20.【ルゼット】と【イヴァン】

 もう見慣れてしまった舞台を、わたしは客席に座って眺めていた。

 舞台上に掛けられた大きな白幕には、これから恐ろしい光景が映し出される。


 今度は前世なのか。それとも前々世なのか。

 どちらにせよ、悪い夢には変わりなかった。


 ──ああ、悲劇がまた始まる。



 夢の中のわたしは波打つ薄茶色の髪を腰まで伸ばした、侯爵令嬢だった。名はルゼット。青い瞳の下にはやっぱりほくろがあって、いつからか前世の記憶も持っていた。

 前世の恋人だった【ノクス】がこれを頼りにわたしを見つけてくれるかもしれない。ほくろを指でなぞりながら、そんな事を夢見ていた。


 出会いは、わたしが成人を迎えた年の事だった。

 その年に十五で成人となった貴族子弟らを集めて開かれる祝いの夜会。そこでわたしは王族の方々に初めてお目にかかる事になった。

 

 美貌際立つ王族の方々の中でもわたしの目を引いたのは、第二王子のイヴァン様だった。短く整えられた金の髪がシャンデリアの灯りで煌めいて、赤い瞳は炎よりも輝いて、そして首筋には薔薇と蔦のような痣があった。


 目が合った時、だと分かった。

 前世でわたしを守ってくれた、あの人だと。


 嬉しかった。

 こうしてまた会えた事が。彼が、生きていてくれる事が。

 胸の奥が苦しくて、切なくて──わたしはまた、彼に恋をしていた。


 ただの侯爵令嬢であるわたしが、第二王子の彼と結ばれないと分かっていても。彼に前世の記憶がなかったとしても、彼がまたこうして生きていてくれるだけで満足だった。


 この恋心は密やかに、胸の奥にしまいこもう。

 ……そう思っていたのに。

 

「……シオン・・・?」


 バルコニーで風に当たっていたわたしの名を呼んだのは、イヴァン殿下だった。

 抜け出してくるのに苦労したのか、呼吸が少し乱れている。


「ノクス……」


 わたしの名を呼ぶ声が、前世の彼と重なって……気付けばわたしも、彼の名前を呼んでいた。


「やっと会えた」


 彼はわたしの腕を掴むと、ぐいと力強く引き寄せる。されるままに体を預けると腕の中にすっぽりと収まってしまう。

 でもそれが心地よくて、わたしも彼の背に両腕を回した。


 前世の彼とは違うのに、やっぱり落ち着く場所。

 わたしのが求めていた、温もりだった。



 それから程無くして、わたしはイヴァン様の婚約者に決まった。


 特段秀でているわけでもないわたしが婚約者に決まった事に、色々な意見もあったと思うけれど、それはわたしの耳に届く事はなく。きっと彼が色々と対応してくれたのだと思う。

 わたしも彼に相応しいよう、支えるべく精進しようと心に誓っていた。


 わたし達は仲を深め、前世の分まで埋めるように傍に居た。

 お茶会を楽しみ、遠乗りに出掛け、夜会では一緒に踊った。お互いの公務の合間を縫って、少しでも時間を作ってお喋りをした。


「この泣きぼくろは、前の君シオンと一緒だから、すぐに分かったよ」

「あら、泣きぼくろがある女性なんて他にも沢山いらっしゃるわ」

「それでも。俺が君を間違える事なんてない」

「そうね、こうして見つけてくれた」


 わたしの目元に唇を当てながら、イヴァン様が笑う。わたしの事が愛しいと、その瞳が物語っている。


「近いうちに歌劇を観に行かないか。いま流行っているそうだから」

「白鳥に姿を変える呪いを掛けられた少女のお話ね? 異国の御伽噺から作られた歌劇で、少女の名前が……」

「ルゼット。君と同じだ」

「ふふ、もう知っていらしたのね」


 くすくすと笑うと、腕の中に閉じ込められた。胸に頬を寄せると伝わる鼓動さえも愛おしい。


「白鳥を模した飾り物でも贈ろうか」

「素敵ね。冬が近づくと領地の湖にもたくさんの白鳥がやってくるのよ。いつかあなたと見に行きたいわ」

「必ず。君の願いはなんでも叶えてあげたいから」


 幸せな時間だった。

 ずっと続くと思っていた、愛しい時間──それを崩したのは、ひとつの野望だった。

 


「どうして分かってくれない! 俺は玉座など望んでいない!」

「口ではどうとでも言える。……イヴァン、お前の母親のしている事がお前に無関係だと言えるのか?」

「母の事は俺が何とかする。王になるのはあなただ、兄様」

「ふん、殊勝な振りをするのが上手い男よ」


 冷たい赤眼がイヴァン様の隣に居たわたしを射抜く。その刃のような視線に息を引き攣らせたわたしを庇うよう、イヴァン様が背に隠してくれた。

 

