スプラッシュ!
南町翔
プロローグ
1
*
私は、バスケットボールが好きだ。大好きだ。
でも、他の子は私ほど、バスケットボールが好きではないらしい。
というのも、私は朝早くおきて体育館に向かうことができるし、チーム練習が終わったあとも、残ってシュート練習ができる。けど、他の子は朝は来るのは遅いし、自主的に練習はしない。私にとっては苦も無く出来ることも、他の子には、とてもつらいことのようだ。
だから、私はいつも、一人でバスケットボールをしている。
地域のバスケットボールクラブに所属しているので、そこでのチーム練習の際はみんながいるが、そういうことではない。なんというか、私だけが、違う方向を見てバスケットボールをしているようだった。
もっと上手くなりたい。
出来ることなら、この国でトップの選手になりたい。
でも。そんなことを本気で思っているのは、自分だけ。
私は、一人ぼっちだ。
もっと上手くなって、違う世界に行かなければならない。そうしなければ、これからも一人なのだろう。そう、思っていた。
……でも。
そんな私の前に、彼が現れた。
小さな、小さな。私よりいくつか年下の、少年が。
夕方。練習が終わったあと、私はまっすぐ家には帰らず、少し寄り道。よく立ち寄る、公園に足を向ける。
そこにはきっと、あの小さな彼がいる。
彼は今日、練習試合があると言っていた。監督も試合に出してくれるはずだから、何点だって取ってやる、と意気込んでいた。
さて。その彼は、もう来ているだろうか。もしも来ていたら、あのまぶしい笑顔で私を迎えてくれるはずだ。
私は公園まで来ると、予想通り、彼の姿があった。しかし、どういうわけか彼は、ゴールの前、赤いリングの下で、地べたに座りこんでいた。
どうしたの、と声をかける。彼は私の方をちらりと見たが、それ以上は何もしゃべらない。
……これは、試合で活躍できなかったか。いや、もしかしたら、試合にすら出させてもらえなかったかもしれない。私は少し考えたあと、彼の隣にしゃがんで、また声をかけた。
「試合は、どうだったの。得点できなかった?」
「……出られなかった」
ぽつりと、彼はこぼした。ああ、後者の方だったか。
「試合に出られなかった。俺の方が、うまいのに。俺は小さいからって、監督はそればっかり。それに、他の連中だってそうだ。お前にはまだ早い、練習でも六年生に勝てないだろ、て。ただ俺より早く生まれただけなのに、俺よりヘタなヤツらがコートに立ってた」
彼はそういって、じわりと目に涙を浮かべた。その様子に、私は思わず苦笑してしまう。
ただ。私には、なぜ彼が試合に出られないのか、わかっていた。
なぜなら、彼はまだ、小学二年生だ。確かに他の子たちよりもボールを扱う技術は上かもしれないが、六年生や五年生の大きな子たちと同じコートに立てば、ケガの危険がある。その可能性がある以上は、安易に試合に出すことはできない。
ただ。言い換えると、それはもはや時間だけの問題ということだ。
来年の今頃、彼はきっと、コートで輝く選手となっているだろう。
さて。このことをどう言えば、彼はわかってくれるだろうか。無理するときじゃないよ、大きな子たちと一緒にやるとケガしちゃうよ……なんて台詞は、火に油か。
彼は、こんな小さな体だが、もう一人前のバスケットボール・プレイヤーだ。
ならば、かける声は違う。
「……大丈夫。君なら、できるよ」
彼に必要なのは、慰めではない。
立ち上がるのを助けるため、手を差しだすことだ。
私はそう言って、ぽん、と彼の頭に手を置く。
「試合に出られなかったのなら、もっともっと練習して、もっともっと上手くなろう。体が小さいって言われたら、もっともっとご飯も食べて、もっともっと大きくなろう」
「無理だよ。あの監督、俺のことキライだもん」
「それなら、チームの中で一番うまくなってみせるの。そう、一番、強い選手になろう。それでチームのみんなに認めてもらって、監督を見返してやるの」
きっと彼のチームの監督は、彼の将来を考えて試合に出さなかったのだと思うので、嫌っているなんてことは無いだろうけど。
私は、彼の頭を優しくなでる。何度も、何度も。そうしていると、ようやく彼はつぶやいた。
「俺に、そんなこと出来るのかな」
「出来るよ。だって、私は信じているから」
私は、すぐさま、そう答えた。
正直に言うと、彼にバスケットボール・プレイヤーとしての才能があるかどうかは、わからない。今でこそ他の子たちよりもボールを上手に扱えるが、将来、全国的に有名な選手、それこそプロになれるほどの才能があるかまでは、まったく予想はできない。
けれど。私は、知っている。
彼は、バスケットボールが大好きなのだ。
コートの上でボールを追いかけることが、誰よりも自由に駆け回りたいのだと、彼は強く思っていた。
だから。その心を折ってはいけない。
私は、この小さな少年の背中を、押してあげないといけない。
「私は君を応援してる。いつも試合を見ていられるわけじゃないけど、君が頑張っているかぎり、私はどこにいたって、君を思っている。
誰かの想像を超えなさい。他人の予想を覆しなさい。アナタになら、絶対に出来るんだから」
そう。これが、私の本心だ。
きっと彼は、もっともっと大きくなる。もっともっと上手くなる。
そして。みんなを驚かせ、みんなに勇気を与える、ヒーローになってくれる……私は、そう思うのだ。
「……わかった」
すると。彼が、ぽつりとそう言った。
「姉ちゃんがそう言ってくれるなら、俺、上手くなる。それで、俺をバカにするやつ、全員、見返してやる」
彼は顔を上げ、頭を撫でる私の手をはねのけるように、立ち上がった。その様子を見た私は、思わず唇の端をほころばせる。
うん。もう、大丈夫だ。
彼は今日、また少しだけ、大きくなった。一歩、前に足を進めたのだ。私は立ち上がり、すっかり元気になった彼の方を見る。
「ねえちゃん。それじゃあ、今日も一対一の相手してよ。今日こそ、絶対に勝ってやる。あ、練習で疲れてるならいいよ。それならシューティングだけ手伝って。俺も、姉ちゃんの練習に付き合うから」
「はは。気を遣ってくれちゃって。いいよ、それなら一対一をやろう。疲れていても、二年生相手になんか負けないよ」
「言ったな。今日こそ、絶対に得点取ってやる」
そういって、彼は自分のそばに転がっていたボールを拾い上げると、リングから離れた場所へ走る。そして、「ほら、俺からオフェンスでいいだろう」と私に向かって、大きな声を出した。
……ああ。この時間が、ずっと続けばいいのに。
私は、この子が大きくなるところを、ずっと見ていたい。私も世間から見れば小さな子供だが、自分だけではない、彼の未来にも、何か夢を見てしまう。
こんなの、おかしいだろうか。私には、わからない。
けど……私は、思うのだ。
この子のために、私は走り続けなければならない。
前を見るこの子において行かれないように、そばで走り続けられるように、私は足を止めてはいけない。
同じ願いを抱く、この小さな男の子に、誇れる自分でありたい。
強い自分で、ありたいと。
私は、前を向く。
この子と一緒に、前を向いて、走り続ける。そう誓ったのだ。
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