◆2-2

 主従揃って必要書類を事務局へ提出したり、食堂のメニューを真剣に吟味したり、念願の図書室を見学している内に時間は過ぎた。

 色々周って正門付近までラヴィリエとヤズローが戻ってくると、何やら騒がしい。自然と従者が主の娘を庇う位置に立ちながら近づくと、どうやらかなり大きな馬車が敷地内に入ってきたらしく、それを囲んで人垣が出来ている。

 馬車の色は黒一色、僅かな彩りはそこかしこに飾られた銀の装飾。型はかなり古く、ネージ国ではもう見られなくなったものだが、きちんと手入れをされた上質な馬車であるとは遠目にも解った。

 しかし何より人々の目を引いていたのは、その馬車を牽く馬だ。黒づくめの装束に身を包んだ御者の手綱に繋がれているのは、黒毛の巨体を持つ馬――しかしその頭部はまるで首を切り落とされたかのように何も無く、傷口と四本の蹄から蒼い炎が煙も無くめらめらと立ち昇っていた。目も鼻も無い筈なのに、馬達は堂々と足を進め、周りの人間を威嚇するように何度も首を振っている。

 散った蒼い火の粉に皆悲鳴を上げ、尻餅をついてしまう者まで出る中、ラヴィリエとヤズローは寧ろ興味深そうにその不気味な馬車を眺めていた。

「あらまあ! 首の無い馬なんて初めて見るわ。お母様が寝物語に語って下さった、死女神の馬車牽く馬ではないかしら!」

「流石にそれは無いでしょうが、魔の類であることは間違いなさそうです。祝詞を刻んだ手綱で御しているようですが、念の為近づきませんよう」

「良く見ただけで解ったわねヤズロー! 褒めてあげるわ!」

「恐縮です」

 暢気に主従が喋っている内、異変を聞き届けたのだろう教員が学院の馬番やウィルトンと一緒に走ってきた。それを迎えと取ったのか、黒い馬車の扉が誰に開けられることもなくゆっくりと開く。

 黒尽くめの従者――深く帽子を被り、襟を立てているので顔があまり見えない――が扉の傍に控え、頭を下げたまま恭しく手を差し伸べる。礼に乗っ取った作法に応えるかのように、馬車の中から白い手袋に包まれた細い手が伸びた。こつりとヒールの高い靴が、いつの間にか据えられた昇降段を叩く。

 降りて来たのは、美しさと不気味さが同居した、幽霊のような令嬢だった。背は高く、色褪せた麦色の髪を乾燥花で飾って結い上げ、外で歩くにはかなり豪華な濃い葡萄酒色のドレスを纏っている。首や耳を飾る装飾品は磨き上げられた銀と黒曜石だ。その仕草も動きも嫋やかで、まさに貴族の淑女と誰もが認める作法だった。

 そんな彼女は、馬車を囲まれたことに不満があるらしく、眉を顰めた顔を繊細なあしらいの扇で隠しながら、堂々と声を張った。

「出迎えに感謝を。しかし、わたくしの馬車を止めるだけの理由がおありで? 確かにわたくしは本日よりかの学び舎の生徒となりますが、同時にフルゥスターリ侯爵家の名代としてこちらに訪れております。何か不備があると言うのなら、急ぎ仰いなさいな」

 言葉遣いは丁寧だが言っていることは容赦がない。他人に命令をし慣れている、まさに高位貴族の淑女なのだろう。ウィルトンもお怒りは御尤も、という体でそれでも何とか言葉を絞り出している。

「も、勿論存じております。しかし、フルゥスターリ侯爵令嬢、この学院は尊き血の子息子女様方をお預かりする為、万全の備えをしております。故に、そのような魔獣を敷地内に入れることは――」

「失敬な。我が家に仕えることを誉とする馬達が、他者に危害を加えるとでも?」

「で、ですが万が一ということが」

 炎を吐く馬などネージでは見たことが無いのが当たり前だが、彼女にとってはごく普通の愛馬なのだろう。怯えながら言い募る馬番を、少女は青褪めた瞳でぎろりと睨みつけ、畳んだ扇を突きつけて声を上げた。

「不届きな馬番もいたものですね。蒼炎の蹄に踏まれたくなければ、すぐに厩舎へ案内なさい!」

 令嬢の声と同時に、首なし馬達が答えるように炎を纏った蹄を踏み鳴らしたので、馬番は悲鳴を上げてしまった。教員と黒づくめの従者が抑えるように間に入り、宥めようと尽力しているが、家の名前を侮辱されたと思ったのだろう令嬢の怒りは収まりそうにない。周りの生徒も彼女の剣幕と身分に臆しているようだ。

 その人ごみの中を、ラヴィリエは一歩前に出た。躊躇うことなく前に進む横にヤズローが付き、人避けをしながら主の娘に囁く。

「フルゥスターリ家は、隣国ビェールイの侯爵家であり、古くから伝わる死霊術師の家系です。かの国はこちらよりも寒く、青褪めた炎を纏う魔獣が良く出没するそうです。それを狩り、使役する祓魔の家としてはかの国一の腕前だと旦那様からお伺いしたことがございます」

