6.跡を継ぐのは

「笑い事じゃないわよ、お姉ちゃん。このお店はどうするの?」


 困ったように眉を下げるリーチェに申し訳なさが募って、わたしは彼女の赤金の髪に手を伸ばした。ぽんぽんと頭を撫でてみても、リーチェの表情が晴れる事はない。


「昔から言っていたでしょう? わたしは跡を継がないって」

「言ってたけど……でも、そんな……本気だなんて……」


 そう、わたしはずっと言い続けているのだ。

 このお店の跡は継がない、と。そうなれば跡継ぎはリーチェかメリドになってしまうけれど、両親はわたしの自由にさせてくれると言っていた。もちろん、リーチェもメリドも跡を継ぎたくないのならそれでもいいと。

 歴史のあるお店だし、顧客も多い。店を畳む事にはならないけれど……存続させていく事はどうにだって出来る。そう言ってくれる両親に、わたしは甘えているのだろう。


 でも、怖いのだ。

 またこの人生でも、早く死んでしまいそうで。


 もちろんこれは両親には伝えていない。

 前世も前々世も早くに死んでしまった。今世ではそうならないように、恋をしないでいるけれど……もしかしたら、わたしの運命は……恋の有無など関係なしに、命を奪うように出来ているのかもしれないから。


 そうなれば責任のある立場に就くのは難しい。

 跡継ぎの教育が全て無駄になってしまうもの。


 それに……リーチェは長子であるわたしが継ぐものだと思って、自分は関係ないとしているけれど、実際のところ一番跡継ぎに向いているのは彼女だと思う。

 流行を先取る目もあるし、社交的だ。物怖じしないけれど丁寧な所作が身についているから、王家や貴族とも上手く付き合っていく事が出来るだろう。


「わたしは継がないけれど、ずっとこのお店で刺繍職人として生きていくつもりよ」

「でも、それならお姉ちゃんが跡を継いだって……!」


 リーチェは今にも泣いてしまいそうだ。ピンク色の瞳が不安に揺れている。

 ……申し訳なくて、自分の狡さに胸が詰まる。わたしが逃げているせいで、リーチェに負担を掛けている。それは、分かっている。


「……リーチェは、お店を継ぎたい?」

「分からない……だって、【アムネシア】はお姉ちゃんが継ぐものだって、ずっと思ってて……。跡を継がないって言っていても、お姉ちゃんならきっと、上手にやってくれるって思ってたから……」


 リーチェはわたしの腕にあるクッションを強引に奪うと、ぽいと放り投げてしまった。どうしたのかと問うよりも早く、妹はわたしの胸に飛び込んでくる。胸に顔を預け、腰に両腕を回してきつく抱き着くリーチェを、わたしはそっと抱き締めた。


「ごめんね、リーチェ」

「やだ」


 首をふるふると横に振るリーチェの様子に苦笑いが漏れる。

 もうしばらくはこのままで、リーチェが落ち着くのを待っていよう。そう思ったのだけど──


 バン! と大きな音を立て、ノックもしないでドアが開いた。


「フィーネ! ちょっとこのデザインを……って、あらあら……姉妹仲良しね?」


 片手に分厚い紙の束を丸めて持ち、部屋に飛び込んできたのは──母だった。

 目の下にはうっすらとクマが出来ていて、高い位置で丸く纏められた金髪はところどころがほつれ、乱れてしまっている。そんな中でも青い瞳だけが輝いて……いや、ぎらぎらと血走っている。


「お母さん……」


 わたしも、わたしの胸から顔を上げたリーチェも、唖然としてそう呟くだけで精いっぱいだった。




「ふぅん……なるほどね。リーチェはフィーネが跡を継がないって言ってるのが、本気だとは思っていなかったと。それで自分にそれが回ってきそうで、怖いのね?」


 わたしとリーチェの話を聞いた母は、グラスを持ってうんうんと大きく頷いている。


「だって、なんだかんだ言ってもお姉ちゃんが居てくれるとばかり……」

「いるわよ? 刺繍職人として雇い続けてほしいもの」

「そうじゃなくて! ……だって私、そんな……お姉ちゃんがお婿さんを貰って跡を継いで、私はその側でのんびり生きていけると思ってたのに……」

「あはは、それもどうかと思うわよ」


 果実水を一気に飲み干した母は豪快に笑った。

 母はぐいとわたしに向かってグラスを出してくるものだから、ピッチャーからまた果実水をたっぷりと注いでやった。母がグラスの上で指を振ると、ぱきぱきと独特の音を立てて氷が生み出される。程よい大きさになったそれをグラスに落として、今度はゆっくりと味わいはじめた。


「母さんも父さんも、子ども達には好きに生きてほしいと思っているのよ。母さん達だってまだ若いしね。もしかしたらいつか出来る孫が、跡を継ぐって言ってくれるかもしれないでしょ」

「いつの話になるか分からないじゃない、そんなの……」


 すっかりとしょぼくれてしまっているリーチェを見て、母はまた笑う。そしてテーブルの上に持ってきていた紙束を広げ始めた。


「これを見て。冬のデザインが描き上がったんだけど、リーチェはどう思う?」


 目元を指で拭ったリーチェは一枚のデザイン画を両手で持った。その眼差しは真剣で、瞳は輝きに満ちている。


 何も言わずに次のデザイン画を手に取り……それを繰り返して全てを見終えるまで、リーチェは一言も話さなかった。

 そんな妹の邪魔をするつもりもなく、わたしもリーチェの後にデザイン画を確認していった。



「……このスカートの後ろ身頃をたくし上げるスタイルは、隣国の王妃殿下が最近好んで着ているものに似ているわ。違うデザイン……そうね、こっちのデザインの腰から大きく膨らませたデザインの方がいいんじゃないかな」

「お尻を膨らませる分、前身頃はすっきりしていた方がいいかしら。いっそ腰からお尻の部分にお花をめいっぱい飾るようにして……」

「裾をロングトレーンにするのも素敵だと思うの。ここの部分にフリルを重ねて……」


 リーチェの言葉を受けて、母がデザイン画を直していく。あっという間に描かれたデザインは花とフリルで飾られたとても美しいものとなっていた。


「これなら下着も合わせて作った方がいいわね。お尻から膨らませる腰当のようなアンダースカートも考えなくちゃ。フィーネ、あなたの立体刺繍を前面に押し出すドレスになるから、そのつもりでいてね」

「分かったわ。色んな図案を作っておく」


 ぐいと果実水を一気に飲み干した母は、デザイン画達を綺麗に纏めてからテーブルを使って端をとんとんと揃えた。

 その瞳は楽しそうに煌めいている。


「リーチェ、自分でも分かっているでしょ。自分が何に向いていて、何をしたいか。遠慮も不安も纏めて全部、私達も抱えてあげるから……好きな事をやりなさい」

「……うん」


 この【アムネシア】は流行の発信地でなければならない。

 跡を継ぐ者は流行に敏感でなければならないし、先取るにはセンスだって必要だ。そしてそれを満たしているのは……わたしではなくてリーチェだったのは、わたしにとっては僥倖な事だったと思う。


 慌ただしく部屋を出ていく母を見送って、わたしは刺繍枠を指さした。


「ほら、課題を終わらせちゃいましょ。早く終わったら、久しぶりに買い物でも行きましょうか」

「何か買ってくれる?」

「それはリーチェの頑張り次第ね」


 敢えて跡継ぎの事には触れなかったし、リーチェもそうしてくれた。

 部屋の中には先程までと変わらない光の花が咲き誇っている。穏やかな午後の陽射しを受けて。

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