1-3

 試合再開。相手チームのオフェンスからだ。

 そのとき。味方からボールをもらった少年が、おっ、と少し驚きの表情をした。

 そう。彼のマークについたのは、青谷・フェリックス・成真だ。身長一九〇センチで、一か月前に行われたインターハイ王者のエースにして、大会得点王。日本のアンダー世代が誇るスコアラーだ。

 ただ、成真の特徴は、それだけではない。彼は、ディフェンダーとしても秀でた選手だった。

 日本の高校バスケットボール界には、一九〇センチ前後で身体能力が高い選手は、意外と多い。さすがに成真ほどアウトサイド・ショットの確率が高い選手は殆どいないが、ハンドリング技術とアスレチック能力に優れた選手、つまり一対一が強い選手は、世代に限らず、何人だっている。

 しかし。その相手を、成真はことごとく、止めてきた。

 一九〇センチの長身とドライブからダンクも叩き込める身体能力で、相手のドリブルからのワンオンワンを封殺。たとえ抜かれたとしても背後から的確なブロックショットをすることで、一切相手に楽なショットを打たせなかった。

 エースであり、エースキラーであるのが、成真という選手だった。攻防共にゲームを支配出来る彼に、今の日本の高校生で太刀打ち出来る者は、いなかった。

 そんな成真だからこそ、目の前の少年とのマッチアップを望んだ。この少年、俊敏さはかなりのものだ。しかし成真も、彼ほどの身体能力を持った小柄な選手とマッチアップした経験は、ゼロではない。

 一対一なら、止められる。

 間違って抜かれても、後ろから追いかければブロックできるはずだ。成真には、その自信があった。

 成真は、集中する。問題は、他の選手との連携だ。そこの対処を間違えなければ、止められない相手ではない。

 少年が、周囲にサインを出した。今度はファイブ・アウトのセットだが、これも良く知られたセット・オフェンスだ。

 なら、いきなりは攻めてこない。まずは四十五度、ウイングにパスを展開するだろう。その成真の予想通り、少年は一旦パスを出し、そのまま逆サイドのコーナーへ移動。一連の決められた動きだ。

 そして、少年は味方のスクリーンをもらいながら再びトップの位置に戻り、パスを受け取る。成真も当然、これについていく。

 ここだ。成真は直感した。

 このタイミングで、こいつは間違いなく、ピックアンドロールを仕掛けてくる。

 成真の予想通りだった。ぬっ、という気配を背後に感じる。スクリーンだ。二メートルの選手が壁になり、それを利用して成真のディフェンスを剥がしに来る。成真は足を引き、スクリーンに備えた。

 が。

「──はあ!?」

 成真は、思わず叫んだ。

 少年は、いきなりスリーを放った。

 このタイミングで打つのか! 成真は驚きながらも、すぐさま手を伸ばす。

 が、ボールには触れられない。成真は、すぐにリングの方を振り返った。

 放たれたボールは、美しい弧を描く。そのまま見事にリングのど真ん中を射抜き、ネットを巻き上げた。

 今日、二本目のスリーだ。後半開始からわずか三分の間に、もう少年に八得点も取られていた。

(油断したわけじゃない。これは……この小僧は、わかっていても簡単には止められない!)

 成真は、すぐに自チームの選手に近づき、声をかける。相手に合わせるディフェンスではダメだ。こちらから仕掛けなくてはいけない。成真に話しかけられた選手は、なんだよ、と少しいら立ちを交えた声を出した。

「先輩。ピックアンドロールの守り方、変えましょう。アイツが使ってきたときは、ハードショウを仕掛けてください」

「あ? トラップはもう何回もやったけど通じんぞ」

「いや、もうファールになるくらい、ハードに出てほしい。そこから俺がブリッツしますので」

「んじゃ、俺のマークはどうする。二メートルを放っておくのか」

「高さのミスマッチがあるので、アイツも早いパスは出せないはず。先輩がマークに戻る時間はあります。いいですか先輩。このままじゃ、アイツに後半だけで二十点とられます。これくらいやらないと、止まりません」

「あんな小僧相手に、俺たちがダブルチームかよ……」

 くそ、と成真が声をかけた選手は吐き捨てた。その思いは成真もわかる。

 なにせ、大学生と高校生が二人がかりで中学生を止めようとしているのだ。自信はあっても過信はしない成真だって、少々プライドに触る事態だ。

 が。相手は、ただの中学生ではないことも、また現実だ。練習生とはいえ、スペインのプロチームに所属するバスケットボール・プレイヤーが相手だ。

 舐めていたわけじゃない。だが、もう中学生とも思わない。

 こっちも、本気だ。本気で止めて、本気で叩き潰してやる。成真は、そう決意した。

 次の日本側のオフェンスは、二十四秒ギリギリで成真がぺりメーターからのプルアップ・ジャンパーを強引に決めかえし、再びディフェンスになる。

 ボールをもらったあの少年が、ゆっくりとドリブルをしながら合図を送った。マークをする成真も一瞬だけ振り返り、相手チームの選手のポジショニングを確認した。

 また、ペイントエリアに空間をつくる、ファイブアウトだ。ということは、まずはパス、次は動きの中でピックアンドロールという、オーソドックスな攻撃だろう。その予想通り、ハーフラインを越えフロントコートに侵入した少年は、すぐにパスを展開した。

