◆1-2

 山の斜面を切り開いて広がる学院の敷地には、教室棟と教授の研究棟に鐘を鳴らす時計塔――数十年前に古いものが放棄され新しく建てられた――が併設され、図書館と食堂、運動場を挟んで生徒と教員の寮がある。余程金持ちの高位貴族でなければ、皆家賃無料の寮に入るのだ。少なくとも敷地内で暮らせれば、衣食住に迷うことはない。

「あらまあ、どの建物も本当に大きいわね! 図書館の場所も気になるけれど、食堂はどこにあるのかしら?」

「道中、三回は間食をしていらっしゃったのにまだ空腹ですか」

 小さな体と貴族の子女に似合わぬ大股でずんずん進みながら、ぴしゃりと言い捨てた従者を笑ってラヴィリエは振り向く。

「流石にもうおやつを食べるつもりはないわ、夕食まで我慢するわよ! これからの生活にとって一番大切な場所なのだから、確認しておくのは大事じゃない? さて、女子寮への道はどちらに曲がればいいかしら、ヤズロー?」

「左へ真っ直ぐに進んでください。見取り図は全て頭に入っております」

 軽く胸に手を当てて慇懃に答える従者へ満足げに微笑み、ラヴィリエは更に足を進める。

 学院を囲む森から僅かに覗く旧時計塔の頭を見ながら、斜面に続く並木道を下っていくと、貴族の屋敷としては少し小さめな建物が鎮座していた。真新しいその建物に、ラヴィリエはすぐさま目を輝かせる。

「あれが女子寮よね、ヤズロー! きっと間違いないわ! 素敵じゃない!」

「お嬢様、走らないで下さい」

 淑女の嗜みも忘れてすったかと走り出すラヴィリエをヤズローが諫めながら後を追う。

 それに気づいたからなのか、丁度ラヴィリエが辿り着くぐらいに玄関の両開きの扉が開き、中から裾の長い装束を付けた青年が慌てて飛び出してきた。猫背でかなり分厚い眼鏡をかけており、緊張した面持ちでラヴィリエに何度も頭を下げてくる。

「お、お待ちしておりました、御令嬢。ええと、失礼ながらお名前をお伺いしても?」

「まあ、これはご丁寧に。わたくし、この度シャラトの門をくぐることを許されました、ラヴィリエ・シアン・ドゥ・シャッスと申します。父は男爵位を戴いておりますわ。こちらはわたくしの従者でヤズローと申します」

 ワンピースの裾を抓んで、綺麗に頭を下げるラヴィリエはすぐさま口調を余所行きに変えた。普段は大分簡略化して喋っているが、やろうとすれば貴族令嬢としての会話は出来るのである、普段はやらないだけで。ヤズローもマナー通り、紹介に対しお辞儀だけを返す。本来、貴人の前で許しなく口を開くことも従者としては許されていないのだ、普段は気にしないだけで。

「あ、ありがとうございます。ラヴィリエ・シアン・ドゥ・シャッス様、確認いたしました」

 手に持った書類を留めた板と彼女の顔を何度も見比べながら、青年はまたぺこぺこと礼をした。貴族にしては随分と腰が低いが、それも無理からぬことだった。

「ぼ、僕、いいえ私は、学院に勤めております秩序神タムリィの神官で、神学の講師もしております、ウィルトンと申します。既に出家しておりますので、貴族位はありません」

 彼が来ている白く裾の長い装束は、伝統的な神官の装いだ。古くから信仰されている八柱神の神官は、皆白い装束と仕える神の印を首から下げる。秩序神の印は三又になった白水晶で、これに祈りを捧げて神の奇跡を齎す。最も、この国では昨今、宗教儀式の形骸化が進んだ上、もっと便利な道具を様々作りだす魔操師の台頭によって、特に新興貴族の中には信仰を軽んじるものも多いが。

「まあ、神官様でいらっしゃるのね!? もしかしてこのお屋敷は貴方のお宅だったのかしら?」

 しかしラヴィリエは好奇心に目を輝かせ、僅かに被っていた猫を捨てて遠慮なくウィルトンに顔を近づけた。女性慣れをあまりしていないのか、神官は生白い顔をぱっと赤らめて慌てて仰け反る。

