閑話:高飛車な娘の昔話

 びゅうびゅうと激しい風の音が、窓硝子を鳴らす。

 一年の半分以上が雪と氷に閉ざされるビェールィでは、珍しくない光景だった。風が吹けば雪が舞い上がり、視界を塞いで体温を奪う。故に少しでも風が強くなれば、皆屋敷に閉じこもって暖炉の前から動かない。

 しかし、風の音がよく聞こえる屋敷の外れ、階段の踊り場に座っている少女には、温かい部屋に戻れない理由があった。

 綺麗に仕立てた濃い色のドレスの裾をぎゅっと握り、涙を零すのを必死に堪えている。冷えた空気がゆらゆらと揺らぎ、人の形を成すか成さないかぐらいに気配の薄いものが、彼女を宥めるように寄り添い、消えていく。

 フルゥスターリ家は、ビェールィに伝わる古い死霊術師の家系だ。他国では邪神に祈り他者に仇を成す犯罪者とも取られかねないが、この国では昔から王家の次に崇められる家だ。

 何故なら、ビェールィの冬は長い。自然は厳しく、短い春から秋で冬の備えを行わなければ、飢えや寒さで死ぬのは当たり前。つまり、死者すらかの国にとっては労働力として使わなければならなかったのだ。

 フルゥスターリ家は古くより死女神ラヴィラへ祈り、死者――正確には死した後に残された肉体や意識――を保ち、使役する術を編み出した。何故なら死した人間の魂は皆、天に流れる忘却の川を渡り新たな命として生まれ直す。迂闊に魂を地上に縛り付け続ければ、それは魔に侵されて化け物と化す。

 グラナートも当然、幼い頃からそう教えられてきた。死霊術がこの家にとって、国にとって、畏敬の念を込めて崇められることも、それ故に間違ってはいけないことも解っている。それでも、それでも。

「……っ」

 つい先日、病を得て召された乳母の名を、寂しさからまた呼びそうになって、ぎゅっと唇を噛む。死霊術を修めた彼女がそうしてしまえば、死者の魂は天に昇れず縛られてしまう。故に父に怒られ、反省を込めて今ここにいる。

 年齢の割には聞き分けの良すぎる彼女は、そうして己を戒めている。両親も兄も、決してただ厳しく躾けているだけではない。誤れば何よりもグラナートが危険に晒されるからこそ、許されないことを戒めるのだ。

 それでも、目頭が熱くなって雫を零すことを止めることが出来ない。幼い頃から、貴族子女として家族と適切な距離を保ち、同じ年頃の子供はほとんど周りにいなかった彼女にとって、乳母は無条件に自分を愛してくれる数少ない存在だった。未練と、悲しさと、腹立たしさと、情けなさで、頭も心臓もいっぱいになり、ぎゅうと膝を抱えて蹲った時。

 かしゃん、かしゃん、と鎧ずれの音がして、はっと顔を上げる。薄暗い廊下をゆっくりと歩いてきた大きな影が、階段の下に見えた。

 僅かな明かりに浮かび上がるのは、真っ黒な鎧に身を包んだ大柄な騎士の姿。ぼろぼろに穴の開いた血色の外套を羽織り、全身を金属鎧で覆ったその肩の上には――首が無かった。他は全て人としての形を保っているのに、ただ、首だけが無い。鎧よりも黒くぽっかりと開いた穴から、めらめらと蒼褪めた炎が漏れ光っている。

「……ウーゴリ」

 ぽつ、と名を呼ぶと、首無し騎士は手甲に包まれた手を胸元に当て、腰を折って見せた。

 グラナートの父が、彼女が生まれるよりも前に秘術で編み出したこの黒騎士は、嘗てこの家に仕えていた戦士達百人の遺志を、黒曜石を磨き上げた鎧の中に込めて作り上げたらしい。その力は凄まじく、新しき楔として父から名を与えられた。何も知らぬ者が見たら恐ろしさに腰を抜かしてしまうだろうその姿も、グラナートにとっては昔から自分を見守ってくれる相手というだけだ。ほんの僅か、甘えたくなる己を叱咤して、ぎゅっと息を飲む。

「……おとうさまに、いわれてきましたの?」

 また、肯定するように首無し騎士が腰を曲げる。何せ頭が無いので、喋ることも頷くことも出来ない。父の命で連れ戻しに来た、という意味だろう。そろそろ駄々を捏ねず、戻り改めて謝罪しなければならない。自分は誇り高き、フルゥスターリの死霊術師になるのだから。

「わかりました、すぐまいります。ウーゴリ、ともをなさい」

 すくりと立ち上がり、幼い声と裏腹にはっきり告げると、騎士は恭しく腰を折ってから、無造作に両手を伸ばした。

「え? きゃっ!」

 驚く間もなく、小さなグラナートの体は軽々と彼の肩に抱えあげられる。

「ウーゴリ! わたくしはもう10さいなのですよ、ひとりであるけますわ!」

 慌てて訴えても、黒い騎士は止まらない。ゆっくりと廊下を進む足取りに迷いはなく、恐らく父達がいるであろう暖炉のある広間へ真っすぐ――ではなく、ぐるりと回っていかなければならない東棟の廊下へと進んだ。

「ど、どこにいきますの? はやく、もどらないと」

 冷たい鎧に触れて訴えるが、彼女の腰をしっかりと支える手甲は全く揺るがない。足を止めることもないが、戻ることもない。まるで、少しでも時間稼ぎをするように。

「……ありがとう、ウーゴリ」

 気のせいかもしれない。それでも、熱を持った瞼がもう少し冷えるまで、この寒い廊下を歩いた方がいいかもしれない。そう思って、小さく小さく、礼を言うと、まるで答えるように冷たく固い指が、殊更優しくグラナートの小さな手の甲を撫ぜた。小さな心臓がきゅうと跳ね、その手にぎゅっとしがみつく。

 きっと他人には笑われてしまうぐらい幼い思いだろうけれど、優しき首無し騎士に対する、紛れもないグラナートの初恋だった。

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