◆4-4

 それから数日、ラヴィリエとシアン・ドゥ・シャッス家の噂は学院内を席巻していた。

 ヴァロワ侯爵子息は積極的に今回の縁談は法に則ったものであると主張し、もう十年以上姿を見せないシャッス男爵は体調不良の為既に引退していると嘯き、男爵家の妻子を救うためにステンシル子爵が手を差し伸べたのだ――という美談を仕立て上げた。決して全て噓ではないし、恐らく子爵家あたりは本気で人助けだと思っているのかもしれない。

 勿論巻き込まれたラヴィリエはたまったものではないが、残念ながら入学して数週間、すっかり有名人になってしまった彼女は常に遠巻きにされており、直接話しかけてくるものは少なかった為弁明も出来なかった。学院内は小さな社交界だ、どうしても家の身分が高い者の声が響き易い。生徒達の心の内の何処かにあった、子女ならば子息に従う方が正しい、という無意識の傲慢により、あっという間に噂は広がり、実しやかに囁かれた。ラヴィリエを既に子爵令嬢であると扱う者まで出る始末である。

「鬱陶しいったらありゃしなイ。ラビー、もう明日から授業はサボったらどうだイ?」

「お黙りなさい、紫花。噂に膝を折って隠れたままでいるなど、噂を認めることと同義になりますわ。ラヴィリエ、貴方はただ堂々と日々をお過ごしなさいな」

「うふふ、紫花の提案は魅力的だけれど我慢するわね。それにしても、急にきょうだいが出来るって、そこまで喜べるものなのかしら? 私は一人っ子だけれど、あまりきょうだいが欲しいと思ったことが無いから解らないのよね」

 それでも、一日の授業が終わり廊下を連れ立って歩く三人の顔に陰りは無く、いつも通りに会話を交わしていた。

「わたくしには兄が一人おりますが、年も離れていますし、そこまで仲が良いとは言えませんわね。尊敬はしておりますが、粗野な部分は眉を顰めてしまいますわ」

「ふーン、まあいい兄妹じゃないかイ? アタシのとこなんて姉も妹もロクなもんじゃないヨ、血が繋がってても気が合わなきゃ最悪ダ。血が繋がってないんなら尚更だロ」

「成程、成程。つまり人それぞれということね? ステンシル子爵子息はどう思っているのかしら」

 三人が向かっているのは、生徒が全員入る講堂だ。今日は学院に寄付をしている貴族達の懇親会が開かれており、長々しい学長や来賓の挨拶には辟易とするが、普段の学食とは段違いの料理が学生にも振る舞われるのだ。集団の中に飛び込めばまた色眼鏡で見られる可能性は充分あるが、ラヴィリエは美食を逃すつもりなど全くない。

「凄いわグラニィ、紫花! 牛よ! 牛一頭よ! せめて二十分の一くらいはお腹に収めたいわ!」

「遠慮してるつもりなのかもだけド、充分食いすぎだからネ」

「こういう時に騒ぐから子息達に貧しい目で見られますのよ! 自重なさい!」

 牛の丸焼きの前で涎を垂らさんばかりのラヴィリエを諫める友人二人と、駆け寄ろうとする彼女の襟首をしっかり掴むヤズローの姿は周りの生徒や来賓達に当然遠巻きにされていた。その中で、三人の子息達が悠々と近づいていく。

「少しも堪えていないようだな、能天気な餓鬼め」

「言葉がきついよ、ルイ。これぐらいの料理でさもしく騒ぐような生活から彼女を救わなければならない、解るだろう? マルク」

「……はい」

 未だラヴィリエに対する敵意を失っていないルイ、ごく自然に他者を下に見るヴァロワ、決して二人に逆らわないマルク。どこか歪である筈なのに誰も気づかない三人に、一人の壮年男性が近づいてきた。

「失礼、ヴァロワ侯爵令息とお見受けする。久しぶりだね」

「何――これは、コンラディン侯爵殿! ご無沙汰しております」

 慇懃無礼に見上げてから、相手の正体に気づいてヴァロワが慌てて居住まいを正し、他の二人もすぐ従った。周りの生徒達も僅かにどよめく。

 コンラディン家もネージ建国時より続く古い家系で、嘗てはギレム辺境伯とは反対側の西国境を守る家だった。異民族との戦いで勝利を収め、国を守った功績により伯爵位を得た。

 そして現在、嫡男が亡くなり前当主が隠居したりという惨事を乗り越え、現当主である目の前の彼、エール・コンラディンが若くして地位を継いでからは、広い領地を狩場や別荘地として貴族に貸し出し、多額の財を築き上げた。その経済力はもはや貴族院も無視できぬ程になり、ついに侯爵位を賜ったのだ。今一番勢いのある家と言っても過言ではない。

 ヴァロワとしては、歴史がほぼ同じ家である上に、現在は地位も同じ、経済力ならば相手の方が上――と決して無視出来ないが無下にも出来ない、厄介な相手だった。勿論、現当主と子息の間にはそれ以上の差があるのだが、残念ながら彼は自分と家を同一視する癖があるので上手く認識できていない。無論、貴族の嫡子ならば決して珍しいことではないが。

「お父上は息災かな?」

「はい、父もまたそちらへ狩りに伺いたいと言っておりました」

「光栄だ、是非ともご招待させて頂こう」

 勿論貴族としての上っ面は彼も鍛えているので、あくまで伯爵とにこやかに挨拶を交わし、友人達を紹介する。

「御紹介します。学院における私の友人、ルイ・ギレム辺境伯令息と、マルク・ステンシル子爵令息です」

「ほう、そうか、君が」

 子爵令息の顔を見て、成程と頷いた伯爵は、彼に向かってあくまで穏かに言う。

「実は先日、君の父上に書を送らせて頂いたのだ」

「えっ、それは――光栄です! 父も喜んでいるでしょう」

「ああ、それならば嬉しいのだが」

 身分の違いすぎる相手に肩を竦めつつも答えるマルクに頷いてから、コンラディン侯爵は首を巡らせると、銀腕の従者に肉を切り分けて貰っている銀髪の少女を見つけて、優しく微笑んだ。