 王太子殿下は従僕と共に部屋を後にして、この執務室に残されたのはわたし達と、仕えてくれている騎士や副官だけだった。


「……母が俺を王位に就けたいと思っているのは知っていたが、ここまであからさまな動きをするとはな」

「イヴァン様……」

「心配しなくても大丈夫だ」


 そう言うイヴァン様は悲しみを隠して笑うから、わたしは寄り添う事しか出来なかった。



 王妃様は第一王子殿下と第三王子殿下をお産みになられ、二妃様はイヴァン様をお産みになられた。

 立太子されたのは第一王子殿下で、イヴァン様は殿下の事を支えるべく励んでいた。


 しかし、それを良く思わなかったのが……二妃様。

 次代の王にはイヴァン様が相応しいと、第二王子の派閥を作り暗躍されていると、それは父からも聞いていた。

 その派閥が日に日に力を増していき、王太子殿下がその座を下ろされるのではと……ご兄弟の仲も最近では悪くなってしまっている。


 イヴァン様は二妃様やその派閥に属する貴族の元に出向き、王になるのは第一王子殿下だと説く日々を過ごしていた。

 きっとそれが報われる。そう信じていた──



 イヴァン様とのお茶会で、いつものように蜂蜜を垂らした紅茶を飲んだ、その時だった。


「か、は……っ!」

「ルゼット!」


 喉が焼ける痛みに息が出来なくなったわたしは、手にしていたカップを落としてしまった。カップの割れる音がどこか遠くで聞こえて、痛みと苦しさに体が跳ねる。


 痛い。

 苦しい。


 口から溢れるのは血の混ざった泡ばかりで、声が出ない。


「医師を呼べ! 早く!」


 わたしを抱きかかえながらイヴァン様が叫ぶけれど、わたしはもう死んでしまうのだと分かっていた。

 もう目が霞んで、イヴァン様の顔が見えなくなっていたから。


 焼けた喉から言葉を紡ぐ事も出来ず、震える息では愛を囁く事も出来ない。

 腕が上がらないから、わたしに降る雨のような涙を拭ってあげる事も出来なかった。


 意識が遠のく最期まで、彼がわたしの名前を呼んでくれていた。



 それから──死んでしまったわたしは、魂だけの存在となって彼の傍にずっと居た。

 輪廻に向かわなければならないと、時折、魂を強く引っ張られる感覚はあったけれど、それを拒んで彼と共に在る事を願ったのだ。


 いまにも、彼が死んでしまいそうだったから。


 わたしが死んでしまった原因は、蜂蜜に入っていた劇薬だった。

 王太子になろうとするなら、次は婚約者ではなく第二王子が死ぬ──そんな警告だったらしい。


 だけどその警告は、彼の心を壊してしまった。


 イヴァン様は寝食を忘れたように動き続けた。

 蜂蜜に毒を盛った侍女を処刑し、それを手引きしていた貴族たち、そこから王太子殿下への繋がりまでも全て洗い出した。

 彼らが犯していた罪を余すことなく衆目に晒し、王太子殿下を処分するよう陛下に求め……それが認められた。


 このままイヴァン様が立太子するかと思われた直後には、第二王子の派閥であった貴族たちも様々な罪を明らかにされたのだった。そして──母である二妃様の罪も。


 国を乱した責任を取るとして、イヴァン様も王族から籍を抜き、立太子するのは第三王子と決まった。


 わたしはその全てを、彼の傍でずっと見ていた。

 触れられなくても、声が届かなくても……まるで亡霊のようになってしまった彼に寄り添い続けた。


 わたしが彼と恋をしたから、わたしが死んでしまったから、彼は心を壊してしまった。

 せっかく巡り逢えたのに──また、彼を不幸にしてしまうだけだった。


 だから、もう──彼とは逢いませんように。

 来世では逢うこともなく、彼には彼の幸せを築いてほしい。


 そう願っていたわたしの前で……彼は短剣を胸にあてている。



 そう、彼は死んでしまう。

 わたしが死ぬ原因となった全てを片付けて、もう終わったとその命を散らしてしまうのだ。


 何度となく繰り返し見た、この光景。

 目を逸らす事も、閉じる事も、席を立つ事も許されない。


 彼が腕に力を籠める。

 その刹那──彼が、わたし・・・に目を向けた。


 寄り添っていたわたしではなく、客席の舞台にいる、わたし・・・を。こんな事は今までになかった。


「次こそ必ず君を守り抜く。だからどうか、未来を怖れないでくれ。そしてまた……俺の手を取って欲しい」


 驚きに目を瞠るわたしの前で、彼は躊躇う事なく短剣を胸に突き刺してしまった。

 その場に崩れる彼の血で、絨毯が赤く染まっていく。



 わたしの意思に関係なく、瞼が落ちる。

 意識が遠のく感覚に夢の終わりを予感しながら、わたしは先程の彼の言葉を反芻していた。


 こんなのは初めてだ。

 一体、何が……?


『未来を怖れないで』


 その言葉が、痛みを伴って胸の奥に刻まれたようだった。


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