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七月初旬。夏の初め。
中国地方にある、神江市内の中心部を流れる川。
その土手のベンチで、はあ、と一人の女の子が、ため息をついた。
年齢は十六歳。ティーンエイジャーとしてだけでなく女性としても少し高めの身長で、背中に掛かるくらいの黒髪を後ろでまとめており、Tシャツに七分丈のジーンズ、スニーカーという気楽な恰好をしていた。
その高めの背丈と身に着けている服から伸びる長く細い手足とほっそりとした全身のシルエットから、俗にいうモデル体型と呼んでよいスタイルをしている。さらに切れ長の瞳と白い肌がまぶしい綺麗な顔立ちをしており、美少女、とカテゴライズされるタイプの人物だ。
彼女は顔をゆっくりと上げて、一面に広がる青色を見つめる。少し早めの梅雨明けの所為もあり、空は高く雲も無い。午前中だというのに気温は二十五度を越えているので、今の彼女のようなラフな恰好で十分な気候だ。
蝉の声はまだ聞こえないが、もう間もなくだろう。誰もが夏の訪れを予感するような、初夏の気持ちの良い日である。
だというのに、この少女の気分は、優れない。
彼女は自分が座っている横に置いてあった携帯電話を手に取り、画面に触れて操作する。そして、インターネットのあるサイト……神江ファイ・ブレイブス、その公式サイトに接続した。
J・B・C(ジャパン・バスケットボール・クラシック)は、創設してから今年で二十一周年を迎えた、国内最高峰の男子バスケットボールリーグの名前である。
トップの順から、リーグ・S、リーグ・A、リーグ・B……とカテゴリ分けされており、それぞれ二十チーム前後が所属している。その中でも、リーグ・S、そしてリーグ・Aは完全にプロチームのみで構成されており、神江ファイ・ブレイブスは現在、リーグ・Aだ。
ただ。ブレイブスは昨年度、リーグ・Sに所属していた。ブレイブスのホームタウンは中国地方にある二十万ほどの都市であり、地域経済は大都市圏と比べてスモールマーケットと呼ばざるを得ないのだが、そんな街のクラブが日本のトップ・カテゴリに属していることは素晴らしいことだった。ただ、残念ながら昨年は力及ばず、今シーズンはリーグ・Aに降格してしまった。
なれば、今シーズンのブレイブスの目標は当然、一年でのリーグ・S復帰だ。
そのためにも、まず重要になってくるのが、戦力の流出阻止、および的確な補強は必須である。これは誰しもが思うところで、ファンはもちろん、関係者ですら、一体今シーズンにどんな選手、スタッフを連れてくるのかと期待していた。
しかし。このオフシーズン一か月を過ぎてもまだ、ブレイブスは世間に対して大切な情報をリリース出来ていなかった。選手だけでなく、今シーズンチームを指揮することになるヘッドコーチについても、だ。
特に今シーズン、ブレイブスの指揮官選びは、何よりも慎重にならなくてはいけない事柄だ。なにせ昨年度のブレイブスは、リーグ中盤に突如ヘッドコーチが病気により離脱してしまうというアクシデントがあり、それが降格の大きな原因の一つとなっていた。そのため、随分前からチームは動いているはずだったが、選手の選出と共に難航しているというのが専らの噂だった。ヨーロッパで活躍したヘッドコーチにオファーを出したらしいが、それも断れたという眉唾な情報もある。
選手の引き留めに関しても、数人だけしか成功していない。しかも、残ってくれた選手をまとめる指揮官も、未だに決まっていなかった。
今年の神江、既に先行き不安。それが、もっぱらの前評判だ。
そんな情報を目にして、はあ、と彼女はため息をつく。
彼女は、神江ファイ・ブレイブスを『応援』していた。日本のバスケットボール界におけるクラブの熱心なファン『ブースター』とはまた違うが、それでも応援していることに変わりはない。
今シーズンのブレイブスが苦しいことは、良くわかった。
ならば、今シーズンは、これまでと違うやり方でチームを応援しよう。自分は自分のやり方で、この逆風を乗り越えるための力に少しでもなれば……と思っていた矢先に、なぜか『待った』が掛かってしまった。
待ちなさい。なぜ、そういう大事なことを勝手に決めるんだ。自分たちに周囲の大人たちから引き留められてしまった。
(……別に、良いと思うんだけどなあ。確かに顔はテレビやネットに出ちゃうけど、別に変なことするわけじゃないし)
はあ、とため息をつく。二度目だった。
ただ、今日まで長く続いた話し合いの結果、とりあえず今のところはお咎めなし、ということに落ち着いた。しかし、今後何かあれば即やめるようにと、大人たちからはクギを刺されてしまった。
彼女はベンチに座ったまま、まだ空を見上げている。緑の葉の生い茂る枝の隙間から見える青は実に澄んでいる。
良い天気だった。午後からは家の手伝いをする気だったので、今は気分転換の散歩だった。適当に帰宅しようかな、と思っていたときだった。
「モモ、どうしたの」
振り向くと、そこには彼女の母親がいた。肩からトートバッグを提げているので、たぶん買い物帰りだろう。
「どうしたの、こんなところで。何をしてるの」
「ただの散歩だよ。気分転換。うん、もう帰るから」
「そうね。帰って、お昼にしましょう……って、あら、モモ。そういえば今日はメガネしてないわね」
そう言われて、えっ、と彼女は声を上げた。
彼女は最近、メガネをかけ始めた。ただ、度は入っていない伊達だ。事情があってそれをすることに決めたのだが、さっそく掛けるるのを忘れていた。
しかも……よく考えてみると、どこへメガネを置いたのか、覚えがない。
「お母さん。私、昨日の夜に帰ってきたとき、メガネしてたよね」
「え? いや、よく覚えてないわ。練習があったから、そのままつけずに帰ってきたんじゃないの。まあ、アナタには似合ってなかったし、諦めてこれを機にやめなさい」
「みんなそう言うね……あれ、高くはないけど結構お気に入りだったんだけど……」
「あらあらごめんなさい。でも、無いのならどこかに忘れたんじゃないの」
そうかもしれない。可能性があるとしたら、練習スタジオか。それなら、今からでも探しにいこうか。スタジオには鍵がかかっているだろうが、事務所に立ち寄って借りればいい。
「お母さん。私、ちょっと事務所に行ってくる」
「今から? まあいいけど、迷惑にならないよう気をつけなさいね」
「迷惑って、何もしないよ。それじゃあ、行ってくるね」
そういって、彼女は母親の傍を通って歩き出した。確かに暑い日ではあるが、炎天下というほどではない。抜けるような青空の下、彼女はゆっくりと足を進めた。
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