1-2
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試合が始まったあとも、成真は、あまり集中できていなかった。
バスケットボールシューズは、世界的にみると北米やヨーロッパメーカー製が圧倒的なシェアを持っている。そのため、日本国内のメーカーのバッシュを履くのは、基本的には日本人だけだ。
つまり。今、試合が行われている反対側のコートでアップをしている選手は、日本人の可能性が非常に高い。
だが、日本人選手が今日の対戦相手のロスターに入ることは、こちらのスタッフも含めて、誰も聞いていなかった。
選手交代でコートからベンチに戻ってきた成真は、椅子に座るなり、反対側のコートに目を向けた。試合も気になるが、それどころではない。
……視界の向こうでアップを続ける選手。身長はかなり小柄で一七〇センチ程度、左利きであり、成真の目に映る限りでは、基本的な技術は高そうだ。
しかし。成真が一番に引っかかったのは、そこではない。
その小さな、おそらく日本人は、かなり若い見た目だった。
それこそ、成真と同年代、日本の高校生くらいにしか見えない幼さだ。
誰だ、アレは。全く知らない。見たことがない。
小学生の頃から全国大会に出場し、部活動だけでなくプロクラブのユースチームにも所属する成真は、同世代の有望な選手たちとは、何度も顔を合わせている。が、これまで出会ってきた選手の、その誰とも一致しない。あの特徴的な左利きであれば、頭の中に少しは思い至る人物がいてもいいはずだが……やはり、初めて見る選手だった。
ならば、家族の都合で早くから海外で生活することになった、というパターンだろうか。ただ、スペインの二部に所属するとなれば、それでも少しくらいは日本国内のメディアから注目されていてもおかしくないはずだが……などと思っていたとき、ぽん、と成真は肩をたたかれた。
びくり、と背中を震わせ、成真は隣を見る。すると、そこにいた先輩選手が、成真の方を睨んでいた
「おい。気になるのはわかるが、今は試合だろ。向こうは本気でぶつかってきてないけど、集中してないとケガするぞ」
「あ……はい、そうです。すみません」
成真は、素直に謝った。顔を戻し、改めて試合を見る。
対戦相手の選手たちは、こちらが十九歳以下、かつ一週間後に本番の大会を控えていることもあり、そこまでハードなフィジカルコンタクトは仕掛けてこない。しかし、それでも十六歳の成真からすれば体重差も大きく、下手なプレイをすれば怪我の危険は当然ある。
集中するんだ。成真は自分に言い聞かせる。
が、それでもやはり、気になる。
自分たちの後ろで、試合に出場するためにアップしている選手は、一体何者か。
──そうこうしている内に、あっという間に前半が終わってしまった。
十五点差で、成真たち十九歳以下の日本代表は負けていた。相手は八割五分の力しか出していないが、健闘している方だろう。成真も、ここまでスリーポイント二本を含む八得点を上げている。いまいち集中できていないのだが、まずまず、といった成績だ。
ロッカールームには戻らず、その場でハーフタイムのミーティングを始めた日本代表の選手とスタッフたち。前半の修正箇所と戦術的なポイントを改めて再確認し終えたところで、相手クラブのスタッフと話していた日本側のアシスタントコーチが戻ってた。
その場にいた全員が、やっとか、といった様子で身を乗り出した。
そう。アシスタントコーチは、相手クラブから、あの少年の正体を聞いていたのだ。その彼らの様子に、戻ってきたスタッフも「落ち着け、落ち着け」と両手を下にする。
「で、どうだったんですか」
「いや、まったく驚いたよ。相手チームのアシスタントコーチから聞いたけどさ。向こうの子、やっぱり日本人らしい。今は十五歳で、日本だと中学三年生だと」
ざわ、と声が上がり、全員がその、謎の日本人の少年へ目を向けた。
「中学三年……いや、凄いな。その年齢でスペインのクラブのトップチームか。いつ頃からそちらのクラブにいるとか」
「年齢的には、日本でいう小学五年生の時にスペインに来て、そこからこのクラブの育成部門で育ってきたんだと。トップチームに昇格したのはつい最近で、プロではなく練習生として契約したって。つまり、これからユースとトップを行ったり来たりしながら、ベンチ入りを目指す、ってことだ。いや、全く知らなかった。今日こちらに大きなサプライズがある、ってのは事前に聞いていたけど、まさかこんなのだったなんて」
