◆5-2

 治療要員を増やすためと、正式に祓魔としての仕事をする旨を町の神殿に伝えるようウィルトンに頼んでから、三人娘とヤズローは旧時計塔に向かった。

 もう既に使われていない筈の建物の周りには草が生い茂っていて、だからこそ誰かが踏んで作った道があり、足跡型に黒ずんで腐っていた。瘴気を纏った者が通り抜けたからだろう。

「紫花、もしこの塔の中に瘴気が充満していたとして、全部吹き飛ばすのにどれぐらいかかるかしら?」

「中身によるけド、ただ吹っ飛ばすだけならアタシでもいけル、と思うヨ。たダ、さっきも言った通りアタシは出し殻なんでネ、強い風を呼ぶのにも時間がかかっちまウ。吐かないように気合入れないといけないしサ」

「心配は無用です、紫花。貴女の身代はこのわたくし、グラナート・ゴールネィ・フルゥスターリが必ずや守ります。流石に瘴気の源にわたくしの尖兵を近づけるのは難しいとは思いますが」

「では、切り込むのは私とヤズローで決まりね。発生源を見つけたら、貴方が糸で封じて頂戴」

「仰せの通りに。――扉を破ります」

 三人娘の顔に決意しかないことを確認し、ヤズローは礼をして一歩進み出――どん! と一歩踏み出すと同時、締め切られていた扉を蹴り飛ばした。

 塔の内部は、不気味なほど静まり返っていた。窓は全て鎧戸に板を打ち付けてあり、真っ暗だ。扉から届く弱い光により、塔の中心に螺旋階段があり、そこから繋がる上階があるのが見えた。大時計の機関が据えられた部屋だろう――やはり扉は封じられているが。少なくとも目で見える範囲に、あの子息達は愚か瘴気の気配も見えない。

「先行します。お嬢様達は少々お待ちください」

「気遣いは不要ですわ。自分達の身は守れますし、手数も必要でしょう」

 ヤズローの提言に首を振ったのはグラナートだ。鳥の骨で編まれた扇を軽く振り、霊体の従者が差し出した布に包まれた白く小さな欠片を指で抓むと、ぽとりと板張りの床に落とした。

死女神へ捧ぐポセシェット・ラヴィラ蒼褪めし炎ゴルヴォイプラーニャ目覚めプロブシデニャ万骨の一欠片スタヤコスティ盾として在れスタンシトォン!』

 ビェールイ語で綴られる呪文に答えるように、床に落ちた欠片――骨が崩れ、震え、広がり、脛に、腿に、腰に、肋に、腕に、頭蓋になる。同時に、従者として控えていた霊体達が揺らめき、立ち上がった白骨死体に重なると、虚ろな眼下に青白い炎が灯った。

「凄い! 骸骨兵スケルトンね!」

「これぐらい、手慰みですわ。紫花、貴女が一番無防備なのですから特別に護衛として控えて差し上げます」

「えエ、ちょっと後ろに立って欲しくないんだけどナ……」

 はしゃぐラヴィリエと得意げに胸を張るグラナートに対し、見た目に少し引いている紫花はやはり少し気分が悪いのか、ずっと口の中で薄荷の葉を噛み続けている。いい意味でも悪い意味でも緊張感のない三人に小さく嘆息し、ヤズローは塔の内部を調べ始めた。

 しかし、警戒しつつ上の部屋まで探ったが、人影は愚か人がいた痕跡すら無かった。明り取りの為に窓を全部解放したが、やはり静まり返った塔の中に他の気配は無かった。

「ううん、てっきりここにいるのかと思っていたのだけど、当てが外れたかしら?」

「ずーっと気持ち悪いのはあるけどネ。ここが発生源なのハ、間違いないと思うけド」

「しかし、塔としては狭い此処に、これ以上隠れる場所があるとは――」

「――見つけました」

 顔を見合わせる三人娘に、静かなヤズローの声が届いた。同時に振り向くと、彼は手指を揺らして極細の糸を手繰っているように見える。そしてその先には、銀色の体を持つ小さな蜘蛛が――床の隙間からするすると這い出てきた。

「地下、ですの?」

「瘴気が溜まっているようです。明かりの準備を致します」

「それ以前に入口はどこかしら?」

「ちょっと待ってナ。――『風竜様、風竜様、通り道は何処へか』」

 紫花が小さく歌声を呟くと、扉から入ってくる風が動いた。窓へと通り抜け、塔を登っていき――するりと足首を撫でて、部屋の隅へと流れていく。

「成程」

 灯篭に火をつけて腰に下げたヤズローが、風の動きに沿って歩を進め、部屋の隅に積まれていた古樽を無造作に退けた。一見重そうな樽の中身は空で、簡単に動かせた。空樽に囲まれる床に刻まれていたのは、倉庫の扉だった。

「偽装ですわね、小賢しい真似を……」

「やっぱりここがあの方たちの、秘密の基地だったのかしら」

「うェ、また気持ち悪くなってきタ。この下、瘴気が充満してるんじゃないかイ?」

「静かに。――お下がりください」

 ヤズローの低い声に、三人娘は口を閉じる。閉まっている筈の扉がきし、きし、と軋み、板の隙間から黒い煙がじわりと湧き上がり――否。

 黒い気体ではなく、粘度の高い黒液に塗れた、長虫や百足が隙間から這い出してきた。それは普通に山野で見るものなどより太く大きく、何より眼球がぎらぎらと金色に光っている。地下に溜まった瘴気が澱になり、それに中てられた虫が魔と化してしまったのだ。