「い、い、い、いえ! ぼ、ぼくはこ、この寮の警備と管理を担当しております!! も、勿論通常の生活に於いては許可が無い限り、寮内部に入ることはございませんが、初回ということで内装のご説明をさ、させていただきます!」

 どもりながらもどうにか彼の役目らしい文言を絞り出したところで、ヤズローは遠慮なくぐいとラヴィリエの襟首を引っ張る。彼女も抵抗はせず大人しく下がるが、微笑みを消すことは無かった。

「ご丁寧にありがとうございます。では早速中に入りましょう! 早く見てみたいわ!」

 上機嫌な少女はまた駆けだしそうになったので、ヤズローは手指の力を緩めることなく、慌てて促してくる神官に従って寮という名の建物へ入った。



 ×××



 寮の中は、極々普通の貴族の家屋と造りはほぼ同じだった。平民なら広さに驚くが、貴族ならば狭いと眉を顰めるぐらいの大きさだ。

 玄関部分に大きく広がるホールがあり、大きく開いた窓の傍に休憩用のテーブルと椅子が備え付けられている。真ん中に大きな階段が二階へ続き、それを囲むように廊下と部屋の扉、そして冬用の暖炉が並んでいた。

「こ、こちらが一階になります。階段を向いて左側が食堂と炊事場、右側に風呂と御不浄があります。生徒様および、従者様のご利用は自由ですが、ご利用時間などは生徒様ごとにご確認ください」

「まあ、まあ、まあ!」

 貧乏といえど、曲がりなりにも貴族の娘としては珍しい家の作りでもないのだが、ラヴィリエは大はしゃぎで一階のドアを片っ端から開けていく。

「げ、元気なご令嬢でいらっしゃいますね……」

「御無礼申し訳ございません」

「い、い、いえ! か、確認をさせていただきたいのですが、シャッス男爵令嬢の従者様は、お一人でお間違えありませんか?」

 無表情で見下ろしてくるヤズローに怯えたように顔を竦ませてはいるが、それでも問うてきたウィルトンに頷く。

「間違いありません。何か問題がありましたか?」

「いえいえ、とんでも無い! ならば是非、一階の浴室の隣にある、使用人室をお使いください。二段ベッドなので少々狭いかもしれませんが」

「――他のご令嬢方の従者はいらっしゃらないと?」

 ヤズローは僅かに目を眇めた。今回学院へ入学した女子生徒は、ラヴィリエを含めて三名であると事前に聞き及んでいた。そして貴族の子息が従者を学院内に連れてくることは学則で認められている。子女ならばもっと必要だろう、何せ学院内には教員含めても女性はほぼいない。そんな場所に大切な娘を送るのだから、せめて周りは女性の従者を多数つけてもおかしくない筈なのだが。

「はい、もう既にお一方が寮入りされていらっしゃるんですが、従者様はおられないと。もうお一方は明日来られる予定ですが、こちらも従者様の部屋等は必要ないと事前に申し付かっております」

「あら、じゃあお一人は上にいらっしゃるのかしら? お部屋は二階で良いのよね?」

 たったかた、と軽やかにラヴィリエが駆け寄ってきて笑顔でウィルトンに問いかけた。どうやら一階の部屋を全て確認して満足したらしい。大分落ち着いていた神官はびっと背筋を伸ばしたまま額に汗を浮かばせ始めた。どうやらただの小心というより、本当に女性に慣れていないらしい。何故そんな彼が女子寮の管理人に選ばれたのかとヤズローは考えるが、すぐに答えが出た。恐らく、一番安全だったのだろう、色々な意味で。

「は、は、はい! に、二階をご案内いたします!」

 上ずる声に案内され、一行は階段を上った。大きな廊下が一本続いて行き止まりになり、左右の壁には何の変哲もない扉が廊下に向かい合って二つずつ。昇ってすぐ左手の扉を指してウィルトンは囁いた。