「まあ、凄いわね! 私、その辺の知識がまだまだ未熟だもの、きっとお話すれば凄く勉強になるわ!」

 ラヴィリエはそう言ってにっこり笑ったまま、未だ揉めている令嬢と教師の間に足を止めることなく突っ込んだ。

「御機嫌よう、皆様方! 一時で宜しいから、私のお話を聞いてくださる?」

 まるで舞台女優のように、くるりと回って制服のスカートを翻す少女に、その場にいる全員が虚を突かれた瞬間、ラヴィリエは威嚇するように首を伸ばして来た蒼炎の馬に向かい躊躇わず手を伸ばし、

「ピペル、上げなさい!」

 咄嗟に飛んできた侯爵令嬢からの命に馬が従い、すいと首を擡げて手を躱した。お陰で青褪めた炎はラヴィリエの肌を焦がすことなく、令嬢の矛先は彼女へと向かった。

「いきなり、何と無礼な! 一体何用ですか、貴女もわたくしの愛馬に踏まれたいとでも!?」

 眦を吊り上げる令嬢に対し、ラヴィリエは全く怯まずにこにこと笑ったまま、きっぱりと言い切る。

「あら、貴女のお馬が他者に危害を加えることなど、有り得ないのでしょう? でも確かに、急に近づいたからお馬の方が吃驚してしまったかもしれないわ、ごめんなさいね」

 詭弁というには随分と明るく言われ、ぐ、と令嬢が詰まっている内に、ラヴィリエはまるでそれこそ舞台上のように、制服の裾を抓んでぺこりと首なし馬に対してお辞儀をしてみせた。馬の方は、気にするなと言いたいのか怒りを堪えているのかは知らないが、炎を天に向けて何度も吐いて応えているように見える。それを受けて、くるりと令嬢に向き直った。

「フルゥスターリ侯爵令嬢、先生達も私も、決して貴女の愛馬を馬鹿にしたわけではないの。ネージ国にはこんなお馬がいないから、皆吃驚してしまっただけなのよ」

「そ――そう、なのですか?」

 そこで初めて、令嬢の剣幕が削がれ、戸惑ったような声を漏らした。どうやら彼女は本当に、自分の馬がただ存在するだけで、周りに驚き怯えられていることに気付いていなかったらしい。

「知らないものには、誰でも怯えてしまうものだわ。何なのか解らないっていうのは、とても怖いことだもの。だから私達は皆、学院に通って知らないものを減らすのだし」

 子供のような笑顔でラヴィリエは笑い、戸惑って立ち竦んだままの令嬢との間を詰めて、その青白い手をぎゅっと握った。驚きに肩を震わせる背の高い令嬢の顔を覗き込み、満面の笑みで告げた。

「だからお願い、私の過ごす日々がもっと楽しくなるように、貴女の怒りをほんの僅か宥めてほしいの! その代わり、貴女の過ごす日々がとても楽しくなるように、私は全力を尽くすわ!」

「少々回りくどいのでご説明を加えますと、つまりはお嬢様の友達になって頂きたいと申し上げております」

「端的すぎるわ、ヤズロー。折角この学園に来て初めてのお友達なのだから、もっと感動的にしたかったのに!」

「お相手にご迷惑でしょう」

 むう、と唇を尖らせる主を無表情のまま従者が往なしている内、漸く立ち直ったらしい令嬢がラヴィリエの手を振り解いた。

「っ、……気が削げましたわ。わたくしも、意固地になっていたことをお詫び致します。教諭、他の方々も、お騒がせをして申し訳ございません。……馬車は荷物を運び終えたら、家に帰しますので暫しの御辛抱を」

「い、いやいや、却って申し訳なく」

 ぺこぺこと慌てて頭を下げる教員たちに、優雅にドレスを翻して綺麗な礼をしてから、僅かに色づいた頬をまた繊細な作りの扇で隠し、改めてラヴィリエに向かい合った。

「失礼、名乗ってもおりませんでしたわね。わたくしはグラナート・ゴールヌイ・フルゥスターリと申します。家は侯爵位を戴いておりますわ。……貴女が望むのでしたら、ええ、友誼を結んでも構わなくてよ」

 どうにも素直では無い言い口だったが、ラヴィリエは全く気にせず、寧ろぱあっと顔を輝かせた。

「まぁ、まぁ、嬉しいわ! 私はラヴィリエ・シアン・ドゥ・シャッス、気軽にラヴィと呼んで! 貴女のことも、グラニィと呼んでいいかしら!?」

「っ慣れ慣れしさが激し過ぎませんこと!? ちょっと――離しなさいな!」

「まず女子寮に案内するわね! 残念ながらもう部屋は二つ埋まっているから選ぶのは二者択一なのよ! 私のお勧めは、廊下奥の方の部屋よ、日当たりがとってもいいの!」

 抵抗も意に介さずぐいぐいグラナートを引っ張っていくラヴィリエを周りが呆然と見送る中、ヤズローはフルゥスターリの御者とちょっとお辞儀を交わして、二人の後を追った。

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