◆3-2

「全くもう! 腹立たしいですわね! あのような羽より軽い文句しか出せない方の秋波など願い下げですわよ!」

 今日のランチプレートである芋と豚肉の煮込みに、スプーンをあくまで丁寧に差し入れながらグラナートが唇を尖らせる。

「ケッケッケ、いいじゃないカ、分類としてはモテてるってことだロ」

 付け合わせのスープをカップを持ち上げて啜るのは無作法だが、何故か様になっている紫花が笑う。

「ううん、確かに自分が嫌っている人に好かれるのはちょっと嫌かもしれないわね。私はそもそも異性の方に好かれたことは無いのだけど」

「お嬢様、不憫な事を仰らないでください」

 皿に乗せていた三つめのパンをぺろりと平らげたラヴィリエが笑顔のまま言うと、お代りのパン籠を抱えて来たヤズローが諌めつつ素早くサーブした。ラヴィリエも遠慮なく四つ目のパンを手に取り、スープに浸してはぱくぱくと食べ始める。

「……お待ちなさい、いくらお代り自由とはいえ何個食べる気ですの?」

「そのちいちゃい腹にどんだけ詰め込むんだイ、腹壊すヨ」

「ふふふ、心配ご無用よ! 何故なら私のお腹はまだ三分目ぐらいなのだから!」

「何分目になろうがお代りはこれで我慢して下さい。厨房のコックに睨まれました」

 さらりと注意されてあらいけない、と言いつつラヴィリエの手は止まらない。決して無作法なわけではなく、急いでいるようにも見えないのに、見る見るうちに皿の上のパンとスープと煮込みが消えていくのだ。他二人が皿を空にするのとほぼ同時に、最後のパンの一かけで皿を綺麗に拭って口に放り込み、終いとした。

「ああ、美味しかった! 幸せだわ」

「お嬢様、ではそろそろ次の授業の御準備を始めましょう」

 満足気に椅子の背に凭れるラヴィリエだったが、ヤズローからそっと声をかけられたので顔を上げ、壁時計を確認して驚く。

「あらまぁ! 次は剣術指南だものね、着替えないといけないわ! グラニィ、紫花、また後でね!」

 貴族の子女としてはちょっとはしたない急ぎ足で、制服の裾を翻しラヴィリエが歩き出すと、眉間に皺を寄せたままのヤズローが後を追った。何せ女性用の更衣室など流石に設えられなかったため、一度寮に戻って着替えないといけないからだ。凸凹主従を見送って、グラナートは僅かに眉を顰めて嘆息する。

「仮にも貴族子女が剣術なんて。家業を考えればさもありなん、なのでしょうけど……」

 ラヴィリエの家が祓魔の家系であると昨日のうちに聞いていたので納得はする――どんな力を使おうと体が資本なのは間違いないからだ――が、眉間に皺を寄せたままグラナートが不満気に囁く。空いた食器を従者が片付けている内に、板書を手持ちの羊皮紙に写しているのだが、それを受けて何となく呟いた紫花の言葉にペン先をぴたりと止める。

「あんなちびっちゃいのニ、男に混じって訓練なんて出来るのかネ?」

 ご尤もなその言葉に、グラナートは顔を上げ、食堂の出口と時計を交互に見ながら、意味もなくこつこつとペン先で紙を小突く。あからさまな集中力の欠如に、紫花は吹き出すのを堪えて告げた。

「ガニー、心配なら様子を見に行っていいんだヨ」

「し、心配なんて、わたくしは別にそんな――」

「そうかイ? ならアタシだけで見学行ってくるサ、次の時間空きだしネ」

「っ、お、お待ちなさいな! わたくしも次の講義は休憩ですので、ええ!」

 にやにや笑いながらひょいと紫花が立ち上がり歩き始めたので、グラナートは慌てて後を追った。



 ×××



 元々、貴族が剣術を習うのは護身術の一環だった。内乱や砂漠の国との戦争が続いていた頃は積極的に行われていたが、平和な時が長く過ぎ、完全に形骸化してしまった。

 それでもなのか、だからこそなのか、剣を習いたいと望む貴族子息は多い。過去の英雄譚に憧れたのか、単純に強い者が好きなのか、ともかく学院において剣術指南は人気の授業だった。教える教諭が嘗てネージ騎士団に属していた元将軍であることも、それに拍車をかけていた。

 教諭であるロドルフ・ヘンリックは、髪も髭も随分と白いものが混じっているが、その体躯はいまだ隆々としており、運動場に並ぶ新入生達に厳しい目を向け、こう宣言した。

「まずは貴殿らの実力を確かめたい。二人づつ前に出て、打ち合うように」

 いきなり言われて、生徒達は戸惑った。一応子供の頃から剣術の基礎を習ってきたものは多いだろうが、まさか最初の授業から実践的なものを行うとは思わなかったのだろう。そんな中、

