第1話「190センチvs172センチ」
1-1
九月。スペイン、マドリード。
ここでは今日、十九歳以下のバスケットボール・ワールドカップに出場する、男子日本代表の練習試合が行われる。
本戦は一週間後。フル代表ではないが、それでも国際バスケットボール連盟が取り仕切る公式戦だ。選手個別の事情で出場しない者も稀にいるが、現時点での各国世代トップの選手が出場する大会である。
各国のバスケットボール、その将来を担う逸材が一同に集結し、鎬を削る大舞台。
当然、日本のバスケットボール協会も、世代最強の選手を、この戦いの場へ送り込んでいた。
「──今日の試合相手は、リーガACBのチーム、でしたっけ」
ホテルから練習場へ向かう移動用のバスの中、隣の二列席を占領して座る先輩に向かって、
成真に声をかけられた先輩は携帯電話を触っていたが、ん、と成真の方を見る。
「スーパー高校生は、まだ不勉強だな。スペインの二部は、リーガACBじゃない。今はLEBオロ、って名前だ」
「あ、そうなんですか」
「とはいえ、対戦するのはユースじゃない。トップチーム。つまり正真正銘のプロだ。今年のワールドカップの時期が後ろ倒しになったおかげで対戦できるんだ。こんな機会、滅多にないぞ」
先輩は、そう少し弾んだ声で言った。口元の端も緩んでいたので、本当に楽しみなんだな、と成真は思う。
「なんだ、成真。お前は楽しみじゃないのか」
「そんなことないですよ。強い相手とするのは、俺だってテンションは上がります」
「じゃあ、なんでそんな顔してんだ」
「……朝は苦手なんですよ、俺」
成真はそう言うと、なんだそれ、と先輩は自分の携帯電話へ顔を戻した。
成真は思う。先輩には、自分が不機嫌だったり、つまらなさそうな顔をしているように見えたのだろうか。
だが、実際は違う。
成真は、バスケットボールを楽しいと感じたことは、ほとんどない。
(──本気でやって、持てる力をすべて発揮して、相手を叩き潰す。それが、俺の知っているバスケだ)
どんな相手とやるときでも、本気で戦い、相手を叩き潰す。
負けたらつまらない。楽しいのは、勝ったときだけ。真剣勝負の果てにしか、真の喜びは得られない。彼は、そう考える男だった。
成真は、窓の外を見る。マドリードというスペインの大都市らしく、広い車道を走る車の数、そして歩道を歩く人は、実に多い。しかし、立ち並ぶ建物には日本文化の色は感じられない。瓦の屋根など当然無く、四角い建物が多いと成真は感じる。
異文化の匂い。勿論、興味はある。
が、今回は観光で来たのではない。
一週間後、バスケットボールで、世界に挑戦する。そのために、自分はここへ来たのだ。
会場に到着すると、日本代表の選手、スタッフたちは、荷物を持ってロッカールームへ。そのまま準備を終えた選手から、さっそくアリーナへ移動した。
成真はアリーナに到着すると、周囲を見渡し驚いた。
二部のチームが保有する施設なので、さして大きな会場ではないと思っていた。が、バスケットボールコートは二面が常設されており、周囲には二階まで続く観客席もある。ロッカールームにはジャグジーもあり、会場に到着してからここに来るまで、ウェイトルームや数多くのミーティングスペースがあり、屋外にも屋根付きのバスケットボールコートが無数に整備されているのを見た。特にアリーナは、日本の二部や三部のプロチームなら、レギュラーシーズンにホームゲームの会場として使っていておかしくないほどの施設だ。
さすが、ユーロバスケットボールのトップと呼ばれる国だ。日本のバスケットボールもアジアトップレベルまで発展しているとはいえ、自前の練習施設にここまでしっかりとしたものを準備できているプロチームは、そう多くない。
それに。この施設を使っている選手たちも、一流がそろっている。
成真がいる反対側のコートでは、今日対戦する相手チームの選手がシューティングをしていた。その自分たちより一回り大きい体格や精悍な顔つきを見ると、確かにユース世代ではない。大人の男たちだ。
しかも。彼らが軽く放つシュートは、落ちる気配が全くしない。外でドリブル練習をしている選手も、難しいことはしていないが、手に吸い付くようなボールハンドリングを見せつけている。
ファンダメンタルが、全く違う。とても二部チームのプレイヤーと思えない。そんな感想を抱きながら、近くにいた同じ日本代表スタッフに「さすがヨーロッパのバスケ大国ですね」と声をかけてみた。
「ん? ああ、このチームは特に選手の育成に力をかけてるから、特別豪勢に見えるな。けど、日本のトップリーグのチームが持っているくらいの練習場なら、スペインの二部チーム以上なら当たり前に持っているよ」
「この会場じゃなくて選手のこと言ってるんですけど……でも、クラブの投資は、まず足より石に投資、ってことですか」
「そりゃサッカーの格言だが、うん、考え方は同じだろうな」
「だからこそ、あれほどの能力も身につくんでしょうね」