 数分前に見た動きだ。成真は焦らない。そして、少年がまたトップの位置に戻ってきて、パスをもらった。

 来る。ここだ。背後からスクリーナーの気配を感じる。再びピックアンドロールだ。成真は少年から目を離さずディレクション、方向付けをする。

 成真の隣に、二メートルを超える相手選手がポジションをとる。

 来る。成真は集中。同時に、少年が急加速、ドライブを仕掛けた。

 その瞬間だった。成真の隣に立つ相手選手の後ろから、一つの影が飛び出した。成真が声をかけた、あの味方選手だ。

 少年の動きが、わずかに止まった。ここだ。その一瞬を、成真は見逃さない。このまま二人で挟み込めば、この少年は潰せる。

 もらった、と成真は思った。

 が。

(……なにっ!?)

 成真は、またもよ声を上げそうになった。

 止まった少年が、急反転。成真の方に瞬時に向きを変えた瞬間、その成真の真横をドリブルでぶち抜いたのだ。

 確かに成真の横には、少年の味方、スクリーナーである相手選手がいる。が、成真との二人間には、わずかな隙間しかなかった。普通なら、そこは突破できない。

 だが、少年は違う。彼の小柄な体躯と敏捷性なら、その僅かな空間こそが、狙いどころなのだ。

 置き去りにされた成真。ただ、ここでプレイを止めるほど成真は甘くない。すぐに少年を追いかける。この身長の差なら、まだ背後からブロックを狙える。ショットを決められるまで、成真も止まらない。

 しかし。成真はさらに驚愕した。

 少年は、成真をドリブルでかわして距離を少し開けた瞬間、もうシュート体制に入っていた。

 間に合わない! 成真は心の中で叫ぶが、その言葉通りだった。

 少年はフリ-スローラインの角、エルボーの位置からあっさりとジャンプショットをうち、これを楽々と決めていた。

(……ハードショウに対する、ハンドラーのリジェクト。当たり前の対策だし、俺も対応できると思っていた)

 が、それでも成真は止められなかった。

 少年のすさまじい俊敏性と、とっさの判断力。まさに、成真の予想を超える動きを、あの選手は見せつけた。

「──ははっ──」

 ふと、成真の口から、声が漏れた。周りにいた選手も、成真の様子に少し驚く。

 成真は口の端を緩ませて、少年の背中を見ている。

 そう。成真は笑っていた。

(……なんて、野郎だ、なんて選手だ、ああ、なんて試合だ!)

 こんなにも試合が楽しいと思ったことは、本当に久しぶりのことだった。

 胸が、躍る。同時に、魂も燃える。同世代の相手に対する挑戦心など、もう何年も芽生えていない。

 負けたくない。絶対に、コイツだけには。成真は上がる自身の熱を感じながら、再び走り出す。

 日本チームのオフェンス。ここで成真は、すぐに動いた。

 成真は、日本のポイントガードをマークしている少年に、すぐにスクリーンを仕掛けた。同じチームのメンバーもこの動きは予想しておらず目を見開いた。

 ただ、成真の意図は、すぐに理解された。少年にマークされている仲間は、成真のスクリーンを利用して動くと、成真をマークしているディフェンスの方が、そのポイントガードを追いかける。

 つまり、マークの入れ替わり、スイッチが起こる。成真のディフェンスが、あの少年に変わるのだ。ポイントガードはすぐに成真にパスを出すと、少年を跳ばせないよう、身体で抑えつつ成真はボールを受け取る。

 成真と少年。一九〇センチ対一七〇センチという、身長のミスマッチが生まれた。

 この瞬間を、成真は当然、見逃さない。彼はボールを構えて少年を睨みつけると、同じく睨み返す少年に対し、まず軽いジャブステップ。身体の大きさの差もあるので、ディフェンスをする少年は反応。大きく動く。

 間髪を容れず、成真はジャンプ。スリーポイントラインの外から、美しいフォームでショットを放つ。

 一七〇センチほどしかない少年にとって、一九〇センチの成真を不用心に跳ばせてしまうと、もう飛べる術はない。ボールは高い弧を描き、リングのど真ん中を射抜いた。

 そのボールの軌道を追いかけていた少年は、くそ、と吐き捨てた。それを見ても、成真は表情を崩さない。

 やられたら、やり返せばいい。止める術がないなら、打ち合いに勝てばいいだけだ。

 スコアリングを得意とする者同士の、得点の奪い合い。この展開ではもはや試合の勝敗は覆せそうにないが、このシューティング勝負だけは、成真は負けるつもりはない。

 もっとだ、もっと俺を楽しませろ。成真は真剣な表情に戻っていたが、心の中では、なおも笑い続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る