◆2-3

 正門からそこそこ遠い女子寮に辿り着いた頃には、グラナートはぐったりとしていた。伝統的な貴族の子女らしく、自分の足で歩くことに慣れていない上、短くない道中ずっとラヴィリエが喋り通しで、彼女もまた律儀に返事を返してしまうからだ。

「さあ、着いたわ! ここが今日から私達の家よ!」

「よ、漸く着きましたのね……」

 笑ったままのラヴィリエを恨みがましく見ながらも、こほんと咳払いをしてからすっと扇を持ち上げた。

「命じます。中を調べなさい。問題なければ荷物の搬入を。我が侯爵家から寄付した倉庫が裏にある筈です」

 その命令と共に、辺りの空気がひやりとする。ヤズローが異変に気付いて自然とラヴィリエを守る位置に立つが、それと同時にずっと馬車を牽いていた御者が、ぐらりと傾いた。

「――」

 黒づくめの装束が光に溶けるようにほどけ、白い煙のようなものが湧いて出て、ぐずりと崩れた。その他にも、地面から立ち上る幾本もの白煙が、人型を取ってゆらゆらと揺らめき、扉の隙間から中に入っていく。

 流石のラヴィリエもぱちぱちと目を瞬かせていたが、軽く息を吐いたグラナートもはっと視線を泳がせた。

「そ、その、死霊術もやはり、この国ではあまり貴ばれるものでは無いのかしら……?」

「ええまあ、そうね。驚いたけど、御者の方だけでなく、周りから現れたのは浮遊霊なのでしょう? 本来とても曖昧なものの筈なのに、あそこまで明確に操れるものなの?」

「え、ええ、それは勿論。それこそがフルゥスターリ家の秘術ですもの。地上に残された哀れなる残滓に命を与え、果たせば天の河に送る道を与えるのですわ」

 自然と胸を張るグラナートと無邪気にはしゃぐラヴィリエに、成程こうやって従者を自在に出し入れできるのなら部屋はいらないのだな、と密かにヤズローは納得した。やがて内部の確認が終わったのか、まるで白い布を被ったような幽霊達がぞろぞろと出てきて、主の荷物を次々運び込んでいく。壁も扉も素通り出来るのに、荷物を持つことは出来るのは、その時に応じてマナの濃度を濃くしているのだろうとヤズローが思考した、瞬間。

「――、」

 ふと、建物の外に気配を感じた。警戒か、油断なくこちらを見張っているような視線も。ヤズローはほんの僅か、主の娘に目礼をしてから、僅かに膝を曲げて地面を蹴る。

 建物の傍に立つ一番大きな、枝ぶりが屋根までかかっているその樹に、一歩で近づき、二歩で幹を蹴り、飛び上がる。金属の拳を握り締め、気配に向かって――

『うおあ!?』

「――! 失敬!」

 枝に寝っ転がっていた人影が驚いて悲鳴を上げ、滑り落ちそうになったので、すぐに拳を解いて相手の腕を掴む。同時にもう片腕で枝を掴み、落下を堪えた。

『びびった! 何で気づいたんだよ!』

「――貴女は」

 彼女――細身で体の線が解りにくい、たっぷりとした絹の上着を着ていたが、女性に間違いは無かった――黒髪に細い目、僅かに浅黒い肌と北方語ではない言葉は、ヤズローにも覚えがあるものだった。ネージから遠く離れた、海を越えた地に栄えている、藍皇国の人間に間違いない。恐らくは、今年度からの新入女生徒最後の一人、昨日のうちに部屋に入っていた相手だろう。

「ヤズロー! どなたかいらっしゃったの?」

 安全だと判断したのか、樹下にラヴィリエがグラナートを伴って近づいてきていた。改めて、相手の腕を解放し頭を下げる。

「失礼致しました。申し訳ありませんが、お嬢様がご挨拶をされたいようですので、降りて頂けますか?」

 恐らく自分の言葉は通じているだろうと判断して声をかける。相手は少し迷ったようだが別に抵抗したいわけではないらしく、軽く肩を竦めて自分から飛び降りた。

「「あっ!」」

 思わずラヴィリエとグラナートが声をあげてしまうぐらい枝の高さはあったが、当の彼女は慌てることなく、腰に巻いていた薄布を解いて広げ――

風竜様オーフエレ、風竜様、息を一吹き、空へ』

 不意にびゅうと風が舞い上がり、それに支えられるように広げた布で体を受け止めると、上着の裾をひらりと回して無事に着地した。唐突な突風で前髪をかなり乱されたラヴィリエは目を輝かせて駆け寄る。

