◆3-3
小さくヒュ、と口笛が隣から聞こえ、グラナートも我に返った。
「凄いネ、ラビー。相手動けなかったじゃないカ」
「……最小限の動きで、仕留めましたわね。勿論、相手に油断があったからでもあるでしょうけれど」
慌てて居住まいを正し、つんけんと告げるグラナートに紫花は喉を鳴らして小さく笑った。
「ケッケッケ、確かにネ。けどそレ、自分でも解ってるだロ」
紫花の言う通り、ラヴィリエはいつもと変わらぬ笑顔のまま、次の相手に対峙している。自分の姿が多くの者に、侮られているということを彼女は理解しているのだろう。その上で、それを武器に変えて戦うことが出来ている。誇りは無いのかと詰るのは簡単だが、誇りに固執して負けを喫するよりも、ずっと誇り高いやり方ではないだろうか。己の中に自然とそういう思いが浮かび、グラナートは逆に戸惑う。侮られるなど、最も嫌っていた筈なのにと。
「オ、二人目抜いタ」
紫花の声にはっと顔をあげると、次の相手は既に尻餅をついていた。大振りの剣を、距離を取ってひらひらと躱しているうち、疲れ切ってしまったらしい。鋭い「次! ルイ・ギレム!」という声に押されて這う這うの体で去っていく。
「三人目――辺境伯の子息ではありませんか……!」
「腕なんてラビーの倍は太そうだ、こりゃきついかナ?」
生徒の中でも一際大柄な金髪の青年が、軽々と模造剣を構える。ラヴィリエも僅かに息を乱したまま、軽く礼をして構えた。
×××
ルイ・ギレムは辺境伯の次男坊だ。平和な時代と言えど砂漠の国との国境の守りを任せられた武辺の地で生まれ、学院を卒業したら騎士団への入団が決まっている。剣の腕も新入生だけでなく、学院全体で一番の自信があった。
だからこそ、自分の相手がこんな小さい、しかも女であることに納得がいかなかった。せめてもうちょっと歯応えのある相手と戦いたいのだが、元将軍閣下に逆らう気は流石に無い。溜息を押し殺し、剣を構える。
相手の剣が抜き身であろうと、腕の長さは歴然だ。懐に飛び込んでこなければ怖くはない、武器を弾いてしまえばそれで終わりだ。
「はじめ!」
声と同時に踏み込んで剣を振る。早さには自信がある、咄嗟に防御されればそのまま剣をへし折ってやろうとした、その一撃は――宙を切った。
「何!?」
一瞬相手がいなくなったように錯覚し、銀色の頭が思ったよりも低い位置まで降りていることに気付き、咄嗟に後ろへ飛んだ。自分の脚があった場所に、小剣が突き出される。
相手は大振りの攻撃を受けるのではなく、躊躇わず地面に両足を広げて思い切り腰を下ろしたのだ。柔軟にそのまま足元へ攻撃を仕掛けて来た。小癪な動きに、無作法と友人に叱られている舌打ちが出る。
「流石、辺境伯の子息様ね、これぐらいの動きは読まれていたかしら」
何事も無かったかのように立ち上がり、土に汚れた腰布を払って少女が笑顔で立っている。生意気な言い草に苛立ちが増した。
「女の分際で、舐めやがって……!」
悪態だったが、恐らく周りの人間の総意であろうことを呟くと、教諭はほんの少し眉を顰め、相手はぱち、と青色の瞳を瞬かせた。
「あらまあ、貴方が私を舐めているのだから、私も貴方を舐めて当然ではないかしら? 誰かを侮るのは貴方だけの得意技ではなくてよ?」
芝居がかった台詞でくすりと微笑むその姿は、今その手に剣を握って立っているとは思えない無邪気なもので、ルイの神経を逆撫でした。挑発だと頭の片隅ではわかっているのに、血が上るのを止められない。
「ふざけやがって……!」
下手な技巧など要らない、力で押せばあっという間に抑え込める筈。当然のようにそう思い駆け出すが、牽制のように小剣が突き出され、阻まれる。威力自体は軽いけれど、真剣であるが故に掠っても傷になる、その上で細かい攻撃を仕掛けているのだ。自分の剣を持ち込むところから、彼女の策略だったに違いない。
「くそ、鬱陶しい!」
苛立ちのままに剣を弾くが、手の中で得物をくるりと回し、あるいはひらりと体ごと回転させて、再び攻撃を放ってくる。本当に、剣で打ち合うことに慣れているのだろう。
生意気すぎる女に、良いように弄ばれているように錯覚し、苛立ちは限界に達した。こちらが手加減をしなければ、あっという間に屈してしまう癖に、調子に乗りやがって!
