13.恵みに感謝を
運河通りは今日も青い灯りに照らされている。
弓のように張った月が川の水面に揺れているのがとても綺麗。
相変わらずの快活さに満ちた店々から買ってきた料理が、わたし達のテーブルには並んでいる。
角牛のステーキ、野菜のテリーヌ、クーペが綺麗に開いたパン。それから、湯気立つのはきのことベーコンのクリームスープ。
「フィーネちゃんもワインで良かった?」
わたしの前の席に座りながら、ジルがグラスを置いてくれる。木製カップの中に満たされているのはどうやら赤ワインのようだ。
今日はワインでも赤が飲みたい気分だったわたしは大きく頷いた。
「良く分かったわね。今日は赤ワインにしようと思っていたの」
「寒くなってきたから、きっとそうだろうなって。さ、食べようか」
さすがは幼馴染といったところだろうか。
恵みに感謝を捧げたわたしは、まずはスプーンを手に取った。木のボウルにたっぷりと入ったクリームスープにスプーンを沈めると、思っていたよりもとろりとしていた。
ふぅふぅと冷まして、口に運ぶ。
「あっつ……うん、美味しい。……熱っ」
熱いと分かっているのに、二口目もすぐに口に入れてしまった。ほんのりと甘いスープの中に、ベーコンの塩気がよく効いている。熱さを我慢しても食べたい、それくらいに美味しいんだけど、ジルは可笑しそうに肩を揺らしている。
「慌てて食べなくてもいいのに」
「温かいうちに食べたいのよ」
ジルも同じようにスープを口に運んで、熱さに肩を跳ねさせているものだから、今度はわたしが笑ってやった。
野菜のテリーヌには大きなエビも入っている。それからアボカド、真っ赤なトマト。色合いも美しいそれは、ほんのりとコンソメの味がする。これはワインが進んでしまいそう。
「最近、刺繍の方はどう?」
「楽しくて仕方がないの。時間も忘れてしまうくらい」
ステーキを切り分けながら、ジルが眉を下げる。それがわたしの事を心配しているというのが分かるくらい、わたしもジルの事はよく知っているみたいだ。
「刺繍して組み立てて……今までと作業は変わらないのに、今では手の中で花が咲いていく感覚がするの。もっと色んなお花を作りたいって、そう思っちゃうのよ」
「頑張り屋なところは君の美点だけど、無理を……していないんだろうなって、それも分かっちゃうから嫌だな」
苦笑いをしているジルがお肉を口に運ぶ。美味しいとばかりに頷いているから、わたしもステーキを切り分けた。程よい大きさになったそれを口に運ぶと、フルーツソースの甘味が口いっぱいに広がった。
お肉を噛むと溢れ出るのは肉汁と旨味。噛み応えはあるのに固くなくて、とっても美味しいステーキだった。
角牛は大きな一本の角が特徴的な魔獣なんだけれど、こないだの魔羊といい、魔獣のお肉は特別柔らかいんだろうか。
「ねぇ、魔獣のお肉ってどれも柔らかいの?」
「魔素が巡ると肉質が良くなるとか聞くけどね、魔獣全般が美味しいわけじゃないみたいだよ」
「食べてみようと挑戦してくれた誰かのおかげで、美味しいものを食べる事が出来ているのね。これからは恵みに感謝するだけじゃなくて、先駆者にも感謝の祈りを捧げなくちゃだめかしら」
「その気持ちで充分じゃないかな」
それもそうかと納得したわたしはグラスを取った。揺らすと広がる香りはまるで花のよう。香りを楽しんでから口に運ぶと、辛口ですっきりとした味わいだった。
手にしたパンを半分に割るには少し力が必要だった。固いのは外側だけで、中はふんわりとした柔らかさ。一口大にちぎって口に入れると、ふわりとチーズの匂いがした。生地に練り込まれているのか、程よい塩気が美味しい。
これはきっとスープにも合うわ。もう一口分にちぎったパンをクリームスープに浸して食べると、柔らかな生地に染み込んだスープとチーズが見事にマッチしている。あまりの美味しさに、あっという間に食べ終わってしまった。
「もうひとつ食べる? 少し温めた方がいい?」
籠からパンをひとつ手にしたジルが、わたしの前で軽く揺らす。
「それ絶対美味しいやつでしょ。軽く温めて頂戴」
「かしこまりました」
おどけたジルが片手に小さな炎を生み出すと、テーブルが一気に明るくなる。遠くから炙るようにパンを温めると、それをわたしに差し出してくれた。
パンを受け取ると、先程よりも小麦の香りが強くなっていて、それだけでもう美味しそう。
「ありがとう。いただきます」
割った感覚も先程より軽い。ふわふわとした生地からは湯気が立ち上って消えていく。
ちぎったパンを口に運ぶと、やっぱり美味しくて。思わず笑みが零れてしまった。
「んん、美味しい。ありがとね」
「どういたしまして」
ジルも自分のパンを炎で温めている。その炎があまりにも綺麗だったから、消えてしまった時には勿体なく思ってしまったほどだった。
「便利でいいわね、魔法って」
「パンくらいいくらでも温めてあげるよ。フィーネちゃんが出来ない事でも、僕が出来たらそれでいいでしょ。僕が出来ない事も、フィーネちゃんはしてくれるんだから」
「わたしに出来て、あんたに出来ない事なんてあったかしら」
「いっぱいあるよ」
「そう? 思い当たるものは浮かばないんだけど……」
ジルは何だって器用にこなすから、出来ない事なんてないんじゃないだろうか。
難しい場面に直面しても、いつも笑みを浮かべたまま解決しているようなイメージがある。
わたしの思いが顔に出ていたのか、ジルが笑った。
「分からなくてもいいんだよ。僕が分かっているから」
「……誤魔化された気分だわ」
「あはは」
否定しないあたり、間違ってもいないかもしれない。
わたしは大袈裟に肩を竦めて見せると、グラスを傾けてワインを一気に飲み干した。
今度は白ワインを買う為に店員さんを呼ぼうとするけれど、いち早くジルが手を挙げている。
「……やっぱりあんたに出来ない事なんてないんじゃないかしら」
「なんで?」
「腹立つ」
「ひどい」
白ワインをグラスふたつ分買ったジルは、わたしの悪態にも笑って見せるばかり。
そして言わなくても白ワインを選ばれている事に、そんなに自分は分かりやすいだろうかと溜息が出た。
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