5.恋愛話
気持ちのいい秋の風が、薄く開いた窓から入り込んできている。
窓枠から吊るされた花飾りのついた光水晶が、部屋中に虹色の光を咲かせていて、とても綺麗。光水晶はまるで宝石のように複雑にカットされていて、光を散りばめるようになっている。
光水晶の上についた花飾りは、薄紫色の細い花弁が特徴的な小ぶりのもので、これも水晶で出来ている。マーガレットにも似ているけれど、それよりかは花が小さい。そんな花が三つ飾られた可愛らしい飾りものだ。
これは三年前の誕生日にジルから贈られたものだ。何の花なのかジルに聞いても、はっきりとした答えが返ってこなかったのは……花に詳しくないジルだから、仕方のない事だとも思う。
詳しくなくても分からなくても、綺麗なものは綺麗だからいいのだ。
ベッドに横たわったまま、揺れ動く光を目で追いかけるうちに眠くなってきてしまった。
昨日は帰ってくるのも遅かったし、結構飲みすぎてしまった。朝寝坊をしたくても弟とおやつパーティーをしたからそれも出来ず、食べ過ぎて少々お腹も苦しい。
これはもうお昼寝をするしかないな……なんて思っていたのだけど──
「お姉ちゃん、ここ出来ない~」
ベッドの端からにょきっと顔を出したのは、リーチェだった。
そうだ、わたしの部屋で課題をやっているのだった。あまりにも静かだったから、それも忘れるくらいに眠たかった。
正直とても眠たいけれど、帰ってきたら課題を見ると約束をしたのはわたしだ。それに頼ってきてくれる妹を蔑ろに出来るわけもなく。
のそのそと起き上がったわたしはベッドから降りた。床に敷いたクッションの上に座るリーチェの隣に腰を下ろす。
「どこ?」
リーチェの手元を覗き込むと、どうやら結び目を作るステッチで苦労をしているらしい。玉結びの形が崩れてしまっている。
「これ、両手を使うとか難しすぎない? 枠が動いちゃうんだけど」
「レース編みは得意なのにね。枠が動いてしまうのはしっかり抑えれば大丈夫。形が変になってしまうのは……巻いた糸を引っ張っていないからよ。ちょっと貸してみて」
リーチェから刺繍枠と針を受け取る。布にぽつぽつと開いてしまった小さな穴からも、リーチェの苦労が伺えるようだ。
わたしは布に描かれた動物のような何かの胴体に針を刺した。リーチェに見えやすいようにゆっくり、を意識しながら。
「針に糸を巻いたら、こうやって……しっかりと糸を引き締めるの。この布はいいけれど、リネンみたいな目が粗い布は結び目を大きくしないと擦り抜けちゃうからね」
「さすがお姉ちゃん。そのまま全部……」
「ちゃんと自分でやりなさい」
「はぁい」
リーチェに刺繍枠と糸を返すと、大きく溜息をつきながらも作業に取り掛かった。手元を見ると、ゆっくりだけれど教えた通りに丁寧に出来ている。手先が器用な子なんだから、きっと刺繍だってあっという間に上達してしまいそうなものだけれど。
わたしは小さな欠伸を漏らすと、ローテーブルに用意しておいたグラスにピッチャーから果実水を注いだ。ミントと檸檬が氷と共に踊る様子が何だか可愛らしいと思った。
グラスを口に寄せると檸檬の香りが鼻を抜ける。一口飲むと、口の中にミントの爽やかさが広がって、眠気も飛ばしてくれそうだった。
「……ねぇお姉ちゃん」
「ん?」
「ジル
果実水を飲んでいる最中だったら噴き出してしまっていたかもしれない。それは何とかしのげたけれど、変なところに入りそうになって少し咳き込んでしまった。
「どう、も何も……知っての通り幼馴染だけど」
「だって二人でご飯食べに行くとか、幼馴染でするものなのかな~って思ったりして」
「するでしょ」
また変な事を言われたら、今度こそ噴き出してしまうかもしれない。果実水を諦めて、グラスをテーブルへと戻した。
「お姉ちゃんは鈍いからな~。ジル兄ぃがお姉ちゃんを好きだとして、お姉ちゃんは気付かなさそう」
「何であんたはこういう話題になると活き活きとするのかしら」
いつもは目に光がない、無気力にも見える妹だけれど、恋話になると目を輝かせる。そういう年頃なのだろうか。
「お姉ちゃんが興味なさすぎるんでしょ。私は知ってるんだ、お姉ちゃんが学生だった時にいっぱい告白されてたって事」
「誰から聞いたのよ、そんなの。告白はされたけれど、いっぱいではないわよ」
「ぜーんぶ断ってたんでしょ? で、ジル兄ぃも告白されても断ってたっていうし……二人は相思相愛なのかなって思うのも自然でしょ。付き合ってるって思われてたらしいし?」
「だから誰からそんな話を聞いたのよ」
「友達のお姉ちゃんが言ってたって聞いたの」
わたしは大きな溜息をつくと、クッションを両腕に抱いてベッドの縁に背を預けた。
こういった話には尾ひれがついて回るものだけれど、まさか妹の耳にも入るだなんて思わなかった。
「わたしもジルも、誰かとお付き合いする気がなかっただけ。それにあんたはわたしを鈍いなんて言うけれど、向けられる好意に気付かないほど鈍感でもないつもりよ」
「えー? だってお姉ちゃん、今だって熱視線を向けられているのに?」
「……こないだの警邏隊の彼の事?」
リーチェは刺繍の手を止めて顔を上げた。ピンク色の瞳が不思議そうな視線を送ってくる。
「それ以外にも。お姉ちゃんはしっかり者だし美人だし、商店街でも愛想が良いから人気があるんだよね」
「それはあんたの贔屓目。あんたが思っているほど想われたりはしていないのよ」
「そうかな~。でも実際告白はされているわけだし? 誰かとお付き合いをしたりしないの?」
「……わたし、恋をしないで生きたいのよ」
前世も前々世も、恋に落ちて恋を叶えて死んでしまった。わたしだけじゃない、恋人だったあの人も死んでしまった。
恋なんてしない。したくない。
「えー、何で?」
「仕事が面白いの。わたしの目標はおばあちゃんの【アムネシア】を越える事なんだもの、恋なんてしている暇はないわ」
リーチェはピンクッションに針を刺すと、刺繍枠と纏めてテーブルに乗せてしまった。どうやら意識がお喋りの方に向いてしまったらしい。
刺繍は半分ほど進んでいるから、このお休みの間に完成するのは難しくないだろう。白くてもこもことした……おそらく羊だと思われる何かが口を開けてこちらを見ている。
「でもお姉ちゃんは跡取りだもん、お婿さんを貰わないと──」
「わたし、跡は継がないわよ」
「……え?」
リーチェが目を丸くしている。そんな様子が何だか可笑しくて思わず笑ってしまうと、「笑いごとじゃない!」と怒られてしまった。
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