25.告げられる想い

 何となく気まずい食事を終えて、わたし達は帰路についていた。

 表面上はいつもと変わらない。軽口だって叩いて笑い合えているのに、何かが違う。心の奥に小さな棘が刺さって、引っ掛かっているようだった。


「フィーネちゃん、もう少し時間いい?」

「ええ、大丈夫よ」


 わたしの家までもう少しというところで、ジルが足を止める。マフラーに顔を埋めながら頷いたわたしの手を取って、ジルは公園の方角へと足を進めた。



 相変わらず人気のない、夜の公園。

 落ちたイチョウの葉が風に煽られる乾いた音が、やけに大きく響いていた。


 ジルに促され、公園のベンチに腰を下ろす。繋いでいた手をジルは離してくれなくて、わたしも離せずにそのままにしていた。手袋をしているのに温もりが伝わっていると思うくらいに、指先までが熱を帯びている。


「……色々伝えてきたつもりでいたんだけどさ。君が何かを怖がっているのも知っていたから、無理に距離を縮める事もしないできたんだ」


 優しい声なのに、わたしの知っているジルの声ではないようだった。

 横顔が外灯に照らされて、長い睫毛の影が頬に落ちている。


「君の一番近くに居るのが、僕で在りたい。僕が想っているだけでもいい。そう思っていたはずなんだけどな」


 わたしへと向き直ったジルは、悲しそうに笑っていた。

 その表情に胸が締め付けられるよう。切なさに息が震えてしまう。ああ……わたしは、この感覚を知っている。


 繋いでいた手をぐいと引かれて、わたしはジルに抱き締められていた。背に回った片腕に力が籠る。鼻を擽るコロンの香りに鼓動が早くなって、顔に熱が集まっていくのが自分でも分かった。


「好きなんだ、君のことが。他の誰にも渡したくないし、ずっと僕の隣で笑っていてほしい」


 ジルの言葉が、わたしの心を震わせる。

 不思議と驚く気持ちがないのは、彼がずっと、『わたしの傍に居る』と言い続けてくれていたからかもしれない。


「恋をしないって明言していても、君の周りには人がいるし。僕は君の傍に居たいだけなのに、僕の周りにも人が寄ってくる。なんでこんなにも煩わしいものが、多いんだろうな」


 わたしの髪に頬を擦り寄せながら、ジルが言葉を紡ぐ。その声に潜む恋の熱に、今にもあてられてしまいそう。


 どうしたらいいのか分からない。

 ジルと一緒に居たい。でもそれが幼馴染だからなのか、恋なのか……自覚するのもまだ怖い。

 だって、ジルの事が大事で……失いたくないから。


 わたしが恋を認めたら、ジルは死んでしまうかもしれない。

 ノクスの時もイヴァンの時も、わたしはそれを見ているだけしか出来なかった。好きな人が死んでしまうのは、もう嫌だ。


「ジルは……わたしの大切な人。それは今までも、きっとこれからも変わらない」

「僕の事が好き?」

「……好きだけど、それが……ジルと同じ温度なのかは──」


 ──言えない。


 狡いわたしに呆れるでもなく、ジルは肩を揺らしている。

 抱き締める腕は力強いのに、まるで大切なものをしまうかのように優しくて。だから全てを委ねたくなってしまいそうになる。


「君は何を怖がっているの?」


 真っ直ぐな問い掛けに肩が跳ねた。

 穏やかな声なのに、逃げる事は許されていない。そんな響きを持っていた。

 

 誤魔化そうとしても、きっとジルには全てばれてしまっている。


「……ジルがいなくなるのが怖い」

「いなくならない、なんて言っても信じられないだろうね。言葉だけじゃ君を安心させられないし、何をすれば証明になるか……」


 背に回した腕で、ジルはわたしの髪に指を絡ませている。髪が引かれる感覚が少し擽ったい。


「未来は確定されていないから、約束をしてあげる事は出来ない。でも僕は……君の事を諦めるなんて出来ないんだ。隣で見守るつもりでいたけど、それも無理。君の隣に誰かが立つのを見ているなんて絶対に嫌だ」

「そんな誰かはいないから、心配はいらないんだけど……」


 思わずと口を挟むと、反論される代わりにぎゅうぎゅうに抱き締められてしまう。

 この腕の中が嫌なら突き飛ばして逃げているはずなのに、それをしないのは……わたしの心が傾いているからなのだろうと分かっている。


 でも、恐怖を乗り越えるのが──まだできない。


「好きだよ。君の事だけを昔からずっと想ってきた。頑張り過ぎちゃうところも意地っ張りなところも全部愛してる」

「な、っ……!」

「ごめん、もう我慢は出来ない。これでも我慢強い方だと思っていたけれど、君に関してはそうじゃないらしい」


 

 少しずつ、腕の力が緩んでいく。

 背に回っていた手の指先がわたしの目元を慈しむかのように擽って、それから唇が降りてきた。啄むような口付けを目元にされて、羞恥に目を伏せてしまう。


 ジルから体を離しても、繋いだ手は解いて貰えなかった。触れ合っていた体が熱くて、吹き抜ける夜風がひどく冷たく感じるほどだった。


「フィーネちゃん、お願いだから僕を信じてほしい」


 わたしの事を見つめる瞳はどこまでも真剣で、彼が本気だという事が伝わってくる。

 もういっそ、前世の話をしてしまおうか。そうしたらわたしが恐れているものが分かってもらえるかもしれない。でも……もし、信じて貰えなかったら? 

 それだってとても恐ろしい。


 言葉を探して唇を開くと、吐息が夜気に溶けていく。

 そんな吐息が結晶になったのかと錯覚するくらい唐突に──わたしとジルの間に白いものが舞い降りてきていた。


「……雪?」


 自分でも驚くくらいに、声が掠れてしまっていた。


 ジルと共に空を見上げると、はらはらと小さな雪が降ってきている。風に流されるかのようにゆっくりと、でも確かに世界を白に染めようとしていた。


「……冷えてきたと思ったら、雪か。風邪を引いちゃうといけないね」

「そうね……ジルも暖かくして休んでね」


 いつも通りのやり取りなのに、ジルの声にはやっぱり熱が籠っているようだ。前にくれた逃げ道を、もう用意してはくれないみたい。


「家まで送るよ」

「大丈夫。近いから一人で帰れるわ」

「でも……」

「おやすみ、ジル。またね」

「フィーネちゃん!」


 わたしは繋いでいた手を解くと、ジルの制止も振り切ってその場から駆け出した。

 振り返る事なんて出来るわけもなく、凍り始めた足元に時折滑ってしまいながらも──逃げ出したのだ。


 家の前まで辿り着いて、ようやく足を止める。両手を膝につくよう身を屈めて、乱れた息を整えようとしたけれど、まだ時間がかかるようだ。


 これから、どんな顔をしてジルに会えばいいのだろう。

 またあんな声で想いを紡がれたら……。そう思っただけで頬がかぁっと熱くなるのが分かった。


 わたしも……想いを認められたら、自覚出来たらいいのに。

 そう思った瞬間、前世と前々世の恋人・・の姿が脳裏をよぎる。


 ジルにあんな最期を迎えさせるわけにはいかない。

 

 顔を上げて、家に入ろうとした時──ジルのコロンがふわりと香った。寄り添っていた時に移ってしまったものだろう。

 その香りが腕の強さを思い出させて、また胸が切なくなった。

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