『こんにちは! ごきげん、いかが?』

 そして発せられたかなりたどたどしい皇国語に、黒髪の少女は驚いたように細い目を見開き、僅かに瞬かせた。

「……吃驚したヨ、まさかお国の言葉を喋れる奴がいたなんテ」

 発せられた北方語も独特な発音だったが、通じないことは無かった。昔よりも貿易による二国間内の移動は増えたし、この学院でも南方語の講義はあるが、それでも喋れる人間はこの国にそう多くない。彼女が驚くのも当然だ。ラヴィリエもぱっと顔を輝かせて、笑顔で続けた。

「良かった、通じたのね! 実はこれしかお父様に教わっていなかったから、二の矢は無いし聞き取ることも出来ないのだけれど!」

「お嬢様、堂々と仰らないで下さい」

 自力で枝から飛び降りたヤズローが素早く窘めると、黒髪の少女は我慢が出来ないように噴き出して、淑女らしからぬ声を上げて笑った。

「ケッケッケ! そいつぁ残念。北方語は聞き取れるんだけド、話すのが難しくってサ。アンタが喋れるんなラ、楽かと思ったのにナ」

「……驚きましたが、それだけ母国語では無い言語を話すことが出来るのなら素晴らしいことです。わたくしもネージ語は身に付けましたが、ビェールイ語と通じる部分は多いですし」

 あまり品の無い喋り方が気に食わなかったのかグラナートは眉を顰めて口元を覆っているが、それでも賛辞を発した。ラヴィリエも何度も頷き、また喋りはじめる。

「ええ、本当に凄いわ! 私なんて自国の言葉も下手な部類なのだもの! こちらの国に来て長いのかしら?」

「いいヤ、来たのはつい十日ぐらい前サ。船旅が長かったからネ、その間に詰め込んだんだヨ」

「船旅ですか? 南方の国は遠いとは聞いていますが、どれ程かかるものなのです?」

「アタシが乗ったのはぼろっちい船だったかラ、まあ三十日一巡りはかかったヨ。さっきも言った通リ、やることやってたから暇じゃあなかったけどネ」

「私も一度は乗ってみたいわ! あらいけない、申し遅れたわ。私はラヴィリエ・シアン・ドゥ・シャッス、どうか仲良くしてくださいな。ラヴィと呼んでくれると嬉しいわ」

「こりゃご丁寧ニ。アタシは陶紫花トウ ジーファ、紫花でいいヨ」

「わたくしはグラナート・ゴールヌイ・フルゥスターリですわ。呼び難いのならば、グラニィと呼んでも宜しくてよ」

 グラナートなりに正式な名乗りをしなかったのは、貴族ではない相手にするべきではないという矜持だったのか、北方言語に明るくない相手に難解な言い回しを避けたのかは分からないが、紫花と名乗った細目の娘はちょっと唸って首を捻った。

「ラビー? いヤ、ラ、ブィ? と……ガニー、でいいかイ?」

「グ・ラ・ニィ! ですわよ!」

「難しいんだヨ、勘弁しとくレ」

「構わないわ、貴女が私を呼んでいると解ればいいのよ。仲良くしてくれると嬉しいわ!」

 からかいも入っているかもしれないが、紫花と名乗った少女は本当に発音は苦手らしい。流石に名前を誤られるのは我慢ならないのかグラナートが声を荒げるが、ラヴィリエは気にせずにこにこ笑っている。

 とりあえず、妙な力を使ったことは間違いないが、主の娘に敵意があるわけではないと判断してヤズローは漸く警戒を解いた。ひとつ息を吐き、改めて盛り上がっているのか喧嘩しているのか解らない三人に声をかける。

「お嬢様、皆々様。よろしければ中でお茶をご用意致しますが」

 二人が遠慮する前に、「名案よ流石ヤズロー! 褒めてあげるわ!」と主の娘が大はしゃぎしたので、いつも通り「恐縮です」と返した。



 ×××



「ケッケッケッケッケ! そりゃア屍人遣いが現れたラ、アタシだって警戒するサ!」

「無礼な……そしてはしたなく笑い過ぎですわよ! 怪鳥のような声で笑うのはお止めなさいな!」

 何やら言い合いながら、寮の階段を下りて紫花とグラナートが戻ってきて、ラヴィリエはぱっと顔を上げた。玄関ホールに据えられたテーブルには、ヤズローが支度をした茶と固焼きクッキーが既に設えられている。

