4.紫煙とミントの香り

 川を下っていく船の装飾が、魔石によって輝きを放っている。

 低い汽笛が響くけれど、運河通りの喧噪の中では目立たないようだった。


「宮廷魔導士の勧誘なんて、今に始まった事でもないでしょう?」

「そうなんだけどさ……」


 ジルが根菜チップスを食べる度に、ぱりぱりと軽快な音が聞こえる。その音に惹かれるようにわたしもチップスに手を伸ばす。薄く切られたにんじんは、揚げた事で赤がとても鮮やかだ。振りかけてある塩のお陰で甘さが際立っている。うん、美味しい。


「ちょっと最近は特にしつこくて、鬱陶しい」

「宮廷魔導士になれるのなんて魔法適正のある人の中でも、ほんの一握りでしょ。認められたって事だし、悪い話じゃないと思うんだけど……」


 魔法適正があり、魔法を使えるからといって、誰でも宮廷に仕える魔導士になれるわけではない。宮廷魔導士は王を守る為の盾であり、剣でもある名誉ある職だ。

 ジルは学院の魔導科に居る時から宮廷魔導士への勧誘を受けていたのだけど、研究がしたいからと在学中から今に至るまで全てを断っている。


「僕のやりたい事はまだ終わっていないからねぇ。それに……宮廷魔導士って制約が多そうでめんどくさい」

「なんていうか……あんたらしいわね」

「好きな事をしていたいだけだよ。フィーネちゃんだってそうでしょ?」

「まぁ、それはそうね」


 確かにやりたくない事を仕事にするのは辛いだろう。

 幸いにも今はやりたい事を選べているのだから、名誉だ何だと、それを選ぶべきではないのかもしれない。それにジルがそれでいいというのなら、いいのだろう。

 そんな事を考えながら食べたチップスは、少しだけ塩辛かった。


「ごめん、ちょっといい?」


 そう言ってジルが取り出したのは、銀色のシガレットケースだった。

 二年前、十八歳の誕生日にわたしが贈ったものだ。気に入ってくれているのか、こうして使っているのを見るのは何とも嬉しい。


「ええ、どうぞ」


 ジルは慣れた手つきでケースから一本の煙草を取り出す。咥えた煙草の先に人差し指を近づけると、一瞬その指先に炎が宿った。

 火のついた煙草からたなびく紫煙は仄かにミントの香りがする。


「……やっぱりいいわね、魔法が使えるのって」

「まぁこういう時は便利だなって思うね。煙くない?」

「大丈夫よ。酔っちゃった?」

「悪酔いする前に多少は醒ましておこうと思って」


 ジルの煙草は自分で作っているものだ。

 煙草というよりかは清涼剤に近いらしいのだけど……煙草を嗜まないわたしにはよく分からない。魔力を浸した特殊なミントの葉が、酔いを醒ましてくれると前に聞いた覚えがある。


 煙草を吸う姿も、いつしか様になっている。こういう面を見ると、いつまでも子どもではないのだなと思うし、それが寂しくもあるのは……きっと、いつまでもこうして一緒に居られるわけではないからなのだろう。


 感傷的な自分を誤魔化すように、大きく切り分けたチキンを口に運んだ。それを見てジルが可笑しそうに笑うものだから、軽く睨んでおいた。

 煙が夜空に昇っていく。ミントの香りはわたしの酔いまで醒ましてしまうようだった。



 食事を終えて、お酒も楽しんで、まるで弓が張っているようなお月様が空に佇む時間になっている。それでもまだ運河通りが賑やかなのは変わらない。


「まだ何か食べる?」

「ご飯はもういいんだけど……甘いものが食べたい気分。ジルは?」

「僕も付き合おうかな。買ってくるよ。何がいい?」

「わたしも行くわ」


 食べ終えた木製のお皿を重ねてトレイに乗せる。

 それを持って運河通りの各所に置いてある棚へと置けば、自動で回収される手筈になっている。だから外で食べる時のお皿は全て同じもので統一されている。改めて思えば随分便利なシステムだ。


