なんか暗い話
ビッコー
第1話
「最後の晩餐か」
クジラのような重くしわがれた声だった。
そこは 大きな屋敷だった。
壁に飾られるのは単なる窓ではなく、人物を掘ったステンドグラスばかり。大きな柱が何本か立ち並べばその間を白い漆喰が埋めている。耳をすませばチェンバロで奏でられるバロック音楽の数々が聞こえてきそうなその部屋には、大きなシャンデリアが三つあった。
十数名ほどが一同に介することのできるほどの大きなテーブルが、ホコリだらけのテーブルクロスをスクリーンに小さな影を落としていた。
椅子は、ひとつだけ。老婆はひとり座っていた。腰の下まで伸びた縮れた髪はまだらに白く、シワは涙が伝いそうなまでに深くまで掘れている。お世辞にもきれいとは言えない衣類はしかし、それが人足り得るには十分でもあった。
老婆はテーブルの上におかれた蝋燭をぼうと眺めながら、皿の上におかれたポーチドエッグを半分に割った。
かちゃりと音が鳴ると中からドロリと溢れでる黄色の半個体が皿を汚し、またかちゃり、かちゃりと音を立てて口へと運んでいく。目線は揺れることのない蝋燭から移ろぐことなく、すぐ後ろではレンガでできた暖炉が何かを爆ぜるように音を鳴らしている。
その部屋にあるものは、それだけだった。
「どうしてこうなったのだろう」
老婆の声は不吉の塊のように重く、おぞましく、意味もなく反響しては微かな残響を得ていた。それが愉悦を与えたわけではないのだろう。こぼれた笑い声はあまりにも微かで、いまにも消え入りそうなほど空虚だった。
老婆はゆっくりと立ち上がった。木製の椅子が床を引っ掻き、鈍い音をたてた。生まれた音はどこへといくのだろうか。確かにそこにいたはずなのに、通りすぎて、気がつけばもうどこにもいなくなっている。老婆が暖炉へと近づいていけば、どこにも存在しない時計の針をゆるめているようでもあった。
炎の赤さは徐々に老婆の頬へと移っていくと、ようやく老婆がまだ生きているのだと理解できた。それでもなお、暖炉のなかに無造作に放り込まれた薪のほうがまだ、命を感じられるかもしれない。あるいはそこにつまれた赤いレンガの一つと言い換えてもいいのかもしれない。
老婆はゆっくりとしゃがみこむと暖炉の一員であったはずのそれを手に取った。構成要素の一つはしかし、一度外れてしまえば別のなにかになるのかもしれない。部屋に一つ、ものが増えた。
「こんなものが」
老婆の声が震えている。シワが顔を隠してのっぺらぼうのような彼女には感情などあるはずはない。たとえあったとしても、それは喜びではないだろう。
老婆は手にしたそれを壁に向かって投げつけた。漆喰の壁には穴が開き、一つであったはずのレンガは五つほどに増えた。その中の一つがなぜかキラリと光っていた。
なるほど、鍵だ。
しかし老婆はそこに現れた新たなにかを決してみようとしない。そこには意思があるように思えた。
「こんなものが、何になる」
老婆の顔は赤みを帯びている。きっと暖炉に照らされているからだ。そうにちがいない。だからこそ、深いシワの奥底は深海のように暗いのだ。
続けて老婆が小さくなにかを言った。聞き取れない。そうして老婆は胸に手を当てて、服を強くつかんだ。両膝を床につけ、片手でバランスを取って、掴まれた洋服はシワになり、仲間だと言わんばかりに暗い影を作った。薪がパチりと音を鳴らすと老婆は動くのを止めた。
暖炉の炎は決して消えることなく、老人を赤く染め続けていた。
「これ、なんの話だと思う?」
寂れた古本屋の中、若い男が横にいる女性に向かって言った。男の手には一冊の本があった。所々が破れて、はなぎれの糊が溶けてきているのか不安定によれている。
女性は覗き込むように中を一別して「私にはわからない」と首をふった。あるいは「興味ない」だったのかもしれない。
男はつまらなそうに本を閉じると、「いこうか」と言った。女は頷いた。
ドアがぎいと鳴って二人が外へでると、店の奥にいた老婆が「ありがとうございました」と言った。それはクジラのような重く、しわがれた声だった。
なんか暗い話 ビッコー @bikkle2
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