そう言って、ヘッドコーチは自分の額に手を当てた。どうやら、向こうのクラブからは詳細を聞かされていなかったらしい。ただ、二部とはいえ、シーズン前のトップチームが十九歳以下のユースチームと練習試合を組んでくれたのも、その辺りに理由がありそうだ。
「後半から、出てくるんですよね」
成真は、思わず尋ねていた。アシスタントコーチは、コクリと頷く。
「アップは終わったから、後半最初から出すつもりだ、と」
後半開始、直前。確かに少年は、コートに立った。
ざわつく日本ベンチサイド。成真はジャージを脱ぎ、コートの上で、その相手を見る。
(あの身長では、ポイントガードだろう。ならマッチアップの相手は俺じゃない、けど……)
一体、どれほどできる。どれほどのパフォーマンスを見せるのだ。その少年とは違う色のユニフォームを着ている成真だが、恐れよりも期待の方が大きかった。
そして。審判がコートサイドに出た相手チームの選手にボールを渡し、試合が再開される。日本側は、ディフェンスからだ。
相手チームの少年が、コートサイドからのパスを一番に受け取った。
──間違いなく、一番ポジション。ポイントガードだ。成真は納得した。少年は、ドリブルでハーフコートラインを越える。
瞬間、少年が合図を出す。
同時に相手選手が動きだし、少年にオンボールのスクリーンプレイ、ピック・アンド・ロールを仕掛けた。
単純。シンプルすぎる攻撃だ。成真はそう思った。
なにせ十九歳以下とはいえ、日本代表だ。すでにインターハイ、ウインターカップといった全国大会を経験し、大学ではすでに主戦力。基本となるプレイは、当然に身に着けている。簡単に対応できるはずだ。
──と、日本側の誰もが思った。
次の瞬間、はっ? と成真は声を出しそうになった。
少年は、自分のマークマンに、味方のスクリーンが掛かった瞬間、全くためらわずにシュートを打ったのだ。
しかも。驚くべきは、それだけではない。
少年は、床に引かれたスリーポイントラインから、一メートルほども後方から……そう、俗に言うNBAラインからのショットだった。
放たれたボールは、美しい弧を描く。そして、誰の手にも触れることなく、そのままリングのど真ん中を射抜いてしまった。
相手ベンチは、選手全員が立ち上がって盛り上がる。日本代表側のベンチからも、おお、と声が上がった。逆に、後半始まって早々まさかの先制パンチに、コートに立つ成真たちは驚きを隠せなかった。
(まぐれ? いや、そんなわけない。まぐれのスリーしか決められない選手が、この場にいるわけがないんだ!)
成真は、すぐに気を取り直す。今度はこちらのオフェンスだ。
日本代表側のポイントガードは、いきなりシュートを打ったりしない。胸を借りる相手とはいえ、点差としては十五点差、いや先ほどのスリーで十八点差になったので、一つひとつの攻防を丁寧に挑み、点差を縮めなければならない。
冷静に、丁寧に……しかし、そう思っていた矢先だった。
インサイドから戻されたボールを、日本の選手が逆サイドへとスキップ・パスを飛ばす。サッカーでいうところのサイド・チェンジだ。
その先、逆サイドのスリーポイントラインの外、コーナーで待ち構えているのは、成真だ。
アンダー世代が誇るシューターである彼なら、キャッチ・アンド・ショットかつクイック・モーションからスリーポイントを打ち、難なくそれを決められる。
成真は、飛んできたボールを取る。そのまま定評通りの素早いショットを放った。
……はずだった。
だが。成真は、ギョッとした。
なぜならそのボールは、彼の手を離れた瞬間、収まる直前に、あっさりと相手に奪われていたのだ。
しかも。驚くべき点は、それだけではない。
そう。成真の十八番と言えるアウトサイドからのショット。これを、ジャンプ一番で飛びついた日本のパスに飛びついた選手は、あの少年だった。彼はパスが出た瞬間、床を蹴りつけ反転。驚異的なダッシュでコーナーを駆け抜けると、成真がショットを打った直後に、ブロックショットも同然でボールを奪っていた。
成真も、この少年の身体能力が高いことは、予測していた。だが、これは想定を超えていた。ワープするが如くの瞬発力が無ければ成真へのパスには追い付けないし、身長一九〇センチの成真がジャンプして取らなければいけないボールに飛び付ける跳躍力は、踏切なしでも垂直に一メートル近く飛べるだろう。
それに。身体能力だけでなく、相手の攻撃への読みも良い。このディフェンスシチュエーションなら、クローズアウト、つまりカット出来ずともシュートチェックに間に合えば及第点だ。
だが、この少年は、持ち前のタレントでそれ以上の結果を出してしまった。
(……なんて能力だ。こんなヤツが、自分よりも年下、それも同じ日本人としていたのか!)