 色んなお店を覗いて、わたしが選んだのはアップルパイ。ジルはチーズケーキ。

 先程まで居たテーブルに戻り、早速とばかりにフォークを手にすると、一際大きな汽笛が夜気を震わせていった。

 そちらへと目を向けると、見るからに豪華で大きな船がゆっくりと運河を下っていくところだった。船の側面に描かれた紋章はスズランと盾──プレハドフ公爵家の紋章だ。風に乗って微かに音楽が聞こえてくるから、きっと船上舞踏会が開かれているのだろう。


「貴族の船?」

「プレハドフ公爵家ね。川を下って海を楽しんでから戻ってくるそうよ」

「へぇ、途中で帰りたくなったらどうするんだろう。転移陣とかあるのかな」

「みんな楽しんでいるんだろうから、帰りたくなんて……ないなんて言えないわよね。確かに帰りたくなったら困るから、手段は何かあるんでしょうね」


 ジルらしい感想に笑みが漏れた。

 さて、改めて──ナイフを使ってアップルパイを一口大に切る。サク、という軽やかな音がもうそれだけで美味しそう。切り分けたパイに美しい琥珀色に染まったリンゴ、それから艶めくカスタードクリームを乗せて口に運ぶ。


「んん、美味しい。このリンゴ、とても甘く煮てあるのにしつこくないから、いくらでも食べれてしまいそう」

「こっちのチーズケーキもさっぱりしていて美味しいよ。檸檬の皮が入っているのかな」


 ジルはそう言うと一口分をフォークに乗せて、そのフォークの柄をわたしに向かって差し出してくれる。わたしもフォークにアップルパイを乗せると、同じように差し出して交換をした。

 チーズケーキを口に運ぶ。ジルの言う通りにさっぱりとした軽いケーキだ。土台のビスケット生地にも檸檬が混ぜ込まれているのだろうか。うん、これも美味しい。


「本当だわ。これも美味しい」

「このアップルパイ、美味しいね。でも子どもの時にフィーネちゃんのおばあちゃんが作ってくれたアップルパイも美味しかったな」

「あら、嬉しい事を言うのね。おばあちゃんに伝えておくわ。きっと喜んで焼いてくれるわよ」


 祖母はもう刺繍職からは離れているけれど、まだまだ元気に過ごしている。最近では花を育てる事にはまっているらしく、祖父に温室を強請っては困らせていた。


 あっという間にアップルパイを食べ終わってしまった。まだ食べられるし飲めるけれど、少し落ち着いてからにしよう。

 そんな事を考えていたら、ジルの指先に炎が灯った。立ち上る紫煙。ミントの香り。


「……煙い?」

「大丈夫。……心配性よね、あんたって」

「嫌な思いはさせたくないでしょ。フィーネちゃんなら、嫌な事は嫌って言ってくれるだろうけど」

「遠慮する仲でもないでしょ、わたし達は」

「確かに」


 くつくつとジルが低く笑う度に、煙が揺れる。灰皿に落ちた灰の角が崩れるように丸くなった。

 ちらりと腕時計に目を落とす。まだ帰るには早い時間だし、もう少しくらい飲んでもいいだろう。

 そう思って顔を上げると、わたしの考えを読んだように、ジルが片手を挙げて店員さんを呼ぶところだった。


「もう少し飲もう。付き合ってよ」

「ええ、いいわよ」

「良かった。もう少し愚痴りたいんだよね」

「だいぶ疲れているみたいね。話を聞くくらいは出来るけど、悪酔いはしないでよね」

「そうならないための煙草これなんだけど、もし帰れないくらいに酔っぱらったらフィーネちゃんに泊めて貰うかな」

「父さんに飲まされる羽目になっても良ければね」


 テーブルに置かれた木製ジョッキ。また乾杯をするとなみなみに満たされたその水面が大きく揺れる。口をつけるとやっぱり美味しくて、この分だとまだまだ飲めてしまいそうだ。



 結局ジルが帰れない程にまで酔う事はなく、日付が変わる前には帰宅したのだけれど、わたしはリーチェとメリドのおやつパーティーには間に合わなかった。

 翌朝、拗ねてしまっていたメリドを宥める為に、朝からおやつパーティーを開く事になって、それはそれで楽しい時間となったのだった。

 

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