「こちらのお部屋に、既にお一人いらっしゃいます。他の三つは空き部屋なので、どうぞ自由にお選びください」

「あらまぁ、早い者勝ちなのね! こうしてはいられないわ!」

 ぱっと目を輝かせてまた片っ端から空き部屋のドアを開けていくラヴィリエに続きながら、ヤズローは静かに閉じたままの一部屋を見遣る。

 ……どんな相手かは知らないが、部屋の中に気配を感じない。ただの令嬢が気配を消すのに長けているとはとても思えないが、単純にウィルトンが見逃して、外出中なだけなのだろうか。

「決めたわ! 私の部屋はここよ! 一番日当たりが良いのだもの!」

「お嬢様、少し声をお抑え下さい」

 右奥の部屋から飛び出してきたラヴィリエを諫める為と背負ったままの荷物を運びこむ為、そちらへと向かう。重い具足が木の床を踏むのだが、殆ど音は立てなかった。

「あらいけない、もし休んでいるのなら邪魔をしてしまうわね。明日になったらお話しできるかしら? ああそうだわ、ウィルトンさん!」

「はっ、はい!」

「貴方のお部屋はどちらにあるの? 下のお部屋をヤズローが使ってしまうのなら、貴方が路頭に迷ってしまうのではなくて?」

「お嬢様、それは職が無くなった時に使う科白です」

 芝居がかった仕草で、顎に手指をあてて首を傾げて見せる少女を胡乱な目でヤズローが睨むと、神官は慌てて両手と首を同時に振った。

「い、い、いえ! 僕は教員寮の方に昔から部屋がありますので! そ、それともう一つ、従者の方にお話が」

「何か?」

 ヤズローが一歩前に出ると、真剣な顔で少し離れて手招きをされるので、一応警戒しつつ近づく。

「そ、その、事前にご説明は届いているかと思うのですが、この寮内では、その」

 ちらちらとラヴィリエの方を見ながら中々言い出さないので、成程と頷いて主の娘へ振り向く。

「お嬢様、一時そちらを向いて耳を塞いでいて下さい」

「ええ、解ったわ」

 全く疑問を差し挟まず、ラヴィリエは自分の両手で耳を塞いでくるりと壁際を向いた。聞き分けが良すぎて逆に心配になるところだが、今は問うまい。どうぞと目線で促すと、覚悟を決めたようにウィルトンが囁いた。

「こ、この寮内にいる限り、男性の方は、誰彼かまわず、ふ、ふ、不能、になる結界を、張っておりますが宜しいでしょうか……」

「はい」

 汗だくでそっと呟くウィルトンに対し、ヤズローは何も気負わず頷く。ここに住まう淑女の安全を考えれば当然だと思うし、寧ろ神官だからこその警備方法なので至極納得していた。人間に法を伝えたとされる秩序神タムリィの神官は、男女の交わりにも厳格であり、そこを縛る奇跡も豊富なのだ。

「問題ありません。寮内だけの話なのでしょう」

「は、は、はい。ご協力いただいて有難いです。学院内には、一度入ると効果が持続する可能性もある、という噂も流しておりますが、そのような事実はございませんので」

「成程、僅かな狼藉も届かぬようにするのですね」

「お、お、仰る通りです」

 貴族子息とはいえ、中身はまだ十五歳前後の青年達だ。今年度初の女生徒に浮き立っているのは違いあるまい。当然、羽目を外そうとするものも出てくる可能性がある――貴族だろうが平民だろうが、「紳士」でないものはいる。最低でも絶対安全な場所がある、という確約は必要だ。本人達にとっても、保護者にとっても。

「ただ、申し上げた通り流石に、学院内すべてに同じような結界を張るのは、僕自身にも難しいですし、大多数の反対がありましたので、普段のご令嬢達の警備については従者の方のご協力が不可欠になります」

 まだ汗は退かないが真剣な眼差しでウィルトンは続けた。彼が己の気概を賭けて、女生徒たちの体と心と名誉を守りたいと思っているのは理解できたので、もう一度ヤズローは頷く。

「心得ております。お気遣いに感謝を」

「いえいえ、そんな……」

 互いに深々と礼をしてから、耳を塞いだままゆらゆら揺れて小声で歌っているラヴィリエの元に戻る。

「お嬢様、もう宜しいですよ」

「あら、大事な話は終わったの?」

「はい、一切問題はありません」

 にこにこ笑うラヴィリエに軽く嘆息し、ヤズローは荷解きを開始することにした。

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