第七章 作りすぎた夕飯、隠しきれない秘密④

「よし、これでとりあえずは大丈夫だろ」


 あまり待たせていると怪しまれるかもしれないので、急いで玄関へ。なるべく平静を装ったまま、先生を出迎える。


「お、お待たせしました。どうぞ」


「ありがとう。お邪魔します」


 鍋を一旦床に置き、脱いだ靴を並べ、部屋の奥へと向かう先生。俺は冷や冷やしながらその背中を追う。


「お鍋、ここに置いておくわね」


「あ、はい」


「……にしても、少し散らかり過ぎではないかしら?」


 テーブルの上に鍋を置きながら、眉を顰める佐々木先生。その視線はクローゼットの傍に積み上げられた衣類へ向けられていた。


「干していたものを取り込んだばかりでして……あはは……」


「まぁ、男の子の一人暮らしですものね。ずぼらになるのは仕方がない、か」


 先生は豊満な胸を押し上げるように腕組みし、数秒ほど唸ると、


「よし。せっかくですから、片付けを手伝ってあげましょう」


 あまりにも余計過ぎるお世話に全俺が泣いた。


「い、いいですよ別に片付けなくたって! ほら、こうやって端に寄せておけば邪魔になりませんし!」


 クローゼットを背中で庇いながら、衣類を足で壁の方へと押しやる。

 しかし、その行動が逆に先生の心に火を点けてしまったらしく、


「生徒の生活を改善させるのも教師の務めです。部屋の乱れは心の乱れ。こんな状態では勉強にだって力が入らないでしょう?」


「いや散らかってる方が集中できるんですよ俺!」


「それはそれで問題だわ。片付けましょう」


 ダメだ、強引なところはいつもと全然変わらねえ!

 俺の制止も空しく、先生はクローゼットへと近づいていく。あの中には枝折が隠れている。これ以上近づかれたら、最悪の事態に――ッ!


「せ、先生!」


「え? ――きゃっ!」


 先生の手がクローゼットの扉に触れる、その直前。俺は彼女の肩を掴み、近くの壁に押し付けた。俗にいう壁ドンというやつである。


「ふ、文月君っ?」


 急な出来事で動転しているのか、先生は顔を赤らめていた。だが、そんなことを気にしている場合ではない。早く、この状況を打破しなくては。

 さあ、どうする? どうすれば、先生はここからいなくなってくれる? 考えろ、考えろ……。


「だ、駄目よっ。わたしたちは教師と生徒なんだから。せ、せめて、こういうのはもっとお互いのことをよく知ってから……っ!」


「……先生」


「ひゃ、ひゃいっ」


「気を遣って、あえて隠していたんですけど……」


 先生の顔を至近距離で見つめつつ、俺は真面目な声色で告げる。


「実は、そのクローゼットの中には……エロ本が入ってるんです」


「………………………………え?」


 俺の尊厳が崩れていく音が聞こえた。

 しかし、今更止まるわけにはいかない。零れそうになる涙を堪えつつ、俺は言葉の続きを紡いでいく。


「エロ本です、エロ本。しかもかなりドギツイ性癖のエロ本です。ちょうど新しい隠し場所を模索しているところに先生が来たので、こんな不自然な隠し方になってしまったんです」


「そ、そうなの……で、でも、あなたまだ、高校生でしょう? え、エロ本だなんて、そんな……ね、年齢制限とか、大丈夫なのかしら……?」


「男子高校生の性欲は年齢制限程度で抑え込めるほど大人しくありません。俺のこの煮え滾った性癖を受け止める覚悟があるのであれば、そのクローゼットを開けてください。でも、もしその覚悟がないのなら……どうか、見なかったことにしてください。俺は、先生のことを傷つけたくはありません」


「あわ、あわわわわ……」


 俺の社会的価値を生贄に捧げた捨て身の策に、先生は激しく狼狽する。頼む、どうか成功してくれ……っ!


「そ、そそそ、そうよね……あなたも、年頃の男子高校生ですものね……」


 真っ赤な顔で目をぐるぐる回しながら、先生は俺の拘束から抜け出した。


「ゆ、夕食は、あなたが全部食べてちょうだい。わ、わたしは、ちょ、ちょっと、自分の家であ、頭を冷やしてくるから……お、お邪魔しましたぁーっ!」


 佐々木先生は叫びながら、光の速さで走り去っていった。

 俺という人間を最悪な方向で勘違いされてしまった気がするが、これも枝折との関係を守るため。俺個人の犠牲でこの生活を守れるならば安いものだ。……いや、割とデカい代償だった気がするけど。


「……今度誤解を解きに行こう。ぐすん」


 零れ落ちる涙を指で拭う。久しぶりに流した涙は少しだけしょっぱかった。


「っと、いけねえ。枝折をクローゼットから出してやらないと」


 先生は帰ってくれたのだから、もう隠れてもらう意味はない。


「おーい、枝折ー。大丈夫かー?」


「……重音」


 扉を開くと、何故か正座状態の枝折が俺を出迎えた。しかし、何故だろう。とてつもない殺気を感じる。


「ど、どうかしたのか?」


「……これ」


「あん? ――ヒュッ」


 あまりの動揺に、喉から変な音が洩れた。

 枝折から渡されたのは、一冊の雑誌だ。

 しかし、ファッション雑誌とか漫画雑誌とか、そういう類ではない。

 表紙に裸の女性が載ってている、その雑誌の名は――、


「これ、なに?」


「…………」


 冷汗が頬を伝い、床にシミを作り出す。

 枝折との関係が始まる少し前。興味本位で買ったはいいが置き場に困り、結局クローゼットの奥に押し込んだエロ本があったようななかったような……。


「重音は巨乳に挟まれたり押し潰されたりするのが好きなんだ? ふぅん……」


 もうすぐ四月も終わると言うのに、凍てつくような寒さが俺を襲う。きっと窓の外では季節外れの大吹雪が猛威を振るっているに違いない。


「あは、あはは。そ、それは、ですね……」


「……重音のえっち。最低。脳と股間直結男」


「べ、弁明を! 弁明をさせてはくれないでしょうか!」


 俺はその場に膝をつき、枝折への説得を開始する。

 当たり前かもしれないけど、全てが終わった頃には、先生の煮物はすっかり冷め切ってしまっていた。

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