「はい! 先生!」

 随分と高い声が上がった。生徒達が周りを見渡す中、人ごみの中から小さな手がぴょんぴょんと上がったり下がったりしている。ロドルフは眉を顰め、手の持ち主の名を呼んだ。

「ラヴィリエ・シアン・ドゥ・シャッス。何か質問が?」

 名を呼ばれ、人ごみの中をもそもそと縫って出て来た銀髪の小さな少女に、他の生徒がどよめく。まさか新入生の女子が、この授業を受けるとは思っていなかったからだろう。お遊びで顔を出したのか、従者で代理を立てるつもりか、と聞こえよがしに囁くものもいる。ヤズローは何も言わず、人垣から離れた場所で控えたままだ。

 ラヴィリエは周りの雑音など一切気にせず、笑顔のまま淑女の礼を取ってからはっきりと宣言した。

「はい、私の細腕ではとても訓練用の模造剣を振れないと愚考致しますので、私物の小剣を使うことをお許し頂きたいのです。刃は潰しておりませんので、勿論寸止めを致します」

 そういって堂々と差し出して来た、精々彼女の肘ぐらいしか丈のない剣に、僅かな失笑が漏れた。模造とはいえ普通の剣とかち合えばあっさり折れてしまうぐらいに華奢な武器だ。しかロドルフはそれを片手で受け取ると軽く振り、「失礼」と言ってから鞘を払う。きらりと輝く刀身を確かめて、彼女の手に戻した。

「良く手入れがされている。子女と侮っている者達には、枷を無くす丁度良いものかもしれん。許可しよう」

「ありがとうございます!」

 剣を受け取って満面の笑みを見せる少女に周りはまたどよめく。先生は本気で彼女も訓練の場に上げる気なのか、従者が使うのではないのか、あれは本当に真剣なのかと私語が尽きない。

「静まれ! ……他に質問は? 無ければ、名を呼ばれる順に前に出よ。頭部、顔面、急所への攻撃は禁止とする。勝ち残り戦だ、三人抜いたものから上がって良し」

 広場に描かれた楕円の真ん中にロドルフが立ち、生徒達を順に呼び出す。緊張を孕みつつも、前に出た二人は軽く剣を打合せ、戦いを始めた。模造剣といえど重く、片手で振れる程膂力のある者はあまりいないようだ。

「へエ、やってるやってル。へっぴり腰の奴が多いけド」

「本格的な模擬戦ではありませんか……ラヴィリエは大丈夫なんですの?」

 丁度そこで、紫花とグラナートが到着した。運動場を見下ろせる土手の上に陣取ると、女子のギャラリーがいると気づいた生徒達は色めき立つが、一番先に気付いたのはラヴィリエだ。ぱっと顔を輝かせて、二人に向かって大きく手を振り、従者に素早く諌められている。

「ケッケッケ、叱られてるヨ」

「授業中ですから当然でしょう。余裕はありそうですが……」

 喉を揺らして笑う紫花を、ついに心配が隠せなくなったグラナートが睨んだ時、教師がその名を呼んだ。

「次! ラヴィリエ・シアン・ドゥ・シャッス!」

「はいっ!」

 鋭く呼ばれた声に元気に応えた少女は、腰布を軽く抓んで貴族の礼をする余裕すら見せた。運動着の厚手のズボンは穿いているのだが、子女に使わせる苦肉の策として腰布が加えられている。

 愛用の剣の鞘を払い、従者に預ける。細い小剣は誂えたようにしっくりと、ラヴィリエの手に収まっていた。

「参ります」

「……」

 相手の生徒はかなり戸惑っているようだ。当然だ、自分よりも大分背の低い、華奢な少女に剣を向けるなど貴族の矜持に背く行いだ。教諭に向かって助けを求める視線を送るも、相手は気にした風も無く翳した手を振り下ろす。

「はじめ!」

 声と共に、ラヴィリエは踏み込んだ。戸惑いが消えないままの相手が驚愕に目を見開くのを捉えて、ほんの少し申し訳なくなる。

 しかし腕は、従者から習った通りに動いた。構えの甘い模造剣の腹に自分の剣を当て、流すように下げる。踏鞴を踏む相手の懐に潜り込み、剣先をひたりと相手の喉に当てた。

「そこまで!」

 ロドルフが声を上げ、ラヴィリエに向けて手を挙げた。何が起こったのか解っていない相手は茫然としたまま円から出て行った。

「次、アンドリュー・セグメント!」

「は、はい!」

 次の相手がおっかなびっくり入ってくる。どうやら最初の相手よりも、剣に慣れていない様子だ。それは却ってまぐれ当たりが恐いので、ラヴィリエは冷静に剣を構え直した。口の両端を引き上げて、笑顔を保ったまま。

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