捻くれ娘と従者のお菓子作り
「あレ、取り込み中かイ?」
どさりと粉袋を台所の隅に降ろした時に、特徴的な訛りの声をかけられて、ヤズローは振り向く。狭い台所の入り口から、ひょこりと黒髪の頭が顔を出していた。
「いえ、これで終了しました。紫花様、何かご用でしょうか?」
「ラビーが頭から煙吹いてるかラ、茶菓子の一つでも貰えるかと思ってネ」
軽く金属製の手を払って問うと、狐のような釣り目をきゅうと細めて紫花は笑う。本日は授業は休みの休養日で、来巡りに来る定期試験に備えての勉強会を三人で行っていた筈なのだが、元々頭より体を動かす方が得意な主の娘が最初に限界を訴えたらしい。米神を軽く揉んで、溜息を吐いた。
「成程、逃げ出そうとしたお嬢様をグラナート様が押さえこんでいるという事ですね」
「御名答、まだノルマが終わってないからネ。アタシはもう終わったシ、ついでに茶も入れてくるってとんずらこいたのサ」
独特の訛りが残る北方語でつらつら語る紫花が台所を見渡すが、残念ながらヤズロー謹製の作り置き菓子は、今朝全て主の娘の腹に収まってしまい、今から作ろうかと思っていたところだった。己の不備を説明して詫びると、南方国生まれの娘はケッケッケ、と独特の高い声で笑った。
「そんジャ、ちょいと
×××
シャラト学院の寮には男女共に、共同の炊事場が設けられている。そこを使うのはもっぱら貴族の子息が連れてくる召使達で、材料等は個人毎の持ち込みだ。グラナートも自分の召し出した幽霊達に料理を任せているし、ヤズローもラヴィリエの朝食やおやつを作るのが仕事のひとつだ。
逆に貧乏貴族の生徒は当然召使など連れて来られないので、自力で料理をするか三食を学院内の食堂に頼るかの二択になる。休養日には食堂が解放されないので、事前に日持ちのするパンなどを買い込んでおく必要がある。紫花もいつもその調子で、厨房に入ることは今まで無かったのだが。
「何が入用ですか?」
「んート、調味料は手持ちがあるかラ、粉と卵だけおくれヨ」
そう言いながら、紫花は大き目のボウルに茶色の小さな塊を幾つか放り込んだ。南方で取れる砂糖のようだ。同じく黒色の調味料らしい液体を軽く振り入れ、綿棒で砕いて良く混ぜながら渡された卵を割り入れ、更に粉も無造作に放り込む。
「篩にかけなくても宜しいのですか」
「やだヨ、面倒臭イ」
それでいいのか、と思いつつ見守るが、紫花の手際は大変良かった。あっという間に茶色っぽくまとまった生地を小さな器に何個かに分けて注いでいき、その上に色とりどりの豆を振りかけた。そして備え付けられている竃の前にしゃがみ、
『火竜様、火竜様、怒らぬ程度に息吹を一つ』
歌うように南方語で囁いて、ふっと竃の中に息を吹き入れると、僅かな火花が散って焚き付けに火が灯った。あっという間に燃え上がる竃に、ヤズローは素直に感心した。
「風だけでなく、炎も使えるのですね」
「お世辞言うなイ、どれもショボくて使い物になりゃしないヨ。飯作る時に便利なだけサ」
どうも息吹の腕前に関する話は彼女の劣等感を刺激するらしく、べえと舌を出して怒られた。しかし、ネージでは魔女術の使い手はどんどん減っていて、火を起こすだけでも一苦労な者が多いと、ヤズローは師匠の魔女から聞いている。
「いいえ、世辞ではありません。私の師匠も年季の入った魔女ですが、拝見すれば感心するでしょう」
「ふーン? そりゃどうモ」
濃茶の細い瞳がぱち、と一度瞬いてから、軽く返事を返して頬を掻きながら紫花は立ち上がった。充分竃に熱が回ったのだろう、天板に器を並べて差し入れ、竃の蓋を閉めた。
「後は焼けるのを待つだけサ。変なものは入れてないだロ?」
言葉だけなら嫌味のようだが、貴族の従者がそういうことを気にしなければいけないという事は承知の上なのだろう。礼と詫びに軽く頭を下げて、片手間に準備していた茶器を差し出す。
「宜しければどうぞ」
「こりゃご丁寧ニ」
遠慮なく厨房の椅子に足を組んで座り、茶器の縁を持ったまま軽く啜る姿は、グラナートに言わせれば品が無いと怒られるところだろうが、ヤズローは主の娘でなければ硬いことは言わない。
「アンタも座りナ?」
「まだ仕事中ですので、お気持ちだけ頂いておきます」
「固いナ、もウ。アタシぁ別にお貴族様でも何でもないんだかラ、気を使わなくていいんだヨ」