驚愕する間もなく、攻防が入れ替わっていた。相手チームの速攻で、少年は間髪容れずドリブルで一気にフロントコートまで、疾風のように駆け上がる。
一人、二人、と速さだけで日本の選手たちを置き去りにする。そのままあっさりとアウトナンバーに持ち込むと、今度はさっさと味方選手にパスを出し、その選手にレイアップ・ショットを打たせた。
相手ベンチは、またも盛り上がる。
対して日本側は、この数度の攻防で、誰もがあっけに取られていた。
それから二分後、ようやく日本側のベンチはタイムアウトを取った。
タイムアウトとは、平たく言えば試合中に請求出来る途中休憩のことで、この時は試合の時間が一度止まり、六十秒間の間だけ、コートの選手全員がベンチに戻ることが出来る。回数には制限があり、前半は二回、後半は三回というのが、国際ルールだ。
ベンチに戻って、椅子にドカリと座る日本の選手たち。その中で、くそっ! とポイントガードの選手が吐き捨てた。
「ダメだ。向こうのスクリーナーが抜群に上手いし、あの小僧も判断が適確だ。こっちがスライドするとすぐにスリー狙うし、ヘッジしてもスピードで追いていかれる」
その台詞に、ああ、と隣に座っていたセンターの選手が頷く。
「ハードに仕掛けても、こっちが体を動かしたらそのタイミングでピックにパス出すし、ピックをせずに広がってハンドオフもやってくる。だいぶ厄介だぞ」
「チェイスしてシュート打たせないようにしても、追い付けねえ。まったく、フル代表のデカイ選手と一緒にやると、小さくても足の早いヤツはマジで止められん。身長なんて、スリーポイントラインの外じゃ対して関係ねえ」
彼らの言う通り、リングから離れた場所では、平面的な動きをより要求されるのがバスケットボールだ。つまり、サイズよりもアジリティのミスマッチの方が問題となる。足の速さと俊敏さが強力な武器になるということだ。
さらに。日本国内の学生バスケットボール界に、二メートルを超す選手は、留学生も含めて数えるほどしかいない。大型の選手を、避ける、かわす、という経験を多く積んでいないため、教科書通りのピック・アンド・ロール対応だって難しくなる。
その一瞬の遅れを、あの少年は見逃さない。
判断に窮したり、二メートルの選手のスクリーンにぶつかり遅れた瞬間、一気にドライブを仕掛ける。スピードで抜かれるのを恐れて離れたところで待ち構えるのなら、少年はすぐにスリーポイントを打ち、決めてくる。
(相手が良く使ってくるホーン・セットは、まずハイポストにいた選手とのピックアンドロールを狙う。けど、これは現代では世界中のどこでも使われるセットオフェンスで、俺たちだって相手がどんな風に動くか知っている。それなのに、止められない)
あの少年は、自分がフリーになったら、シュートを打つことを躊躇っていない。
そのタイミングで打てるプレイヤーであり、周りからも自分の好きなタイミングで打っても良いと言われているはずだ。
(あの男。ポイントガードだが、あいつはパスを回して周りを生かすゲームメイカーじゃない……点取り屋、攻撃的なスコアラーだ!)
成真は納得した。あの少年は、まさにそのタイプ。どこからでも点を決められるという自信と周囲を納得させるだけのシュート力を持っているのだ。
ポイントガードは、コート上の司令塔と、よく呼ばれる。その選手を起点にしてオフェンスが始まることが多いため、周りを活かすことが優先。自らが得点を取るのは二の次、というのが従来の考えだ。
ただ、現代のバスケットボールは、一概にそうとは言えない。新たな戦略の下、戦術の幅が広がり、多種多様な攻撃手段が生み出された。その流れの中で、ポイントガードにも様々なタイプが現れたのだ。
その一つが、自ら得点を取る、攻撃的ポイントガードである。プロバスケットボールリーグの最高峰であるNBAでは、ポイントガードでありながらシーズン得点王となる選手も出てきており、もはやスコアラータイプのポイントガードは、少しも珍しいものではない。
そして、あの少年は、間違いなく点取り屋だ。彼が得点を取るために動きをすることで、他の選手も連動する。連動する中でボールが回り、フリーを作り、イージーなショットをクリエイトする。そういうコンセプトのオフェンスだ。
(つまり。アイツを止めない限り、向こうのオフェンスは止まらない。点を取られる限り、俺たちは絶対に追いつけない……ならば)
成真は、決意する。その直後、審判が、長い笛を一度鳴らした。タイムアウトの時間が終わり、試合が再開されるのだ。
相手チームのベンチから出てきた選手の中には、まだ、あの少年がいた。
それを見た成真は、ぐっ、と右の拳を強く握りしめる。
そして、
「……先輩、お願いがあります」
成真は、同じチームのポイントガードの選手に声をかけた。
「マンツーの相手、変わってくれませんか。俺に、やらせてください」
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