 ロビーに降りた二人とも、制服を纏っていた。自分だけ着ているのは寂しいからとラヴィリエが強請ったのだ。

 デザインはラヴィリエと同じく、シンプルなラインのスカートはすらりと背の高いふたりにも良く似合っていた。ラヴィリエはご機嫌で、自分の皿のクッキーを絶え間なく齧りながら満足げに微笑んでいる。

「うふふ、これで三人お揃いね! やっぱり素敵な制服だわ!」 

「お気に召したようで良かったヨ。生憎アタシは庶民だからネ、お淑やかに笑うなんて出来ないのサ」

「嘘を仰い、この学院に通える以上、曲がりなりにも貴族位は持っている筈でしょう」

「アー。一応ウチは息吹使いだからそのおかげかナ? けド、家がそうだっていうだけデ、アタシの息吹なんか大したことないしネ」

 息吹使い、とは耳慣れない言葉だが、自然、すなわち世界を司る原初の七竜に働きかけてその力を振るう者を指す。北方のネージやビェールィでは魔女ウィッカと呼ばれる者達で、司祭と並んで古きものとされてしまっているが、藍皇国をはじめとする南方では生活の一部となるほど重用されており、素質を持つ者は様々な職で辣腕を振るっているらしい。

「まぁ! 私知っているわ、南方における魔女術のことなのでしょう? 私の乳母も凄い魔女なのよ、紫花はどんな術が使えるの!?」

 自分の皿のクッキーを全て飲み下してから、ぱっと食いつくラヴィリエに、紫花は皮肉気な笑みのままちょっと眉根を下げて答えた。

「本当大したもんじゃないんだヨ。姉貴と妹が凄くてネ、アタシは出し殻扱いサ。まあそのおかげで留学出来たんだかラ、感謝はしないとナ」

 気負うことなくさらりと流す紫花に、グラナートが少し困った顔をした。貴族として家と血を重んじる彼女にとって、家と自分は関係ないという言い回しが理解しづらかったらしい。こほんと一つ咳払いをして、改めて言い募る。

「それでも、この学院に通う以上品位は持つべきでしょう。南方の伝統的な装束かもしれませんが、そのように脚を晒すのははしたないですわよ」

「エ、これ駄目なのかイ?」

 言葉の通り、紫花は自分のスカートの側面に、かなり深く切れ込みを入れていた。勿論足全体を覆う下穿きは付けているが、輪郭は太腿まで綺麗に出てしまっている。高温多湿の南方では普通の装束なのだろうが、足を隠すのが美徳とされる北方の貴族から見たらかなり際どい姿になってしまう。

「確かに、ちょっと大胆ね。動き易そうで憧れるけど」

「あリャ、失敗したかナ。寒いとは思ったんだけド」

「制服の改造は禁じられていると学則に記載されていたではありませんの! 今すぐ縫い合わせなさいな!」

「エー、やだヨ面倒臭イ。真面目過ぎちゃア息が詰まっちまうヨ、そっちこそ逆に長くし過ぎてないかイ?」

 紫花の口調はからかい交じりだが、実際グラナートの制服の裾丈は足首が僅かに見えるだけだ。基準は足首より上で膝よりも下と決められている。確かに伝統的な淑女としてはやや短い部類に入るが、これは長すぎる。彼女も自覚はあるらしく僅かに目を逸らした。

「そ、そのようなことは、な、無くもないですけど、足首を晒すなんてそんな、破廉恥な……!」

「あらまぁ、グラニィも学則違反ではないの? それならお相子ということでお互い目を逸らせばいいわ、厳罰だけでは息が詰まってしまうもの!」

 二人のやり合いに耐え切れず、くすくす笑ってしまったラヴィリエに、二人共やや毒気を抜かれ、互いに切っ先を降ろしたようだった。

「ケッケッケ、一本取られたネ」

「……不覚ですわ。ええ、わたくしの不実を認めます。学院にも改めて詫び状を出しましょう」

「そういうとこだヨ」

「私は貴女の真面目な所、素敵だと思うわよ!」

「ああ、もう! お世辞は結構ですわ!」

 何だかんだとやり合いつつも、三人ともテーブルを囲んでクッキーに舌鼓を打つ頃には、揉めたことも忘れ、明日の入学式と授業についての話で盛り上がり始めた。

 姦しい中無言で茶のお代りを入れつつ、主の娘の学園生活が賑やかに始まるであろうことに、ヤズローは密かに安堵していた。

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