 虫達は鎌首を擡げ、ぞるぞると床を這いラヴィリエ達に近づき――ぐしゃ、と無造作に銀具足の足で潰された。べたりと散る澱は、寄る辺を失い瘴気となって黒い煙が舞い散る。

「うエー。瘴気どころカ、澱になってるネ」

「……粘度が濃すぎますわね。骸骨兵を中に入れてしまうと、取り込まれる可能性があります。わたくしの研鑽が浅いせいで……」

 死者は瘴気に中てられ易く、それを防ぎ操るのも死霊術師として大切だが、グラナートの今の腕前では難しいのだろう。悔し気に歯噛みする彼女に、ラヴィリエは笑って歩を進める。制服の腰にベルトを締めて、愛用の剣を差し込みながら。

「大丈夫よ、中は私達が探るわ。扉を開けたら紫花は大きな風を呼ぶ準備をして。グラニィは紫花の護衛をお願いね」

「簡単に言ってくれるねエ。マ、やるけどサ、時間おくれヨ」

「不本意ですが、承りましたわ。貴女達も精進なさい」

「当然よ、さあ行きましょうヤズロー。私の剣を瘴気の発生源にまで届かせて」

「仰せの通りに」

 無茶を言われている筈なのに、ヤズローは何の躊躇いもなく頭を下げ、床扉の取っ手に足先を引っかけると、思い切り蹴り上げる。

 その下には、闇があった。

 一見明かりが無いせいかと思われるが、そうではない。塔の地下としては随分と広い部屋――恐らく冬用の倉庫を兼ねていたのだろう――だったが、まるで奈落のように深く、床が見えない。ヤズローが明かりを掲げ、目を凝らすと僅かに見えた。随分と遠い床が、黒く蠢き、波打っている。備え付けであろう階段は腐ったように崩れ落ち、黒に飲み込まれていた。

 嘗て、始原神が混沌の中より、七竜と八柱神を生み出したとされる。混沌とは、永遠に広がり続ける黒い海であり、全てを飲み込んで全てと同化する原初。神の戒めを失えば瘴気は澱となり、いずれ混沌と成り果てる。――そんなお伽噺を思い出してしまうほど、悍ましく不気味な風体だった。

 実際には、神話に謡われる混沌などではなく、虫や小動物が澱に飲み込まれ好き勝手に蠢いているだけだろう。しかしそれは確実に粘度を上げて、部屋を食い潰して広げていくようにすら見える。迂闊に触れれば、あっという間に澱の虫に血肉を食いちぎられて飲み込まれるに違いない。

 大の大人でも驚き怯えてしまうだろう光景に、しかしヤズローは全く表情を動かさず、ただ「失礼」とだけ言って主の娘を片腕で抱き上げた。

「侵入します。お嬢様、お手数ですがしがみつかれますよう」

「ええ、解ったわ」

「おいおイ、そのまま此処入るつもりかヨ……!」

「その具足は聖別された銀ですの? それなら少しは持つでしょうが――」

「ご心配なく。床に足は付けませんので」

 それだけ言って、躊躇わずヤズローは地下へ無造作に飛び込んだ。黒い海に爪先が届く一瞬前、僅かな軋みと共にひたりと足が止まる、中空で。腰を抱えられ、両腕を従者の首に回したままのラヴィリエは、瘴気の充満した中で僅かに蒼褪めているにも関わらず、笑顔を崩していない。

「糸はどれぐらい保つのかしら?」

「お嬢様の望みを叶えるまでは、確実に」

 ヤズローが踏んでいるのは、澱の海の上にいつの間にか張り巡らされた極細の銀糸だった。正に蜘蛛の巣のように張り巡らされた糸の上に悠々と立ち、首を巡らす。紫水晶の瞳を光らせ、部屋を見渡すが、部屋は酷く広く、暗い。奥行きが何処まであるかも判らない。舌打ちをしたそうに眉を顰めながら、ヤズローはゆっくりと蜘蛛の巣の上を歩いていく。

 僅かに軋む糸の音と、ごぼごぼと波打ち泡立つ黒い沼の音。その二つの中、首に回された主の娘の腕が、僅かに震えていることにも従者は当然気づいていた。

「お嬢様、恐怖を感じていらっしゃいますか?」

「ええ、いいえ、そうなのかしら? 少し違う気もするわ」

 小さく囁いて問うと、彼女らしくなく歯切れの悪い返事が返ってくる。しかしその顔はきゅっと口の両端を上げた笑顔のままだった。

「そうね、やっぱり怖いのかしら。もし役目を果たせなかった時、グラニィと紫花に失望されるのが怖いのかも。私からの信頼が足りていないのね、これは反省すべきだわ」

 肩口にほんの僅か、柔い頬が摺り寄せられる。ヤズローは前を向いたまま、僅かに嘆息して答えた。

「それは良き事かと。私の尻拭いを当てにして、無茶をなされることが減るのならば」

「うふふ、耳が痛いわね! さあ行きましょうヤズロー、私は貴方も含め、誰の信頼も裏切るつもりは無いわ!」

「仰せの通りに」

 いつもの感覚を取り戻したらしい主に一言で答え、歩き続ける。やがて漸く、部屋の行き止まり――壁に挟まれた隅に、蟠ったような一際濃い闇を見つけて歩を止めた。

 それはまるで、澱を被った泥人形のように、其処に居た。人の形をしているのに、どう見ても体の大きさも腕の太さも、人間離れした何か。多分、恐らく、普通の青年ぐらいの体積で計ったら、丁度三人分ぐらいの大きさに見えた。

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