 ×××



「んんん……美味しいわ! お肉もちゃんと柔らかいし、ソースも絶品ね!」

「ちゃんとナプキンを使いなさいな、もう……ああ、わたくしは一切れで結構ですわ」

「柔いんならアタシも貰おうかナ、固い肉って飲み込めないんだヨ」

 ヤズローが手早く切り分けて皿に盛っていく肉を、しっかり噛みつつするする飲み込んでいくラヴィリエが、手持ちの一枚目を空にした時。近づいてくる男性に最初に気づいたヤズローが、僅かに瞠目した。普段全く表情を動かさない彼にとって、とても珍しいことだった。

 しかもその男性は、紛れもなくヤズローの方を見つめ、声をかけてきた。従者に対してあり得ない筈の敬語と敬称で。

「ああ、久しぶりですね――ヤズロー殿」

 驚きに彼を追ってきたヴァロワ達が足を止めた時、ヤズローも表情を戻し、いつも通りに深々と礼を取った。

「御無沙汰しております、コンラディン侯爵」

「まだまだ若輩者ですよ。早いものですね、もうあれから十五年は経ちましたか」

「ええ。……成程、奥方様の手立てというのは貴方でしたか」

「ヤズロー? 失礼だけれど、お知り合いなのかしら?」

 きょときょとしていたラヴィリエが、ひそりと従者に話しかける。ヤズローも得たりとばかりに頷くと一歩下がり、主の娘を示して見せた。

「こちらにおわしますのがシアン・ドゥ・シャッス男爵令嬢、ラヴィリエ様で御座います」

「――ああ。そうか、君が」

 目の前に立つ、銀髪の少女に向けて。侯爵は万感の思いを込めたように、深く息を吐きながら彼女の顔を覗き込んで囁いた。

「良く、似ている。懐かしいことだ。長く不義理をしてしまったが、漸く君たちの家に恩を返せるよ」

「ど、どういう事ですか伯爵!」

 戸惑った声で、ヴァロワが不躾に問うが、グラナートが睨む前に侯爵自ら微笑んで口を開く。

「ラヴィリエ嬢の母の旧姓は、コンラディンと言ってね。彼女は、私の妹の娘に当たるのだよ」

 きっぱりと言い切ったその言葉に、一瞬沈黙が降り。最初に復活したのはやはりラヴィリエだった。

「あらあらあら、まぁまぁまぁ! では侯爵様は、私の伯父様でいらっしゃるの!? 申し訳ございません、私今まで全く知らず」

「君が気にすることではないよ。寧ろこちらの家の事情で、今まで公表することが出来なかったお詫びをさせて欲しい。君の家と、君の父上と母上には、私も私の家も、本当に世話になったのだよ。此度、私の妹であるリュクレール・シアン・ドゥ・シャッス男爵夫人がお困りだと私を頼ってくれて、本当に嬉しかったとも」

 微笑んでそう告げるコンラディン伯爵は、言葉に偽りないことを周りに聞かせるように、声を張り上げて。

「なんでも、夫人である妹が、ある貴族から執拗な求婚を受けていると聞いてね。良人であり現当主であるビザール殿が体調を崩しているのは事実であるが、彼を誰よりも愛し、愛されている妹が心を痛めているのは忍びない。改めてコンラディン家が、シアン・ドゥ・シャッス家の後ろ盾になれば良いと名乗りを上げさせて貰ったのだよ。僭越ながら、ラヴィリエ嬢の後見人としてもね。事後承諾で大変申し訳ないが、今までの不義理を晴らす為と、受け取ってくれないだろうか、ラヴィリエ嬢」

「恐縮ですわ、コンラディン侯爵様。正直驚いておりますが、確かに侯爵様の御顔立ちはお母様に似ていらっしゃいますのね! 私はともかく、お父様の安眠とお母様の名誉を守っていただけるのなら、こんなに嬉しいことはありませんわ!」

 満面の笑みで告げる少女に、侯爵は眩しそうに眼を眇めて、笑い返した。

「ああ、本当に。君は母君だけでなく、父君にも似ておられるね、とても」

「あらまぁ! お父様ともご面識がありますの!? では是非、お父様のお話をお伺いしたいですわ! もしよろしければ牛の丸焼きもご一緒に!」

「最初に勧めるにしては豪快すぎないかイ?」

「ラヴィリエ、幾ら血縁と言えど侯爵様にそんな不躾な……!」

「勿論、喜んで。こちらこそ、君の話を是非聞かせて欲しい」

 好き勝手に騒ぐ三人娘に伯爵はにこやかに頷き、三人の子息は立ち竦んだままだ。その光景に、周りの生徒達は見識を改めざるを得なかった。間違いなくシアン・ドゥ・シャッス男爵夫人は夫と婚姻を結んだままであり、それに求婚する等単なる横恋慕でしかないという事。この学院に毎年多額の寄付をしている、建国以来の血筋と広い領地を持つコンラディン侯爵の言葉を、誰も無視することは出来ない。学院内においてどちらに正義があるのかの定義が、完了してしまったのだ。








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ラヴィリエの両親の馴れ初めと伯父が出てくる話

「悪食男爵と首吊り塔の花嫁」→https://kakuyomu.jp/works/1177354054888408435

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