第七章 作りすぎた夕飯、隠しきれない秘密③
「……せ、先生? ど、どうしてここに?」
「どうして、って……同じマンションに住んでいるのだから、わたしがここにいても何らおかしくないと思うのだけれど」
いや、それは理由になっていない。同じマンションだからと言って、自室の前に教師が立っていたら誰だってビビるに決まっている。
動揺が顔に出ていたのか、佐々木先生は俺を見て頬を緩めると、
「ごめんなさい、冗談よ。今日は文月君に渡したいものがあってね」
「渡したいもの、ですか……?」
よく見ると、彼女の手には大きな鍋が握られていた。
「実家のお母さんから野菜が大量に送られてきちゃって。料理はしてみたのだけれど、流石に量が多すぎて、冷蔵庫に入り切らなかったの」
「はぁ」
「食べようにも一人じゃ多すぎるし、せっかくだから文月君にお裾分けしようかと思いまして」
「あ、ありがとうございます」
美人と名高い佐々木先生の手料理を食べられる。一生にあるかないかのラッキーイベントだ。学校中の男子が聞いたら嫉妬のあまり目から血を流すことだろう。
先生は鍋を軽く振りながら、
「文月君って好き嫌いとかあるのかしら? これ、煮物なんだけど……卵とか平気?」
「えっと、まぁ、はい。好き嫌いはないので……」
「そう。それならよかったわ」
先生はそこで一旦言葉を止めると、何故かはにかみながら……、
「それで……あなたさえよかったらなのだけれど……一緒に食べない?」
「えっ」
予想だにしない提案に思わず目を剥いてしまう。
「食べるって……俺と、夕飯をですか?」
「他に何があるの……?」
「いや、そうですよね。夕飯ですよね。そりゃそうだ……」
「一人じゃ食べ切れる量じゃないし、食べるなら二人の方がいいと思うのよ」
そういう問題ではない。今、奥には枝折がいるのだ。こんな状況で先生に部屋まで上がり込まれたら、最悪の事態になりかねない。いや、確実にそうなるだろう。何としてでも断らねば。
「え、ええっと、気持ちはとてもありがたいんですけど、先生と二人というのは……」
「……もしかして、迷惑だったかしら?」
しゅん、と可愛らしく落ち込む佐々木先生。授業中の厳格さはどこへいってしまったというのか。心が揺れてしまうからギャップを突きつけてくるのはやめてくれ。
「い、いえ、別に迷惑というわけではなくてですね……」
「実は、一緒に食べようと提案しているのは、もう一つ理由があるの」
「え?」
「この前、冷蔵庫を貸してくれたでしょう? その時の借りをまだ返していなかったのを思い出してね。普段はあまり料理なんてしないのだけれど、文月君に恩返しをするために頑張ってみたの。それで、せっかくなら料理の感想とか聞きたくって……」
良心が痛む。めちゃくちゃ痛む。何で大人相手にここまで胸が苦しくならなければならないのか。涙目の美女って罪深過ぎませんかね。
「……わかりました。煮物が冷めてもいけませんし、一緒に食べましょう」
「文月君……っ!」
「でも、ちょっとだけここで待っててください。外だと冷えちゃうんで、玄関で。ほんの五分ぐらいでいいんで」
「ええ。分かったわ」
「で、ではっ」
先生を玄関に待たせ、扉で仕切られた居間へと慌てて戻る。
怪訝そうな表情の枝折が俺を出迎えた。
「随分と長かった。何かあったの?」
「落ち着いて聞いて欲しい。佐々木先生がこれから部屋に上がってくる」
「……本当に何があったの?」
時間がないので、なるべく簡潔に事情をすべて説明した。
話を聞き終わった枝折は額を抑えると、深い、とてつもなく深い溜息を洩らした。
「重音は相変わらず押しに弱すぎる」
あまりの正論にぐうの音も出なかった。
「それで? 私はどうすればいいの?」
「一旦、どっかに隠れててくれねえか?」
「隠れろと言ったって……隠れられそうな場所はどこにも……」
洗面所やトイレに行くには玄関を経由しないといけないので選択肢としては論外。人ひとりが隠れられそうな場所をしいて挙げるならばクローゼットぐらいだけど、中には服がたくさん詰まってるし……。
「ええい、服なんて全部出せばいいだけだ。枝折、クローゼットの中に一旦隠れておいてくれないか?」
「わ、わかった」
そうと決まれば何とやら。俺はクローゼットの中にしまわれている衣服を掴むと、その全てを乱暴に引きずり出した。しわが付きそうだが、今はそんな事を気にしている余裕などない。
空っぽになったクローゼットに枝折を押し込み、扉を掴む。
「なるべく早く帰ってもらうから。少しの間我慢しててくれ」
「ん」
枝折の頷きを確認したところで、俺はゆっくりと扉を閉めた。
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