22.心をしまって
【アムネシア】のショーウィンドウに、新しい冬ドレスが飾られた日。
飾った直後からオーダーの注文がひっきりなしに入ってきて、両親や事務員は慌ただしくしている。
もちろん、わたし達お針子だって忙しくなっている。
特注のドレスはお屋敷に伺ってサイズを測ってからの作成になるけれど、店にはすぐに着られるドレスやワンピースも並ぶからだ。
【アムネシア】の服を着て貰うのは、貴族だけではない。ドレスまで華美じゃなくても、オーダーでなくても、この冬デザインを沢山の人に楽しんで貰いたい。わたし達はそんな気持ちでいっぱいだった。
「……作っても作っても増えないのよ、お花が。目を閉じると目の前にはお花畑が広がっているのにね」
「お姉ちゃん、それはだいぶ参ってるんじゃない? 少し休憩……っていっても、休めないよねぇ」
わたしは工房でリーチェと向かい合って作業をしていた。
わたしの刺繍花もリーチェのレースも、作った端から編んだ端からドレスの飾り付けに使われていく。
「休んだらその分、もっと大変になってしまうもの。注文が落ち着けばきっと大丈夫」
「落ち着くのはいつになるかなぁ」
「怖いこと言わないで。でも、嬉しい悲鳴ってやつでしょ」
「確かにね」
軽口を叩きながらでも、わたし達の手は止まらない。
刺繍枠を持ち直しながらリーチェの手元に目を向けると、美しいとも思えるほどの早業でレース針が動いている。
前世でルゼットだった時もレース編みをやってみたけれど、うまく出来なくて苦手だった。刺繍の方が得意だったのは、前世から引き摺っている事のひとつかもしれない。
でもあの頃の刺繍といえば平面に刺すものだったから、こんな立体的な花を作れる事を知ったら、ルゼットはきっと目を丸くしてしまうだろう。
そんな事をぼんやり考えながら、今日何輪目になるかも分からない薔薇を仕上げていた。
夕方になって、工房の中に明かりが灯される頃。
すっかり暗くなるのも早くなったと思っていたら、裏口のベルが鳴ったのが聞こえた。
作業もひと段落している。
明日以降の作成リストは山のように積み重なっていくけれど、それから目を逸らしたわたしは対応するべく工房を後にした。
両開きの扉を開けた先に居たのは、ドミニクさんだった。
注文していた商品を配達しに来てくれたらしく、両手に紙袋を抱えている。
「こんにちは、ドミニクさん。先日はありがとうございました」
「フィーネさん。こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました」
二人で頭を下げ合って、それが思いのほかに重なっていたものだから、顔を見合わせて笑ってしまった。
「ショーウィンドウのドレスを見てきたんですが、さすが【アムネシア】と思わせるほどの仕上がりですね! 腰から大きく膨らんだあの前衛的なデザイン、さすがです」
「母のデザインもですが、リーチェがよく流行を見ているものですから」
「フィーネさんの刺繍花も素敵でしたよ。前身頃がすっきりしている分、腰回りのスカートに飾る花が映えますね」
「ふふ、ありがとうございます」
きっと今の時間帯は、光に照らされる美しいディスプレイになっているだろう。
帰る前にわたしも見ていこうと心に思った。
カウンターに置いて貰った紙袋の中身を、伝票と合わせて確認していく。
ミシン針やミシン糸といった、こまごまとした物のようだ。ひとつひとつ品物と照らし合わせて、ペンでチェックを入れていった。
「あの、フィーネさん」
「はい?」
伝票から顔を上げると、ドミニクさんの耳が赤くなっているのが見えた。
この後に告げられる言葉も、それでなんとなく予想がついてしまう。
「先日は気分転換のケーキでしたが……今度は、そうではなく。食事を一緒にいかがですか」
ゆっくりと紡がれる言葉は、穏やかな色をしていた。ドミニクさんの内面を映したように穏やかで、優しい声。
「今度はすみません、多少の下心はあります。……もっとあなたの事を知りたいし、私の事も知ってほしい。すぐにお付き合いに結びつかなくても、その候補に入れてほしい。……いや、正直なところをいえば、すぐにでもお付き合いをしたいところではありますが」
ドミニクさんは冗談めかして軽く笑うと、オレンジ色の髪をそっと掻いた。
前回、お茶に誘われた時。
甘えるように誘いに乗った。
自分の狡さを見ないように、これは気分転換だと言い訳をして。
今ならそれが、どれだけ失礼な事だったのか分かる。
自分に好意を抱いてくれている彼の優しさに、甘えたのだから。
だから──
「……ごめんなさい」
「やっぱり、仕事ですか。他の事が考えられない?」
困ったように笑うドミニクさんの声は、相変わらず優しかった。
「……仕事に集中したいのは本当なんです。でもそれとは別に……恋をしたくない。そうも思っているんですが」
チェックを終えた伝票をドミニクさんに渡しながら、わたしはゆっくりと息を吐いた。
こうやって真っ直ぐ気持ちを伝えてくれるこの人に、嘘はつきたくない。
「この先、恋を自覚するなら……この人だろうって、そういう人がいるんです。気持ちは伝えられないかもしれない。恋心が芽生える前に刈り取ってしまうかもしれない。分からないけれど……」
「そう、ですか……。いや、はっきり言って貰えて、なんだかすっきりしました」
ドミニクさんはわたしの拙い言葉を責める事はしなかった。
曖昧な思いを口にしても、それ以上踏み込んでくる事はない。それは、やっぱり彼が優しい人だからだと思う。
「ごめんなさい」
「謝らないでください。私も謝りませんから」
「ドミニクさんが謝る事なんて、何もないでしょう?」
「あなたを戸惑わせてしまいましたから」
伝票を確認したドミニクさんが、それを丸めてジャケットの胸ポケットにしまう。まだ耳がうっすらと赤いけれど、いつものような笑みを浮かべていた。
「すぐに気持ちを切り替える事は難しいんですが、あなたを困らせるつもりはありません。なので、どうぞこれからもご贔屓に」
「それはもちろんです。こちらこそ、宜しくお願いします」
「ではまた。何かあればいつでもご注文下さいね」
頭を下げたドミニクさんは裏口から出て行って、わたしはそれを見送っていた。
扉が開いた時に入り込んだ冷たい風も、次第に馴染んで温かな部屋の空気に溶けていく。
ドミニクさんに伝えたのは、紛れもなくわたしの本心だった。
これが恋なのか、ただの幼馴染への独占欲なのかはわからない。
恋だとしてもきっと伝えられないだろう。だって、恋をして……わたしが、相手が死んでしまうのはもう嫌だから。
それでも、この心は大事にしまっておこうと思った。
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