21.来客は敵意を宿して
秋にしては少し暖かい日だった。
風が柔らかく、温もりを帯びている。秋の果て前、冬を目前としながらも、穏やかな日差しのおかげで上着が必要ないほどの陽気だった。
先日までの気の緩みが嘘のように、最近は仕事に集中出来ている。
刺繍花の仕上がりも良く、母も満足そうにしているほどだ。
このままのペースで進めば、冬ドレスの公開も父が決めた期日には余裕を持って間に合うだろう。そうしたらまた忙しくなるだろうけど、今は皆が活力に満ちているようだった。
正午の鐘に手を止めたわたしは、手にしていた針をピンクッションに戻してから大きく伸びをした。
集中していたせいかお腹がすいた。ぐぅと鳴って、食事を取るよう促してくるお腹を摩りながら休憩室でお昼を食べようと思った時だった。
「フィーネちゃん、お客さんよ」
「お客さん?」
「ええ、バルシュさんって女の人」
バルシュさんという女の人に、思い当たるのは一人しかいない。
しかし訪ねてこられる程に仲が良いわけではなく、むしろ逆……と思えば、悪い予感しかしなくて、大きな溜息が漏れ出てしまった。
ストールを肩に掛けて店の裏口から外に出ると、そこにはやっぱりわたしの思っていた人──ナンシーさんが立っていた。
白衣を着ていないのは研究所から離れているからかもしれない。今日も艶めく黒髪に飾られた青いリボンが可愛らしかった。……もしかしてあの青いリボンは、ジルの色なんだろうか。
「こんにちは、レングナーさん」
「こんにちは……何かご用ですか?」
「少しお話がしたくって。お昼ご飯でも一緒にどうですか?」
「……ごめんなさい。この後すぐに用事があるんです」
嘘だけれど、お昼ご飯は美味しく食べたい。
彼女と向き合ってのお昼ご飯だと、きっと味がしないで終わってしまいそうだもの。自分でも苦手意識が強過ぎると思うけれど、身を守るためには仕方がない。
「そうなんですか、残念」
ナンシーさんは気を悪くした様子もなく、にっこりと笑うばかりだった。
裏口側では行き交う人の迷惑になる。
そう思ったわたしは、家の方へとナンシーさんを促した。裏庭の花壇前なら人目につきにくいだろう。……家にいる両親からは見えてしまうかもしれないけれど。
「お話って、なんですか?」
「ジル先輩の事です」
悪い予感はやっぱり当たった。
また漏れ出そうになる溜息を飲み込んで、言葉の続きを待つことにした。
ナンシーさんは肩につく黒髪の先を指に絡めながら、わたしの事を真っ直ぐに見つめている。
「もうジル先輩につきまとわないでほしいんです」
学生時代からずっとこうだ。
ジルに想いを寄せる女の子は、いつもわたしに敵意を抱く。
「別に付きまとってはいないわ」
「でもレングナーさんって、ジル先輩と一緒に居る事が多くないです?」
「幼馴染だからだと思うけど」
「えー、幼馴染って次第に関係が消滅していくものでしょう? 仲が良かったのも小さい時なんだし、もうそろそろ離れてもいいんじゃないかなって思うんです」
わたしはストールを羽織り直して、風に揺れる布地を押さえるべく胸の前で腕を組んだ。
緑色の瞳に宿る敵意を、真っ直ぐに見つめ返して。
「一般的な幼馴染の関係性がどうなのかは知らないけれど。わたしとジルの付き合い方に口を出される筋合いはないと思うわ」
「ありますよ。
「見ていれば分かるわ」
「それなら邪魔しないでほしいんです」
ジルと一緒に居る時とは違う、棘のある声。一人称も変わっている。
恋をしている相手と、恋敵。色々変わるのも当然なのかもしれない。
「邪魔をしているつもりはないけれど」
「あなたがジル先輩と一緒に居るだけで邪魔なんです」
「ひどい言われようね」
思ったよりも言葉を選ばない物言いだ。それだけに真っ直ぐにわたしに突き刺さってくる。
「私、聞いたんです。レングナーさんは仕事に生きるって、学生の時からずっとそう言っているんですよね?」
誰に聞いたか知らないけれど、そういう恋の話になる度に口にしてきた事だ。間違いではない。
「ええ、そうね」
「じゃあジル先輩の事が好きって、そういうわけじゃないんですよね」
返事が出来ないでいるわたしの事を気にせずに、ナンシーさんは言葉を紡いでいく。その言葉も眼差しも真剣で、本当にジルを想っているのだと伝わってくるほどの熱量だった。
暖かったはずの風が、冷たく感じる。
「ジル先輩は優しいから、レングナーさんに気を遣っているんです。あなたが誰かとくっつくか、そのつもりがないなら……はっきりとジル先輩に言ってほしいんです。ジル先輩は他の誰かと幸せになるべきだって」
風が足元の落ち葉を攫って、軽やかな音を奏でている。
「あなたにジル先輩を付き合わせないでください。迷惑です」
彼女は最後までわたしから目を逸らさなかった。
わたしを真っ直ぐに見つめて思いを口にし、それから踵を返して立ち去っていった。
一人になったわたしから漏れたのは、深い深い溜息だった。
玄関前の段差に腰を下ろして、膝の上で頬杖をつく。
「……痛いところばかり突かれちゃった」
他の誰かと幸せになるべきだというのは、わたしだって思っていた。
わたしに付き合わせる事で、彼が何かを諦めているんじゃないかって。
でも……それを他人に指摘されると、何だかすごく堪えた。
傍から見ても、やっぱりわたしがジルの迷惑になっているんだろうか。
分かってはいるのだ。
幼馴染の関係性に甘えている事くらい。
自分の気持ちに、見ないふりをしている事くらい。
向き合うのが怖い、わたしの弱さ。
乗り越える強さを手に出来ないのなら、一人で居られる強さが欲しい。
『どうか怖れないで』
イヴァンの声が頭に響く。
見上げた空はいい天気。すっきりとした青空は高く、目に刺さる程の眩しさだった。
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