「幼いころからの競争を勝ち抜いてきた逸材たちだ。二部だろうがなんだろうが、このスペインでプロのバスケットボール選手として戦っている連中だよ。さて、成真。アップが終わったら、すぐに一試合する予定だ。準備はじめとけ」
そう言うと、スタッフの方は自分の仕事に戻った。成真も、先にアリーナへやってきてシューティングをはじめた先輩選手たちの方へ足を向ける。
(……今日の試合で結果を残せたら、俺も、ここを使えるようになるのか)
ふと、成真はそう思った。
成真は、今、十七歳。高校二年生だ。
実のところ彼は、今回スペインにやってきた他の日本の選手たちよりも、ひとつ下の世代。本来なら、十九歳以下ではなく、十七歳以下の世代として選ばれる選手である。
しかし、成真は世代を一つ飛び越え、十九歳以下の日本代表として選出された。
さらに。彼は数か月前、なんとすべての年代の代表、ナショナルチームの合宿にも呼ばれていた。そこで、現在の日本代表候補たちと一緒に、汗を流している。
確かに、現役のフル代表の選手たちは、凄かった。
が、勝てない相手ではない、とも思った。
(……違うのは、フィジカルと経験だ。フィジカルはあと一年か二年もあれば、俺も通用する。ただ、経験の方は、このままではどうにもならない)
もっと、試合に出なくては。もっと、高いレベルを経験しなくては。それは決して驕りではなく、事実である。
なぜなら、高校二年生の彼だが、一年生時に既にインターハイとウインターカップに主力として出場し、どちらの大会も優勝。今学年でも、一か月前に行われたインターハイで再び優勝を経験している。
そして。青谷・フェリックス・成真は、その大会で得点王となった。
そう。彼と真っ向勝負で戦える相手は、もう日本の高校生の中にはいないことも、わかってしまった。
(日本で今よりも上のレベルを相手にするには、プロになるしかない。ただ、俺のような在学中の高校生とプロ選手として本契約を結ぶような豪気なチームは、今の日本には無い……)
成真は、はあ、とため息を付いた。実は彼、高校の進路を決めるとき、海外留学を考えた。が、親の強い反対に遭ってしまい、結局は日本の高校進学を選んだ。
ただ。それはやはり、失敗だったと思う。この一年を無駄だったとは思っていないが、そこまでの成長は感じられない。
ならば。このワールドカップの期間を通じて、結果を出すしかない。
そうすればきっと、海外のチームからだって声をかけられる。そうなれば、さすがの自分の両親だって、考えを改めるだろう。
……もっと、上手くなりたい。
もっともっと、強くなりたい。そして、世代別ではない、日本男子バスケットボールのフル代表に早く選ばれるのだ。成真はそう思いながら、シューティングに戻った。
──それから一時間半後。
互いのチームがアップを終え、まさに試合が始まろうとしていた。
ただ。相手チームのロスターを見て、ん? と成真は首をかしげる。
「向こうのチーム。ガードの選手、一人だけじゃないか?」
隣にいた先輩も、成真と同じ感想を口にした。
そう。向こうのチームには、明らかにガードの選手、特にポイントカードらしき選手が、一人しかいない。二メートルクラスの選手がズラリと並ぶ中、百九十センチ前後の選手は一人だけだった。
今どき二メートル級のビッグガードは珍しくないので、見た目だけでは判断できない。ただ、事前の話では相手ポイントカードの選手は一九十センチ代の選手は二人いるはず。一人、足りない。
「トラブル、ですかね。ケガをした、とか」
「かもしれんな。だけどまあ、それならそれで代わりの選手が出てくるんだろ。成真、お前はやることやれよ。相手のシューター、さっきの練習見てる限り、向こうの選手、やっぱりとんでもないぞ」
その通りだ。成真がマッチアップする相手、練習を横目で見ていたが、その時点で他の選手とは動きが違っていた。聞いた話によると、今シーズンの昇格は、その選手の活躍にかかっていると期待されているほどらしい。
なら、その相手と正面から戦えたら……そう思っていたときだった。
相手ベンチから、声が上がった。なんだ、と思い成真はそちらを見る。
そして。今度は日本代表側のベンチが、ざわついた。
アリーナの反対側。相手チームのロッカールームがあるコンコースから、一人の人物が現れて、大きな声を出した。
『まったく! 誰だよ、俺に別の試合会場を教えたの!』
その言葉はスペイン語だったので、成真には意味は伝わらなかった。だが、その選手はベンチの方に走って近づくと、ほかの選手たちに頭や背中を軽く叩かれたりしながら、歓迎された様子で迎えられた。
(誰だ、アイツ……なんで、日本人がここにいる……?)
青谷成真は、現れた相手を見て、声を失った。
そう。その男は、アジアにルーツを持つ顔……それに、間違いじゃなければ、日本国内のメーカーのバッシュを履いていた。
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