた空気だと思ったのは、勘違いではなかったらしい。


「あ、そうだ。忘れてた」

「なぁに?」

「頼まれてた刺繍もちゃんと渡してきたよ。ありがとうって言ってた」

「良かった。リーチェもありがとね」


 今日は昼食とアップルパイの他にも、出来上がった魔導回路の刺繍も渡して貰うようにお願いしていたのだ。

 ジルの研究がこれで進めばいいのだけど。


 きっとまた手伝えることがあるだろう。

 だから次に連絡をする時までには、この気持ちを落ち着かせておこうと決めた。


 何を伝えられるかは、まだ分からないけれど。


 ジルの優しい瞳を思い出して、胸の奥が少し軋んだ。

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