第二章 その手の温もりは、とても身近で③
「……勝ったの?」
苦節三時間弱。
モニターにデカデカと表示される『Stage clear!!』の文字に、枝折は唇を震わせる。
何時間も死んではやり直してを繰り返した結果の勝利。
自分の勝利を信じられないでいる彼女に向かって、俺は親指を立てた。
「おう、俺たちの勝ちだ」
「やった……やったっ!」
「おわっ」
初めてのゲームクリアが心の底から嬉しかったのか、枝折は満面の笑みを浮かべながら勢いよく俺に抱き着いてきた。急に押し当てられた彼女の豊満な胸の柔らかな感触に、俺の身体は反射的に強張ってしまう。
「重音が教えてくれたから勝てた。嬉しい……っ!」
「そ、それはよかった、けど……し、枝折さん?」
「なに?」
「い、いや、ちょーっと、近すぎるんじゃないかな、とか思ったり思わなかったり……」
「近すぎる……? ……っ!」
ようやく状況を把握した枝折は光のような速さで飛び退いた。
「ご、ごめ、ごめんなさい。嬉しくって、つい……」
枝折は真っ赤な顔を隠すように手を忙しなく動かしながら、言い訳を並べていく。
「だ、大丈夫。別に、嫌とか、そういうんじゃねえから……」
「そ、そう。嫌じゃないなら、よかった……」
「…………」
「…………」
そして訪れる、気まずい静寂。もう何度目かもわからない。
「……あっ!」
照れ臭そうに前髪をいじる枝折をちらちら見ながら時間が経つのを待っていると、彼女が突然、驚いたような声を上げた。
「ど、どうした?」
「もう、こんな時間。そろそろ帰らないと」
枝折に釣られて窓の外を見ると、すっかり暗くなってしまっていた。
「時間を忘れてゲームしちまってたからな……」
「でも、楽しかった。また、一緒にやってもいい?」
「もちろん。俺も楽しかったし、枝折さえいいなら、またやりたいかな」
「ん。じゃあ、約束」
「ああ、約束だ」
子どものような約束に、お互いクスリと笑ってしまう。
「じゃあ、私、帰るね」
枝折は慌てて荷物をまとめると、駆け足気味に玄関へと向かう。
そして扉を開きながら……顔だけこちらに向け、こう言った。
「……また明日」
「ああ。また明日」
枝折が遠慮がちに手を振りながら立ち去り、そして扉がゆっくりと閉まる。
俺はしっかりと鍵を閉め、「枝折でもやれるようなゲームを増やしておくか」とか考えながら居間へと戻る。
「……ん?」
ふと、何かが視線の端を過ぎった。
テーブルの上に置かれた銀色の物体。
それは、一本の鍵だった。
「枝折の忘れ物か?」
慌てていたせいで鞄に入れるのを忘れてしまったのだろうか。相変わらず大切なところで抜けている幼馴染みだ。
これがなくては家に入れないだろうし、届けた方がいいだろう。まだそう遠くへは行っていないはず。走ればすぐに追いつける。
「世話の焼ける奴だな……あれ、このキーホルダー……」
変な表情のフグが描かれたキーホルダー。割と昔のものなのか、ところどころに傷が入ってしまっている。
そのキーホルダーは、妙に見覚えがあった。
記憶の泉に手を伸ばし、過去へ想いを馳せてみる。
――ずっと大切にするね。重音と一緒にいたいから、ずっと……っ!
「確かこれって、俺が昔、枝折にあげたやつ……?」
小学二年生の頃だったか、三年生の頃だったか。枝折と彼女の父親、そして俺の三人で水族館に行った時。これを欲しがっていた枝折に、俺が少ない小遣いをはたいて買ってあげたものではなかったか。
「俺のプレゼントをまだ取っておいてくれてたのか……?」
俺からのプレゼントだからまだ大事にしてくれてるのかな、なんて考えがふと頭を過ぎる。
「……流石にそんな都合のいい勘違いは気持ち悪すぎるだろ」
自分に辟易していると、部屋のチャイムが鳴り響いた。
「枝折か?」
忘れ物に気付いて戻ってきたのだろうか。
キーホルダーを持ったまま玄関まで行き、扉を開く。
そこには慌てた様子の枝折が立っていた。
「重音っ。私の家の鍵、見なかった?」
「あ、ああ。これだろ?」
彼女の前に鍵を差し出す。
「テーブルの上に置いてあったから、ちょうど届けに行こうと思ってたんだけど……」
「ありがとう。失くしたと思ってすごく焦った……」
枝折は俺から受け取った鍵を、それはもう大事そうに握り締めた。
俺は頬を掻きつつ、彼女に問いかける。
「……なぁ、その鍵についてるやつ、なんだけど」
「キーホルダーのこと?」
「ああ。そのフグのやつって、もしかして……」
「うん。重音が昔プレゼントしてくれた、キーホルダー」
「だ、だよな」
勘違いじゃなかったと分かり、つい胸を撫で下ろしてしまう。
「見覚えはあったんだよ。でもまさか、まだ持ってくれてるとは思ってなくて」
「当たり前。捨てるなんて、絶対ない」
「でもそれ結構ボロボロじゃん。他の綺麗なやつとかつければいいのに……」
「イヤ」
枝折は即座に拒否の言葉を口にし、キーホルダーへ愛おしそうな視線を向ける。
「だって、これは……重音がくれた、初めてのプレゼントだから」
思い出を懐かしむような、柔らかな微笑み。
たった一人の幼馴染みから放たれたそれは、俺の心臓を高鳴らせるのに、十分な破壊力を宿していた。
「……重音? どうしたの?」
呆然とする俺の顔を心配するように、枝折は首をことんと傾げる。
俺は誤魔化すように手を大袈裟に振った。
「あ、いや、その……大切にしてくれてるなら、いいんだ。ありがとう」
「どういたしまして……?」
まさかお礼を言われると思っていなかったのか、枝折はきょとんとしてしまう。
動揺してしまったこと、そして彼女の意外な反応のせいで気恥ずかしさが増してきたので、俺は彼女の肩を掴み、玄関の外へと押し出した。
「と、とりあえず、忘れモンは渡したから。ま、また明日な」
「どうして顔が赤いの?」
「あ、赤くなってなんかねえし!」
「嘘。トマトみたいに真っ赤っか」
「今日は暑いからかな!?」
「今日の気温二十度もないのに……?」
枝折は呆れるような吐息を零すと、
「ま、いいや。そういうことにしておいてあげる」
「なんか嫌な勘違いされてそうなんだけど」
「ふふっ。どうだろう。――じゃあ、また明日」
ひらひらと手を振りながら、扉の向こうへと消えていく枝折。
閉じた扉の前で突っ立ったまま、俺は朱に染まる頬を軽く抓った。
「……あっちぃ」
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