27.花と白鳥

 ベッドサイドの明かりを絞って、仄暗い部屋の中でわたしはベッドに寝転がっていた。

 寝ようと思っているのだけど、中々寝付けないでいる。明日もまた刺繍花作りに忙しいのだから、休まないと体がもたないとは分かっているのだけど。


『ジル兄ぃ、しょんぼりしてたよ』


 日中のリーチェの言葉が頭をよぎる。

 

 逃げているだけだと、問題を先延ばしにしているだけだと理解している。

 これじゃいけないっていう事も……。


「……しっかりしなさい、フィーネ・レングナー」


 自分を叱責して起き上がったわたしは、自分の頬を両手でぱちんと叩いた。ひりひりする痛みが頭をすっきりさせてくれる事を、期待して。


「まず、自分の状況を整理するべきだわ。まず……わたしは、ジルの事が……好き」


 口にしてみたら、なんてことのない短い言葉。

 たったそれだけなのに──わたしの鼓動はどくんと跳ねる。跳ねた後から胸に広がるのは甘さを帯びた切ない疼き。

 ああ、やっぱりこの気持ちは紛れもなく……恋なのだ。


「でもジルに気持ちを告げる事が出来ない。それは──わたしが恋を叶えたら、彼が死んでしまうかもしれないから」


 囁くような小さな声が、部屋の中に消えていく。

 ベッドの端に座り直して、膝かけを掛ける。崩した足を包み込むように、膝掛けの端を折り込んだ。


『いつまでも一緒に居られるとは限らないよ?』

『好きな人から『好き』って気持ちを貰えるなんて、ありふれた話じゃないんだよ』


 耳の痛い言葉ばかりだった。

 だけど耳を塞いでばかりもいられない。


 彼に想いを伝えて、もし彼が死んでしまったら……わたしは絶対に後悔する。

 じゃあ想いを伝えなかったら? ジルと離れて、彼が別の誰かと幸せになるのを見守って……それは後悔しないのだろうか。自分の想いを犠牲にして、彼を守ったと満足出来るのだろうか。


 出口の見つからない迷路を彷徨っているみたい。

 溜息なのか深呼吸なのか分からない深い息を吐いて、ベッドに背中から倒れ込んだ。


 視界に映るのは、窓枠から吊るされた光水晶。柔らかなオレンジ色の明かりに照らされて、きらきらと輝いている。日光に当たっている時が一番綺麗だと思うけど、こうやって部屋の明かりに照らされているのも美しい。


 そうだ、この花も調べようと思っていたんだった。

 違う事をしたら気分転換になって、また考えられる力も復活するかもしれない。

 起き上がったわたしは膝掛けを軽く畳んでベッドに置き、机へと向かった。


 一度返して、また借りてきた花の図鑑。

 様々な花が載っているこれならば、きっとこの花も見つかるだろう。もしかしたらマーガレットを小さく模しただけなのかもしれないけれど。


 放射状に伸びる沢山の花弁は、やっぱりマーガレットに似ている。

 図鑑のページをぺらぺらとめくっていると、ひとつの花の名前に目がいった。


 ──シオン。

 どきどきと鼓動が早くなるのが聞こえてくる。震える指先でその名前をなぞって、それから花へと滑らせた。


 マーガレットよりも小ぶりな紫色の花。集まって咲いているその様は、光水晶に飾られた三輪の花にそっくりだ。

 そして何よりも、この名前。わたしの前々世の名前と同じ花。


 ジルがこの光水晶をくれたのは偶然なんだろうか。

 花の名前を問うても誤魔化されたのは知らなかったからじゃなくて……?


 シオンの花の、花言葉は──【君を忘れない】


 ジルに聞かなければ分からないけれど、偶然だと流すわけにはいかない気がする。


 そこでわたしは、はっとした。

 ジルの贈り物に意味があるなら……。


 図鑑もそのままに鏡台へと駆け寄ったわたしは、ピアスを入れている小物入れを手に取った。

 優美な白鳥が飾られた、卵型の小物入れ。深い青色はジルの瞳のようだと思っていたけれど。


『白鳥を模した飾り物でも贈ろうか』


 前世の、イヴァンの声が聴こえる。

 あの後に色々あったものだから、白鳥の贈り物が叶う事はなかったのだけど……これはもしかしたら、そういう事なのではないだろうか。


 青い色はジルの瞳の色だけじゃなくて、ルゼット・・・・の瞳も同じ色。それから、そうだ……ノクス前世の彼も同じ青い瞳。


「……ジルなの?」


 もしかしたら、ジルは──ノクスとイヴァンの記憶を持っているんじゃないだろうか。

 それでも尚、わたしを求めてくれているとしたら?


 ……わたしが逃げているのは、卑怯だ。


 ぽろぽろと涙が溢れてくる。

 何に対しての涙なのか自分でも良くわからないくらいに、感情が渦巻いている。


 もしジルに記憶があるのなら。

 彼だって辛い思いをしていたはずだ。わたしと関わったら死んでしまうかもしれないと、分かっているはずなのに。


 彼は──逃げなかったんだ。



 涙が落ち着いて鏡を見ると、わたしは酷い顔をしていた。

 擦った目元は赤く腫れ、充血もしている。朝までにこの腫れが引けばいいのだけど、冷やさないと厳しいかもしれない。


 わたしはゆっくりと息を吐き、吸い込んだ。

 それを繰り返しているうちに、頭の中がすっきりとしてくるようだった。


「わたしは……ジルが好き」


 彼が記憶を持っていても、そうじゃなくても。わたしがジルを好きになった事は変わらない。

 シオンの花も白鳥もひとつのきっかけだ。もしかしたらただの偶然かもしれない。


 でも……わたしに、勇気をくれた。

 ジルに記憶があると話そう。わたしと結ばれたら、死んでしまうかもしれないと。それでもわたしと一緒に居てくれるかどうか、聞いてみなくちゃ分からない。


 今まで、前世と前々世をなかった事にしようとしていた。

 死にたくないから、死なせたくないから──怖いものから逃げようと。


 諦めるのは、まだ早い。

 わたしを好きだと言ってくれるジルを信じようと思った。


 ずっと傍にいると言ってくれた、あの優しい声を。



 その日の夜は穏やかな夢だった。

 内容は全く覚えていないけれど、暖かくて幸せで、ほんの少し切ない夢。


 夢が終わりを告げる時に『大丈夫』と重なる二つの声が聴こえた。

 それは──シオンとルゼットの声に似ていた。



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