「この野郎!」
「ッ――」
何度目かの攻撃の時を逃がさず、剣を振った。寸止めも無く頭を狙った攻撃に周りが息を飲むが、直接当てるつもりはなかった為か静止はかからなかった。狙いは相手の髪――長い銀髪を纏めている部分だ。簡素な髪飾りを撥ねて、ばらりと降りた編んだ髪を逃がさんとばかりに掴む。卑怯な手と後で教諭からは叱られるかもしれないが、このような格好、戦場に居たら狙われて当然だ。このまま引き寄せて首を押さえてやろうと快哉を叫ぶ一瞬前。
じゃぎ、と鈍い音と共に、掴んでいた筈の腕が軽くなった。辺りに銀の光を閃かせる髪が散り、何故と思う間もなく――ごん、と脳天に硬いものが叩きつけられ、意識が飛んだ。
×××
ぱらり、とかなり短くなってしまった髪が頬に滑り落ちた時、思わずラヴィリエは声を上げてしまった。
「あら、なんてこと! 寸止めが出来なかったわ!」
呆然とする他の生徒、僅かに眉を顰めたままの教諭、真っ青になった友人に遠巻きにされた少女は、小剣の柄を脳天に叩きつけられて倒れている対戦相手の傍へ慌ててしゃがみ込む。
「どうしましょう、気を失っているわ……先生申し訳ありません、私の反則負けかしら」
「――否。あの状況で良い判断だった。三人抜き達成だ」
ロドルフは冷静な口調のままラヴィリエを労い、倒れたルイの上半身を抱え上げて喝を入れた。幸い、すぐに意識は取り戻せたようだった。
「まあ、ならば私、試験達成一番乗りね! やったわ!」
「やったわ、ではありませんわよ!!」
拳を握って勝鬨をあげたラヴィリエの体が、体当たりするようにぎゅうと抱き締められる。驚いて顔を上げると、普段から青白い顔を更に真っ白にしたグラナートだった。
「まあグラニィ、授業中よ? 見学者が入ってきてはいけないわ」
「今そんな事を言っている場合ではないでしょう! なんてこと、なんてことを……!」
のんびりとした口調のラヴィリエを叱るように声を荒げるが、ばらばらになった彼女の髪を何度も撫でてくる手はとても優しい。心地良いので素直に享受していると、やはり近くに来ていた紫花がずいと一歩前に出た。
「頭狙った上、相手の髪を無理やり掴むたア、随分な事してくれるじゃないカ。北方国の騎士道ってのハ、そんなのもありなのかイ?」
「そんなもの、騎士道である訳がないでしょう! 貴族子女の髪がどれだけ大切か、紳士ならば皆理解している筈ですわ! こんな美しい髪を、自分で……許されることではないわ……!」
普段の笑みを消して細い目を更に吊り上げる紫花と、泣きそうなグラナートに挟まれて、ラヴィリエは――ほんのちょっと困ったように笑ってから、立ち上がって友人達の肩を宥めるように叩く。
「ありがとう、グラニィ、紫花。私の代わりに怒ってくれて」
周りのギャラリーに聞こえないよう小さな声でそれだけ伝え、漸く起き上がった対戦相手に向き直った。確かに貴族の女性の髪は彼女達を飾る手段の一つであり、短く切るのは平民か、出家して神殿に入る者ぐらいしかいない。気まずそうな周りに対し、ルイ辺境伯子息の苛立ちは治まってないようだった。確かにこれが純然たる戦いならば責められはしなかったかもしれないが、模擬戦では反則といえる手を使った上で、負けてしまったのだから当然だろう。それ故に、ラヴィリエは笑顔で、全員に聞こえるように告げた。
「髪はいずれまた伸びるもの、惜しむものではないわ。でも髪を掴まれたのは私の不覚ね。いつも訓練してくれるヤズローはそんなことしないから、油断していたわ。気を付けるべき場所を気付かせてくれてありがとう、また手合せをして貰えると嬉しいわ」
貴方のような非道な真似をする相手に初めて会ったけれど、勉強になったし、訓練なのだから水に流しますよ、という提示だ。自分が挑発と同時に情けをかけられたことに気付いた青年が顔を真っ赤にする。
「き、きさ、貴様――」
「ルイ・ギレム! 今回はお前の負けだ。頭部の傷は危険だ、医務室へ行け」
それをぴしゃりと教諭が止め、他の生徒数人を付き添わせて下がらせた。改めてラヴィリエに向き直り、僅かに目を眇める。
「……監督不行き届きの謝罪は受け取ってくれるか」
「まあ、恐縮ですわ。初の授業を騒がせてしまいましたが、出来れば今後ともご教授頂ければそれで十分です」
「そうか。――お前も今日はもう下がって良い。身支度を整えるのに時間がかかるだろう」
「ありがとうございます、先生。この辺も掃除しなければ――」
「お嬢様、既に完了しております」
気づけば、散った銀の髪を拾い集め終わっていたヤズローが傍に控えていた。あらまぁ、と目を瞬かせてラヴィリエは笑う。
「では、身綺麗にして参りますわ、先生。皆様もお騒がせしてごめんなさいね。グラニィ、紫花、本当にありがとう、また後で」
「……ええ、履修していない授業に乱入した罰は受けます。大変申し訳ございませんでした」
「ゲ、真面目だなもウ。はいはイ、アタシも受けますヨ」
ラヴィリエの笑顔に漸くいつもの調子を取り戻した二人に、軽く手を振って寮へ戻ることにする。当然ヤズローも後に続いた。
歩くごとにさらさらと揺れる銀髪が頬に当たるのをくすぐったがりながら、ラヴィリエは笑顔で従者に訴える。
「中途半端に切ってしまったわ、ヤズロー、切り揃えてくれる?」
「仰せの通りに。どのぐらいの長さに致しましょうか」
「そうね……ああ、そうだわ! お母様が私と同じ年頃には、項が見えるくらいに短く切っていたのですって! この機会にやってみたいわ、だって私、見た目はお母様のお若い頃にそっくりなのでしょう?」
「仰せの通りに。見た目は奥方様に間違いなく似ていらっしゃいますね。中身は旦那様に瓜二つですが」
「あらまあ、褒めているのヤズロー?」
「御想像にお任せ致しますので、お好きなように」
貴方はお父様が大好きだものね、とくすくす笑って銀の髪を揺らす少女は、自ら髪を切り落としたことに対する負い目などは全く無さそうだったので、ヤズローは小さく安堵の息を噛み殺した。
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