呆れたように言われるが、ヤズローの生まれは旧洞窟街――所謂スラムだ。酷かった言葉遣いを全力で矯正した為今更戻すつもりはないし、シアン・ドゥ・シャッス家の執事として正しい振る舞いを心掛けなければいけない。それより何より、
「紫花様はお嬢様のご友人ですので、私が最大限に敬意を払う方になります」
きっぱり言い切ると、細い目がまたぱちぱちと瞬き。
「……ケッケッケッケッケ!」
けたけたと笑われてしまった。揶揄では無く、嬉しさを堪えようとして漏れてしまったように。
「ああもウ、あんまり笑ってたラ、またガニーに怒られるじゃないカ。どうしてくれるんだイ」
「それは大変失礼致しました」
「ケッケッケッケッケ! もういいヨ!」
僅かに上気した頬のまま、ひらひらと手を振った紫花に合わせてヤズローも口を閉じた。暫し、薪のちりちりという音だけが厨房に響く、静かな時間が続く。
「……あのサ」
「はい」
ぽつ、と呟いた声に返事をする。紫花は竃の方を見たまま、あまり感情の籠らない声でぽつぽつと続けた。
「完全に興味本位、なんだけどネ。アンタ、もしかして南方の血が混じってたりすル?」
不意の問いにさしものヤズローも驚いて、目を瞬かせた。気を悪くしたわけではなく、自分でも答えが解らない問いだったからだ。実の父の顔も名も知らないし、実の母がどのような血筋なのかも解らない。
「……可能性は無いとは言えませんが、恐らく違うと思われます。逆に恐縮ですが、何故そう思われたのですか?」
自分の顔立ちが南方系だと思ったことも無い。首を僅かに傾げて問い返すと、ごめんネ、と言いたげに苦笑で振り向かれた。
「いやサ、アンタの名前が随分呼びやすいかラ。そっちの血筋なのかと思っただけだヨ」
成程、と僅かに顎を引く。紫花は北方語の発音が苦手で、特に人の名前が難しいらしい。ラヴィはラビーになるし、グラニィはガニーだ。直接名前を呼ばれたことは無いが、確かにヤズローは発音をおかしく感じたことは無い。それは、多分。
「私の名前は、旦那様に頂いたものです」
「へエ?」
「お伽噺に出てくる竜の名の捩りだと、仰られておりました」
「あア! もしかして
「はい」
そりゃあ呼びやすいわけダ、と紫花はまたケラケラと笑った。神と竜の名は、どの国の言語でも同じ発音になる。名を誤れば祈りは届かず、奇跡は起こせないからだ。
とそこで、不意に紫花が立ち上がる。丁度、竃の中から馨しい匂いが漂ってきたからだろう。飛ぶような足取りで竃に近づく彼女に続き、厚手のミトンを差し出した。
「ありがト。……よシ、いい感じダ」
ばかりと蓋を開けると、中の生地は丸く膨らんで、豆が僅かに焦げた香ばしい匂いがした。どの器も綺麗に丸く膨らんでいた。
「
「お見事です」
僅かに塩気の匂いもする、甘すぎない蒸しパンということで良いのだろう。まだ湯気の立つそれを二つに割り、紫花が口に放り込む。
「あっヒ! ん、ん、良シ。こんなもんだロ」
はふはふ言いながら味見を済ませ、型から取り出して皿に盛る。僭越ながらヤズローも手伝った。キルトのミトンが無くても、自分の銀腕なら問題は無い。
「便利だネ、その手」
「ありがとうございます。お世辞としてなら受け取りません」
「ケッケッケ! 本当、アンタもいい性格してるよネ!」
味見分の残りを頬張りながら紫花は笑い、ヤズローは改めて茶の支度をする。そろそ本気でラヴィリエが逃亡するか、グラナートが激昂するかの二択だろう。幸い紫花は彼女達の分まで菓子を作ってくれたことだし、有難く便乗することにした。
「ヤズロー」
「はい」
随分正しい発音で名を呼ばれて振り向くと、まだ温かい蒸しパンが口に押し付けられた。してやったりの顔をして笑う紫花が、またケッケッケ、と喉を鳴らす。
「賄賂だヨ、元々八個あったのは二人に内緒ナ」
成程、既に皿の上の蒸しパンは六個。味見でひとつ減らしてしまったので、切り良くする為にヤズローを巻き込んだのだろう。色々と言いたいことはあったが、菓子に罪は無いのでそのまま全部口に含む。生地はほのかに甘く柔らかで、塩気の利いた豆が歯応えを加えて美味だった。
「……了解しました、特に意地汚いお嬢様にはご内密にお願いします」
「アンタ割ト、お仕えする方に対して雑なとこあるよネ」
言い合いながら、寮の狭い階段を上っていく。匂いと音を嗅ぎ付けたラヴィリエが、勉強部屋から飛び出して、グラナートに雷を落とされる前に辿り着く為に。
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